Disc Review

The Rolling Thunder Revue: The 1975 Live Recordings (14CD) / Bob Dylan (Columbia)

RTR14CD

ローリング・サンダー・レヴュー:1975年の記録/ボブ・ディラン

ドクター・ジョンの訃報が届いた朝。ブライアン・ウィルソンのツアー延期の報にも、まあ、本人はちょっと休むだけだと語ってはいるものの、心がざわついて。

時の流れというのは誰に対してでも残酷なまでに平等で。誰にでも別れの時はやってくるわけだけれど。覚悟していることとはいえ、自分がいちばん多感だった時期に心奪われた素晴らしい文化の作り手とかが、こうやって一人、また一人と去っていくのを見るのはやっぱり寂しいものです。受け手であるこっち側も、なんというか、こう、他人事じゃなくて。実際ぼくも2年ほど前に病気で死にかけたりしているわけですが…(笑)。

でも、限りがあるとはいえ、多感だった若いころからずっと愛し続けてきたごきげんな音楽たちを、できるだけ長く楽しんでいきたいものだな、そのためには元気でいないとな、とまじに思う。元気がいちばん。元気でいなければ、今日紹介するこのボックスセットだって聞けなかったわけだし。元気でいればいいことあります。そのために今日も明日も玄米食ってウォーキングだ!(笑)

というわけで、ようやく発売日がやってきましたよー。ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴュー14枚組。ひと月ほど前、すでにこちらのページでひと騒ぎさせていただいているうえ、光栄にも日本盤のライナーも書かせていただいたので、このボックスに関して付け加えたいことはもう特にないのだけれど。

聞けば聞くほど、とてつもない箱だと思う。ボブ・ディランって男の凄さを改めて思い知らされるとともに、ここに記録された時期、海の彼方である種のピークを極めようとしていたディランのステージを生で体験することができなかったのだなぁ…という、今さらながらどうにもできない事実が、もう悔しくて悔しくて。

というか、今回のライナーや拙著『ボブ・ディランは何を歌ってきたのか』に書いたことの繰り返しになるけれど、ぼくたち日本に暮らすディラン・ファンは、ずいぶんと長いことローリング・サンダー・レヴューというものを誤解し続けていた。ローリング・サンダー・レヴューの何たるか、その意義とか、全体像とかを当時まったくつかめずにいた。もちろん、基本的な情報だけはそれとなく耳にしてはいた。75年1月リリースの傑作アルバム『血の轍』をめぐる興奮がまだ冷めやらぬ中、同年夏ごろからディランは新作のレコーディングにとりかかり、その新作をひっさげて秋ごろから新たなコンサート・ツアーを開始するらしい、と。

確かに、75年10月30日、新作アルバムのほうは未発表のままながら、ディランは新たな全米ツアーに乗り出した。それが、古き良き旅芸人たちの美学を全うするかのようなローリング・サンダー・レヴューだった。けど、日本からその実態をつかむことは当時まるでできなかった。唯一の手がかりは翌76年1月にリリースされた噂の新作アルバム『欲望』だったのだけど、実のところ『欲望』がリリースされたころ、すでにローリング・サンダー・レヴューの第一期ツアーは全日程を終了していた。そんなことにも当時ぼくたち、というか、少なくともぼくは気づいていなかった。だいいち、ローリング・サンダー・レヴューに第一期と第二期があったなんて。それすら知らなかった。

だから、ぼくは76年9月、第二期ツアーの模様を収めたライヴ・アルバム『激しい雨』がリリースされたとき、これこそがローリング・サンダー・レヴューと呼ばれる集団のパフォーマンスなのだろうと思い込んだものだ。そして、自作曲に対してひどく荒々しい歌唱とアレンジで自ら狼藉を働いているかのような『激しい雨』のパフォーマンスと、ローリング・サンダー・レヴューの発端となったはずのアルバム『欲望』の音世界との感触の違いに大いに悩まされた。関連が理解できなかった。くらくらした。

仕方ない。今にして振り返れば、第一期ツアーがディランのルーツ再訪の旅で、第二期はまた別の地平を目指し始めた別ものだったことをぼくたちは知っているものの、くどいようだが、とにかく当時は何もわかっていなかったのだから。ディラン自身が監督をつとめ、第一期ツアーの模様を記録した映画『レナルド・アンド・クララ』を見ることができたのは、ようやく78年になってからだった。

おまけに、『レナルド・アンド・クララ』は公開が遅れに遅れたのも当然と言うべき、とんでもない問題作で。通常のコンサート・ドキュメンタリー映画ではなかった。コンサートの出演者や帯同者がそれぞれ台本なしに即興で演じる行為なり会話なりで抽象的な物語を編み上げ、その中にコンサートの様子も挿入されるというもので。人物構成もややこしい。ストーリーもきわめて観念的。確かにライヴ・シーンはふんだんに収められており、1曲1曲のパフォーマンスに関してはそれなりに楽しめた反面、ライヴ以外のシーンの難解さ、意味不明さのせいで今ひとつ内容に集中できず、結局ツアーの全体像は判然としないままだった。

結局、そのあたりの誤解というか、早とちりというか、日本のディラン・ファンの情弱ぶりを根本から解消することできたのは02年になってから。公式ブートレッグ・シリーズ第5集として『ローリング・サンダー・レヴュー』というCD2枚組が蔵出しリリースされたときだった。このアルバムを聞いて初めて、ローリング・サンダー・レヴューというプロジェクトにディランが託した当初の真意をぼくは垣間見ることができた気がした。

で、その真の姿をさらなる臨場感とともに味わわせてくれるのが、今回の14枚組ボックスセット、と。そういうことになるわけだ。詳しい内容は以前書いた紹介記事のほうを参照してください。当時のアメリカといえば、ベトナム戦争が歯切れの悪い終幕を迎え、ウォーターゲイト・スキャンダルが巻き起こり、オイルショックに見舞われ…。混沌のただ中。60年代後半に吹き荒れた共同幻想の夢は破れ、誰もが“個”“私”に逃げ込んでいた。そんなシラけた時代にあって、しかしディランはぬるい現状に対する激しい破壊衝動をたたえながらの雄々しい先祖返りを目論んだ。彼なりのやり口でルーツを探訪し、再検証し、あえてそこに立ち返ることで鎮静した世の中の空気感を粉砕して突き抜けようとした。それがローリング・サンダー・レヴューだったのだな、と。

思い知りましょう。存分に。6月半ばからNetflixで公開される新ドキュメンタリー映像作品『ローリング・サンダー・レヴュー: マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』と併せて、ローリング・サンダー・レヴューの凄みってやつを。

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