ヴォイシズ/ジェフリー・フォスケット
数週間前、米ビルボードのサイトを見て驚いた。ジェフリー・フォスケットが現在、未分化甲状腺がんに冒され闘病中だという。ステージ4だとか。
ジェフリーと言えば、1980年代以降、ビーチ・ボーイズのサポート・メンバーとして、あるいはブライアン・ウィルソン・バンドの一員として、最強・最高のファルセット・ヴォーカルを提供し続けてきた男。単に歌がうまいだけでなく、超マニアックにビーチ・ボーイズ/ブライアンの世界観を追求してきた彼がいたからこそ、ブライアンが往年の美声を失ってしまってからも、カール・ウィルソンが亡くなってからも、ビーチ・ボーイズの唯一無比のハーモニーは今の時代にいきいきと生き続けることができた。
2004年、英ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでブライアン・ウィルソンが幻の『SMiLE』を初演した伝説の夜。終演後の控え室を訪ねた際、ジェフリーに“あなたがいなければこの奇跡は起こらなかったと思う”と伝えた。寡黙なジェフリーは口の端にちょっとだけ笑みを浮かべて、ぼくの肩を力強く抱いてくれた。
ビーチ・ボーイズ/ブライアンのサポート以外にも、ビリー・ジョエル、シカゴ、ハート、アメリカ、ナンシー・シナトラなどをバックアップしたり、自らのソロ・アルバムを、特に日本で何枚もリリースしたり。そんなジェフリーにとって最大のアイデンティティである天使のように美しい歌声を、しかし、甲状腺がんの治療と手術が奪ってしまうだろう、と。前述したビルボードの記事は伝えていた。
「神様がぼくにこんな美しい声をくれた。だから、心から神様を讃えるためにこの声を使ってきた。いつも最良のパフォーマンスができるように歌ってきた」と、ジェフリーはビルボードのインタビューに答えていた。「でも、病気がそれを奪った。最近は自分でもうまく歌えていないことがわかっていた。だから、今回のアルバムに収めた曲に立ち返った。自分の声が本当にダメになってしまう前に。もう一度歌えたら、と思った」
それが、このほどリリースされた『ヴォイシズ』というアルバムだ。そのものずばりのタイトルに胸がいっぱいになる。ぼくはまだフィジカル・パッケージをゲットしておらず、ストリーミングで音を聞いているだけの段階なので細かいレコーディング・データなどは把握できていないのだけれど。
ジェフリーは近年、英国のロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとも仕事をしていて。ロイヤル・フィルがすでに逝去した偉大なパフォーマーたちの生前の歌声と“共演”するプロジェクトの一環として制作されたバディ・ホリーの『トゥルー・ラヴ・ウェイズ』やロイ・オービソンの『アンチェインド・メロディ』でコーラス・アレンジを担当していた。その際、エンジニアをつとめたジェフ・ラーソンがジェフリーの歌声に魅せられ、“ウォーミング・アップのため”という名目で多くの録音を残していたのだとか。それをもとに、新たにダブル分、トリプル分のヴォーカル・トラックを加えたり、ハーモニーを重ねたりした音源も『ヴォイシズ』には収められている。バディ・ホリーの「トゥルー・ラヴ・ウェイズ」や「ハートビート」のカヴァーはそのときのものだろう。
故ヴァレリー・カーターを迎えてカヴァーした(というか、ほぼアカペラ・コーラスによるバック・トラックみたいなものなのだけれど)ニール・セダカの「雨に微笑みを(Laughter in the Rain)」とか、セシリオ&カポノの「フィーリング(Feeling Just the Way I Do)」とか、アソシエーションの「恋にタッチはご用心(Everything That Touches You)」(これも強力なアカペラ)とか既発の音源もある。日本ではすでにおなじみのヴァージョンかもしれない。が、米国などではあまりたくさんジェフリーのソロ・アルバムは出ていないので、ここに改めてまとめられたのは本国での再評価のためにも悪くなさそう。
ジェフリーは1979年にマイク・ラヴのエンドレス・サマー・バンドのメンバーにスカウトされたのをきっかけに、1981年、一時的に離脱していたカール・ウィルソンの代役としてビーチ・ボーイズに参加。カール復帰後もそのままサポートを続け、やがて1999年、ソロ・アーティストとして本格的に復活したブライアン・ウィルソンのバック・バンドへ。ワンダーミンツのダリアン・サハナジャとともにバンドの“核”としてブライアンを支え、名盤全曲演奏ライヴの先駆けとなった『ペット・サウンズ』コンサートの実現に貢献したり、幻の『SMiLE』完成に尽力したり…。
その後、2014年からはビーチ・ボーイズに復帰。今年初頭、喉の不調で離脱するまでツアーを続けた。ということで、現在のビーチ・ボーイズ(マイク・ラヴ、ブルース・ジョンストン、スコッティ・トッテン、ブライアン・アイケンバーガー、ティム・ボノム、ランディ・リーゴ、ジョン・カウシル)も『ヴォイシズ』のレコーディングに参加している。「素敵じゃないか(Wouldn't It Be Nice)」と「グッド・ヴァイブレーション(Good Vibrations)」がそれ。ほぼオリジナルそのままの再演みたいなヴァージョンなので、アレンジ的に新鮮さはないかもしれないけれど、ジェフリーがマイクとともにリードを分け合ったビーチ・ボーイズ・ナンバーの公式スタジオ・ヴァージョンとして貴重だ。
ビーチ・ボーイズものとしては「太陽あびて(Warmth of the Sun)」も取り上げているけれど、これは過去アルバム化されて既出のアカペラ・ヴァージョンのほうではなく、演奏も入っているヴァージョン。ジェフ・ラーソンとの作業だ。ボブ・ディラン作品「アイ・シャル・ビー・リリースト」や、バート・バカラック&ハル・デヴィッド作品「小さな願い(Say a Little Prayer)」あたりは、解き放たれたいという思いや、ちょっとだけお願いする感じとか、現在のジェフリーの状況と重ね合わせて聞くと、さらに胸がしめつけられるようだ。
そして、ママス&パパスの「朝日をもとめて(Twelve Thirty)」の短いアカペラ・インターミッションに導かれて歌われるラスト曲、ジミー・ウェッブの「アディオス」。これもまたタイトルだけで泣けてくる。
ジェフリーがこの曲を知ったのは、リンダ・ロンシュタット・ヴァージョンのレコーディングのときだったとか。あのヴァージョンではブライアン・ウィルソンが素晴らしい一人多重コーラスを聞かせているのだが、そのコーラス入れの現場にジェフリーも同席していたらしい。そこで曲に魅せられ、自分でも歌ってみたいと思ったそうだ。
が、リンダ・ヴァージョンでの恩師ブライアンの圧倒的なコーラス・ワークに張り合う必要などあるはずもない…ということで、ジェフリーはピアノとペダル・スティールとハーモニカだけの簡素なバッキングのみを従え、お得意のコーラス・ハーモニーをいっさいダビングすることもなく、淡々とリード・ヴォーカル一本だけを聞かせている。ジェフリーのマジカルな“ヴォイス”を満載したアルバムを締めくくる最高の演出かも。
奇跡の生還を待ち望んでいます。心から。