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Rolling Thunder Revue: A Bob Dylan Story by Martin Scorsese (Netflix)

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ローリング・サンダー・レヴュー: マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説

最高。素晴らしい。かっこいい。こんなキレッキレなボブ・ディランのパフォーマンスを、今、改めてこんなにたっぷり楽しめるなんて!

昨日、6月12日からNetflixで配信が始まった『ローリング・サンダー・レヴュー: マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』。何度も何度もこのサイトで話題にしているので、またそれかよ…と言われそうだけど。すみません。またそれです。ボブ・ディランが1975年から76年にかけて、2期にわたり行なった伝説的なコンサート・キャラヴァン「ローリング・サンダー・レヴュー」の第1期ツアーの模様を記録したCD14枚組ボックスセット『ローリング・サンダー・レヴュー:1975年の記録』ってやつがあって。このページとか、このページとかで騒いでおりますが。それと連動する形で登場した映像作品が『…スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』だ。

貴重なライヴ映像やリハーサル映像、ツアーに同行した者たちへのインタビュー、日々のスナップなどを見事なテンポ感と卓抜した編集感覚で再構成。ディラン本人への最新インタビューや、近年行なわれたと思われるジョーン・バエズ、ランブリン・ジャック・エリオット、同行記『On the Road with Bob Dylan』の著者でもあるラリー・スローマンらの証言なども交えて、あのツアーの意義と成果を改めて検証してみせる。

以前も書いたことなのだけれど、この時期のディランのライヴを生で体験したかった。そんな思いがますます強くなる。初来日の2年半くらい前なんだよなぁ…。ライヴ・パフォーマーとしてのディランがある種のピークを極めようとしていた時期の力強い記録だ。さらには、バエズとディランのデュエットの素晴らしさというか、特別な感じもまたまた思い知らされたし、ちらちらフィーチャーされる他のアーティストたちの様子、たとえばグリニッチ・ヴィレッジのクラブのようなところで刺激的なイメージの詩を連射しまくる若きパティ・スミスとか、楽屋かどこかでロジャー・マッギンとディランを従えて当時の新曲「コヨーテ」を披露する才気溢れるジョニ・ミッチェルとか、そういうものも興味深かったし。

女性相手だと誰彼問わずとにかく口説きに行ってるみたいに見えるディランの様子もごきげんだ(笑)。あれ、あの曲は入っていないんだ、とか、当時の映像として有名なあのシーンは含まれていないんだ、とか、そういう物足りなさもなくはなかったけれど、基本的には大満足。一気に見終えてしまった。すごかった。Netflix契約していて本当によかったと思った。けど、本編が終わってエンド・ロールに入ったところで、あれ…? と。ふと気になることに出くわした。ということで、この作品を未見で、無垢な状態のまま今後楽しみたいと考えていらっしゃる方はここから先はネタバレっぽい話になるので読まないでおいてもらいたいのだけれど…。

ディランって人は、そしてスコセッシって人は、まったく…。(ネタバレあり。注意)

ラスト、 アンコール曲として「デュランゴのロマンス」が流れる中、画面を流れ去るエンド・ロールをぼんやり眺めていたら、“キャスティング”という役割でエレン・ルイスって人の名前がクレジットされていて。あれ、ドキュメンタリーなのにキャスティングって変だな、と感じて。いろいろ調べてみたところ——。

米ローリング・ストーンにもそういう記事が載ってました!

このローリング・サンダー・レヴューの記録映像作品、どうやらけっこうな部分、フェイク・ドキュメンタリーというか、架空のドキュメンタリー、いわゆる“モキュメンタリー”らしい。もちろん昔の映像そのものは本物なわけで。そこら辺はありのままのドキュメンタリーなのだけれど。

問題はインタビュー部分だ。何と言っても、ここで使われている映像を1975年当時撮影したという触れ込みのステファン・ヴァン・ドープなる男。こんな人、実際にはいないのだ。エンド・ロールに“ザ・フィルムメイカー”としてクレジットされているマーティン・フォン・ヘイゼルバーグがこのヴァン・ドープ役を演じているだけ。フォン・ヘイゼルバーグは、70年代からザ・キッパー・キッズというパフォーマンス・アート・デュオの一人として活動してきた人で、本作冒頭のほうのグリニッチ・ヴィレッジでの映像にもちらっと出てくるベット・ミドラーの旦那さん。アメリカの人が見れば、もちろん日本でもその筋に詳しい人が見れば一発でフェイクだということがわかるはず。

それにしても、ディランもスコセッシとの最新インタビュー・シーンでヴァン・ドープという男はどうのこうの…と、まことしやかにコメントしていたりして。なかなか仕込みは本格的だ。ご存じの通り、実際、ここで使われている75年当時の映像はディラン自身が監督した映画『レナルド・アンド・クララ』のために撮影されたものだったわけだが、そういえばなぜか本作には『レナルド・アンド・クララ』についての話題がいっさい出てこなかった。なるほど、そういうことか。

実在しない人物ということだと、後半に出てくる、ジミー・カーターを尊敬するジャック・タナーという政治家。ナイアガラの滝のそばで足止めを食らったとき、カーターから近くでボブ・ディランがコンサートをやっているので電話しておいてやるから見に行けと言われた…というエピソードを披露したりしているけれど、これまた架空の人物だ。エンド・ロールに“ザ・ポリティシャン”としてクレジットされている俳優、マイケル・マーフィが演じている。この人もかなりたくさんの映画や舞台に出ている有名俳優なので、やはりそっち方面に詳しい人が見ればすぐにフェイクだとわかるツクリになっているわけだ。加えて、このジャック・タナーという名前は、大統領選を題材にロバート・アルトマンが監督したモキュメンタリー映画『タナー88』から取られており、このあたり、本作もまたモキュメンタリーであるという種明かしでもあるのだろう。

その他、“ザ・プロモーター”とクレジットされているジム・ジャノピュロスは現在パラマウント映画のCEOだとかで、ローリング・サンダー・レヴューが行なわれていた当時、フォーダム大学で一所懸命法律を勉強している最中。とてもツアーのプロモートなどできる状態ではなかったらしいし。当時19歳でコンサートを見に行ったときディランに誘われてツアーに少し同行したと語っているシャロン・ストーンも、実際には当時17歳で、ツアーに同行などしていないらしいし。ディランはスカーレット・リヴェラとクイーンズにキッスのコンサートを見に行って、そこから顔にメイクするアイデアを思いついたとか言っているけれど、キッスがクイーンズで行なったコンサートというとディランとリヴェラが出会う数年前、小さなクラブに出たことが一回あるだけらしいし。

いやー、面白い。

そういえば、ディランのゴスペル期を再訪したボックスセット『トラブル・ノー・モア』に同梱されていたコンサート・ドキュメンタリー映像でも、ライヴ映像の合間に、俳優、マイケル・シャノンが演じる牧師による説教シーンが印象的に挿入されていた。ディランが“天国か地獄、どちらにいたいか? ハルマゲドンへの準備はできたか? 裁きを受ける覚悟はあるか? 自分の頭でちゃんと考えているか?”などと直截な問いかけをこれでもかとたたみかける「アー・ユー・レディ」を歌い終えてステージをあとにすると、それと交錯するようにシャノンが現われ、きわめて福音的な説教を披露していく。コンサート映像にこの牧師の説教シーンを新たに挿入しようと提案したのはディラン本人だったようだが、それと同じ手触りを今回の『…スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』にも感じ取る。スコセッシ目線で見ると、彼がローリング・ストーンズを題材に構成した『シャイン・ア・ライト』とかにも通じる手触りというか。

おわかりだとは思うけれど、あえて不粋に確認しておくと、フェイクだからダメというわけではないのだ。むしろフェイク・シーンが巧みにぶち込まれていることによってローリング・サンダー・レヴューというものの本質がこの21世紀にぐっと効果的に浮き彫りにされているような感じ。素晴らしい構成力だと思う。他にもまだまだ巧妙に盛り込まれたフェイクがありそうだ。ディランもスコセッシも、まったく一筋縄にはいかない。面白すぎる。半フィクション。半モキュメンタリー。こうなってくると、ジョーン・バエズもジャック・エリオットもラリー・スローマンもサム・シェパードもアレン・ギンズバーグも、みんなどこまで本当のことを語っているのやら…。

解決できない謎が多すぎて、逆にわくわくする。1回先の話になりますが、7月22日のCRTはローリング・サンダー・レヴューをテーマにディランまつりで盛り上がる予定なので、そこでもろもろじっくり検証しましょう! 詳細は追ってまた。今夜もまた見るしかない!(笑)

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