
追悼:シェリー・フェブレー
8月22日、シェリー・フェブレーが亡くなりました。
1944年、カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。1950年代から子役として活躍。1958年にスタートしたテレビのホーム・コメディ番組『うちのママは世界一(The Donna Reed Show)』でティーンエイジャーのメアリー・ストーン役を演じて人気を決定づけた素敵な女優さんでした。番組中、彼女が披露した髪型やファッションが当時の一般の女の子たちの教科書になるほどだったとか。
まあ、ぼくは1956年生まれなので、日本でも1959年から1960年代アタマまで放送されていた『うちのママは世界一』にはちょっと遅れた世代。家庭用ビデオとかもなかった時代だから、映像パッケージなどもあるはずもなく。当時、彼女の動く姿というのは本当に限られた機会に出くわす程度。
エルヴィス・プレスリー、1960年代半ばから後半にかけての主演映画『フロリダ万才(Girl Happy)』や『カリフォルニア万才(Spinout)』『ブルー・マイアミ(Clambake)』などにヒロイン役として出ているところを、これまた少し後追いではあったけれど、わー、かわいいなぁ…とか思いながら眺めたのが最初の強烈な記憶かも。
そんな限られた視聴体験の中で接した彼女は、それでもある意味、象徴でした。まだまだ時代的に、何の疑問もなくぼくたちがアメリカに憧れていたころの話。アメリカは政治的にも文化的にもバカに強力でした。戦勝国と敗戦国という相対的な力関係だけでは語れない、何やら絶対的な魅力が当時のアメリカ文化にはありました。多くの日本の少年少女が前述した『うちのママは世界一』をはじめ、『ビーバーちゃん』『サンセット77』『素敵なカレン』といった海外テレビ・ドラマを通して知った異国のライフ・スタイルにショックを受け、その“豊かさ”に熱い眼差しを送り続けていました。
広大な芝生敷きの庭、そこに直接新聞を投げ込む配達の少年、巨大な牛乳瓶、物わかりのいいパパとママ、居間からいきなり2階へと伸びたらせん状の階段、テールフィンをはねあげたアメ車…。そんな中、アメリカのティーンエイジ・ガールのロール・モデル的なイメージを担っていたのがシェリー・フェブレーだった気がします。
1962年に『うちのママは…』のプロデューサー、トニー・オーウェンがドラマの中で彼女に歌わせたのをきっかけに歌手としても活動を開始。本人はいやいやだったらしいけれど、デビュー・シングル「ジョニー・エンジェル」がみるみるうちに全米1位に輝き、1966年ごろまでたくさんのレコーディングを残しました。
この曲たちがまた、どれも愛おしくて。キュートで。いわゆるティーンエイジ・アイドル・ポップの、これまた理想型。コード感、転調、精緻でポップなアレンジ、そして、何よりもシェリーさんの甘く、ちょっとたどたどしい歌声。何もかもがパーフェクトでした。
そんな彼女の歌声をプレイリストにまとめてみました。もともと本人は歌手になる気がなかったとはいえ、けっこうたくさんのシングル、アルバムを遺していて。好きな曲をピックアップしていったらきりがないのだけれど。いつものように12曲限定のプレイリスト。1960年代後半、当時の夫だったルー・アドラーの下、ダンヒル・レコードに残した音源とかまではたどり着かなかったものの、理想のティーンエイジ・ガールの思い出を改めてともにしましょう。
たくさんの夢をありがとう。どうぞ安らかに。
- Johnny Angel (1962.02)
- Johnny Loves Me (1962.05)
- I'm Growing Up (1962.05)
- The Things We Did Last Summer (1962.08)
- Telephone (Won't You Ring) (1962.12)
- Big Star (1962.12)
- Ronnie Call Me When You Get a Chance (1963.03)
- Welcome Home (1963.10)
- Football Seasons Over (1964.01)
- He Don't Love Me (1964.01)
- I Know You'll Be There (1964.09)
- Spring Fever (feat. Elvis Presley) (1965.03)

