
ウィーザー(ゴールド・アルバム)/ウィーザー
リヴァース・クオモも相変わらずずいぶんとこじれているというか。
アルバムの中盤、「C.E.O.」って曲なんか、かの傑作ブルー・アルバムの「アンダン~ザ・スウェター・ソング」の続編みたいな感じなのだけれど。その冒頭、ギターのアルペジオをバックにリヴァースが“また90年代っぽいジャムを量産しているんだ/何か新しいことをしたいんだけど/でも、誰もそんなもの聞きたがらない/みんなクラシックな曲しか求めていない/まあ、彼らを責めるわけにはいかないよ/君の初期の曲には何かがあるんだから…”みたいなことをぶつぶつ言っていて。
で、直後“本物のオトナにならなきゃ/文句言ってる場合じゃない/みんなが求めるものを与えなきゃ…”とか歌い出して。“ぼくはコネチカット出身のただのガキだった/部屋でひとり、タスカム688で遊んでた/あのころが懐かしい…”とか(笑)。
そういう時期なのかな。でも、ブルー・アルバムから30年以上。多くのアーティストがキャリアを重ねる中で直面する、“常に変わり続けていかなければ、常に何か新しいもの何か…”的な症候群のただ中にいるのかな、とも。ただ、先日のローリング・ストーンズの新作とか聞いて感じるのだけれど。もし、あるアーティストがかつて作り上げた斬新な音像なりサウンド・コンセプトなりが今の時代にもそのままの形で有効に機能するのならば、その音楽は疑いなく“現役”なのだし、それを作り上げた当人たちがえんえんやり続けることに何ら問題はないというか、むしろその当人たちがやり続けなきゃ意味がないというか。
かつてヴァン・ダイク・パークスにインタビューしたとき、彼が「モーツァルトはかつて同じような曲ばかり書く、と批判された。それに対し、モーツァルトは“私は同じ曲を書くために金をもらっているんだ”と反論した。その言葉に私はほっとしたよ。ある意味、私も同じことを繰り返しているからだ。そう、クリシェだ。そうしないようには努力しているが、避けることはできない」と話してくれて。
なるほどなー…と思ったものです。
というわけで、今回のウィーザー。いろいろ逡巡はありそうだけれど、徐々に中堅ミュージシャン特有の“何か新しいものを”症候群をくぐり抜けて、ベテランならではの境地に 向かってくれそうな感触を予感させる仕上がりで。
けっこう初期同様、ギターをコンピューターにではなくモノホンのアンプにぶちこんで大音量で鳴らしている手触りも全編に満ちあふれていて。楽しめました。何が何でも新しくなければいけない…という強迫観念にとらわれたタイプの耳にこの音がどう届くのか想像もつかないけれど、幸運にもそういう耳を持ち合わせていないぼくは、もう1曲目から盛り上がりっぱなし。
アコースティックな感じでスタートして緩急を活かしながらヴィンテージ・ウィーザー・サウンドとも言うべき音像を聞かせてくれる「アップ・イン・ザ・クラウズ」とか、ぐっときました。客演したウェンズデイのカーリー・ハーツマンが“惨めな気分になっているときでも、それは快楽主義と言えるの?”というキラー・フレーズを歌う「ウィー・マイト・アズ・ウェル・ビー・ストレンジャーズ」もいい。
やっぱ、ウィーザーだね。

