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Missin’ You: Little Feat Guitarist Paul Barrére Dead at 71

追悼:ポール・バレア

今年もたくさんの悲しい報せが届いた。またひとつ。ポール・バレア。リトル・フィートのギタリスト/ヴォーカリスト。10月26日、肝疾患の合併症のため、ロサンゼルスのUCLA病院で亡くなった。享年71。

今年、結成50周年ツアーを行なっていたリトル・フィートだけれど、ポールさんの体調のこともあって一部公演が延期されたりしていて。ポールさんもそのツアーへの復帰を目指していたとのこと。そんな大変な状況だったのに、8月の末にはザ・ウェイト・バンドの来日公演のゲストという形でバンドメイトのフレッド・タケットとともに来日を果たしてくれた。感激した。

そのときのことを、先月、朝日新聞に寄せた原稿でも触れている。一部引用させてください。

エリック・クラプトン、トッド・ラングレン、ボズ・スキャッグスらベテラン音楽家の充実した来日公演が続いている。8月末にやってきたリトル・フィートのギタリスト、ポール・バレアにも感動した。C型肝炎、肝臓がんなど病魔と闘い続けた71歳。70年代ロックの美学を受け継ぐザ・ウェイト・バンドの公演へのゲストという形で実現した来日だった。体調ゆえか、椅子に座りながらの演奏ではあったが、流行の最新サウンドとはまるで別ベクトルのルーズなグルーヴに会場全体が酔った。

あ、いや、全体じゃないな。ぼくの近くに座る若い客の一人は、たぶん彼を無理に誘ったのであろう年上の連れに「ヘロヘロっすね。このじいさん、すごいんすか?」と半笑いでたずねていた。そういう客もいた。

ぼくが初めてリトル・フィートを生で見たのは、78年の初来日時。今はなき東京・新宿厚生年金会館で。あれから40年以上。確かにバレアの演奏は弱々しくなった。が、独特のタイム感やダイナミックなスライド・ギターの粘りはそのまま。そこに年輪を重ねた歌声の枯れた語り口が加わって。リジェンドってのはこれだなとシビれた。

なのでその若者の発言にはカチンときた。が、まあ、ぼくも若いころ何もわかっちゃいなかった。わかった気になって身勝手に乱暴なことを口走り悦に入っていた。そういう暴走性もまた若さか、と心を落ち着けた。

もちろん、年寄りならば誰もがすごいわけじゃない。選ばれし者たちの話だ。選ばれし者は老境に入っても絶対的に揺るがない。そうした揺るぎなさにぼくたちの心は躍る。懐メロ? かもしれない。が、懐メロ上等だ。年とって初めてわかった。懐メロが正当に懐メロとして機能するには、懐かしいと受け止められるだけの長い歳月と、それを超越して聞き手の心を震わす楽曲の魅力とが必要なわけで。このハードル、実はなかなか高い。懐かしめるだけの歳月をまだ生きたことがない世代には理解できない感覚だろう。

音楽ジャーナリズムの世界には「常に新しくあらねば」という強迫観念が漠然とある。おかげで、最近だと音像がエクスペリメンタルっぽかったりエレクトロニックっぽかったりするとそれだけで「今の時代に呼吸している」と安易に高評価を与えたり。誰の、どんな今なんだよと突っ込みたくもなるが。新しくなくとも時代を超えて生き残ってきた往年の音楽の底力をナメちゃいけない。ある音楽家がかつて作り上げた音像なり楽曲なりが今の時代にもそのまま有効に機能するならば、その音楽は疑いなく現役なのだ。

(後略)

原稿ではこのあと、本ブログでもとりあげたフランキー・ヴァリの来日公演とか、ビートルズの『アビイ・ロード』50周年再発とかに話が広がる。元記事は有料ですが、読める環境にある方はよろしければご確認ください。

リトル・フィートというバンドのアルバムの国内盤が初めてリリースされたのは1974年。4作目のアルバム『Feats Don't Fail Me Now』が『アメイジング!』なる文字通り驚きの邦題のもと発売されたときのことだ。つまり、彼らの出世作にあたる1973年の3作目『ディキシー・チキン』は当時国内盤では未発売。みんな輸入盤で聞いていた。にもかかわらず、当時のロック喫茶シーンなどで話題になり、口コミが広がり、まだ“ニュー”がついていた『ニューミュージック・マガジン』など一部音楽誌も賑わすようになり、それでようやく次の4作目にして初の国内盤が出た、と。そういう感じ。

もちろんぼくが初めてリトル・フィートのアルバムを買ったのもそのときだった。『アメイジング!』は前作からバンドに途中加入したポール・バレアにとって2作目のリトル・フィート作品。中心メンバーであるローウェル・ジョージの並外れた個性が総合的な形でもっともいきいきと躍動したのが『ディキシー・チキン』だったとすれば、その他のメンバーも含めたリトル・フィートがバンドとして最強の一体感を聞かせたのが『アメイジング!』だった…と、まあ、今振り返ればそう評することができるのだけれど。

買った当初は、いったいリトル・フィートが何者かもわからず、手探りで聞いていた。アルバム中、最初に好きになったのが「スキン・イット・バック」という曲。クールさとホットさが交錯するマジカルなグルーヴと、スライドあり(ローウェル)なし(ポール)双方のギターが入り乱れる印象的なリフにやられた。で、あとで知ったのだけれど、これはポール・バレアの作/リード・ヴォーカルによる楽曲だった。ローウェル・ジョージでもなくビル・ペインでもなくポール・バレア。ぼくのリトル・フィート体験は、ポールさんの個性にぞっこんハマるところからスタートしたのだった。

以降も、『ザ・ラスト・レコード・アルバム』(1975年)の「ロマンス・ダンス」「デイ・オア・ナイト」とか、『タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー』(1977年)のタイトル・チューンや「オールド・フォークス・ブギー」「キーピン・アップ・ウィズ・ザ・ジョーンジズ」「ミッシン・ユー」とか、『ダウン・オン・ザ・ファーム』(1979年)のタイトル・チューンとか…。ポール・バレア中心の楽曲の魅力に大いに盛り上がりながらリトル・フィートの音楽を楽しんできた。ソロ・アルバム群も、再結成してからのフィートの作品群も大好きだった。

それだけに、今回の訃報は寂しい。1970年代、ぼくの体内に最強のロック・グルーヴをたたき込んでくれたもうひとりのギター・ヒーローの旅立ち。ふた月前、彼の素晴らしい生演奏に改めて日本で接することができた幸せに心から感謝します。ありがとう。どうか、安らかに…。

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