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Legendary Rock Critic, Dave Marsh, Dies at 76

追悼:デイヴ・マーシュ

デイヴ・マーシュが亡くなった。

『クリーム』誌や『ローリング・ストーン』誌への寄稿などでも知られるロック・クリティック/バイオグラファー。この人の文章をいつも胸躍らせながら読んだものだ。新しい音楽ともたくさん出会わせてもらった。そんな恩人のひとり、デイヴ・マーシュが8月14日、米コネチカット州ノーウォークの自宅で他界。76歳だった。

印象的な記事や著作はたくさんあるけれど、この人の本で最初にとてつもない衝撃をぼくに届けてくれたのは、きっと多くの日本の音楽ファンと同じだろう。ブルース・スプリングスティーンの評伝本『明日なき暴走〜ブルース・スプリングスティーン・ストーリー』。本国アメリカでは1979年に出た1冊で。日本では翻訳が確か1982年の暮れに出たのだったと思う。

当時、ぼくは3年ほど勤めた出版社を辞めて、フリーの文筆家になったばかり。まだ20代半ば。駆け出しのペーペーだったのだけれど。ありがたいことに単行本執筆の依頼をいただいて、初めての著作『はっぴいえんど伝説』に取り組んでいるところだった。なんとも五里霧中、どうやって本を仕上げればいいのかわからぬまま四苦八苦しているさなか。そんなとき、デイヴ・マーシュの『明日なき暴走』に出くわして。とてつもないショックを受けて。

ああ、音楽の本っていうのはここまで書けなきゃいけないんだな、言語化というのはこういうことなんだな、俺は全然できてないじゃん、こんなのただの感想文じゃん…と。それまで書いた『はっぴいえんど伝説』の原稿をいったんチャラにして、もう一度、最初から書き直し始めたっけ。まだワープロもコンピューターも使っていなかった時代。大量の原稿用紙がゴミ箱行きとなったものだ。

デイヴ・マーシュのように音楽をいきいきと言葉にしたいと心から願った。憧れた。どのように音を描写すればいいのか、どのように言葉を躍動させればいいのか、どのように曲の真意を評すればいいのか、どのように論ずればいいのか…。

グリール・マーカス、キャメロン・クロウ、ポール・ウィリアムス、レスター・バングス、ロバート・クリストガウ、ジョン・ランダウ、日本だと相倉久人、浜野サトル…。憧れの音楽ジャーナリストはたくさんいたけれど、中でもデイヴ・マーシュから受けたショックは大きかった。彼とジョン・スウェンソンがメインになって編纂した『ローリング・ストーン・レコード・ガイド』とかにも、ほんとお世話になった。あれも翻訳が出たのは1982年だったような…。ボロボロになるくらい繰り返し読み込んだなぁ。

いつになっても追いつけないものの、それでも少しでいいから追いつきたいと願いつつ、一所懸命、好きな音楽への思いを文章にしようとドタバタ駄文を書き続けてきた。続けて来れたのは、やはり1982年に出会ったデイヴ・マーシュの『明日なき暴走』のおかげだったと改めて思う。

2013年に『相倉久人 ジャズ著作大全』という本が出た際、光栄なことに「まえがき」を書かせていただいた。10年以上前に書いた文章ゆえ、いささか古い例えも見受けられるけれど、この機会に一部引用させてもらおう。もちろん相倉さんの著作集への文章なので、相倉さんの名前しか記していないが、その部分を前掲した憧れの音楽ジャーナリストたち、もちろんデイヴ・マーシュも含め、彼らの名前に置き換えて読んでいただければ。

音楽を熱く語る。論ずる。そのこと自体もまた音楽だった。

今思うと夢のような話だけれど。そんなことが現実だった時代があったのだ。確実にあった。もちろん、今でもこの文言が意味するところは変わらず実現可能な理念であるはずだ。けれども、今や音楽を語るという行為がやけに古くさく感じられるのも事実。寂しい。論ずるに足る音楽がなくなってしまったからか? いや、そんなことはないだろう。少なくともぼくはそうじゃないと確信している。にもかかわらず、だ。

何かを的確に言語化するという作業を、誰もが面倒くさがっているのかもしれない。熱く論じるなんてダサい、と遠巻きに敬遠しているのかも。PCやスマートフォンの画面上、ネットを介して凄まじい勢いで交錯するコミュニケーションの大半は、もはや文字ですらない。LINEの“スタンプ”とやらに象徴されるイラスト、それも出来合いの、誰かがあらかじめ用意した絵柄だけで、文字も交えず感情のやりとりをする時代。エジプトの壁画じゃないんだから、と思わず突っ込みたくもなる。こと何かを語る、論ずるという行為に関して、ぼくたちはいつの間にかすっかり怠惰になってしまったようだ。

が、今こうして相倉久人氏の初期著作に触れ直して思った。忘れちゃいけないな、あきらめちゃいけないな、と。まだいける。根拠はないけれど、とにかくぼくはかなり熱く盛り上がっている。かつて、これらの文章に初めて出会ったころと同じように。

(中略)

鑑賞という行為が本来どれほど能動的かつ情熱的であらねばならないか。それをぼくに教えてくれたのは小林秀雄ではなく、相倉久人だった。いかに能動的に、情熱的に音楽に向かい合うかで音楽がこちらに返してくる情報量もがらっと変わってくる。音楽自体が綴る物語がまるで別物になる。

本書で語られ論じられている音楽たちは本当に幸せ者だ。

デイヴ・マーシュの訃報を受けて、ブルース・スプリングスティーンがインスタグラムにこんな文章を寄せていた。“私の親友デイヴは、デトロイト生まれならではのストレートな態度の持ち主で、ロックンロール一筋の人生を送った人物だった。ソウルフルで、知的で、心温かく、確かな意見を持ち、時に手厳しく、しばしば驚くほど議論好きだった。ジョン・ランダウとデイヴが難解な音楽について互いに頭を抱え合う様子を見るだけで、私はその日一日が幸せだった。私について書かれた最初の本『明日なき暴走』の著者、デイヴはいつも味方だった”。

享年76。早すぎる気はするけれど。数多く残してくれた文章を、これからも何度も読み返します。どうぞ安らかに。

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