エルヴィス・バック・イン・ナッシュヴィル/エルヴィス・プレスリー
今さら言うまでもないことだけれど。エルヴィス・プレスリーの魅力はハードなロックンロール曲やセクシーなバラードだけではなく。セイクレッド・ソング。宗教歌。これがまたいいのだ。もともと敬虔なクリスチャンであったこともあり、エルヴィスのゴスペルやクリスマス・ソングは、しみる。まじ、泣ける。
彼がデビュー前の1953年、ゴスペル・カルテットのオーディションを受けたことがあるというのは有名なエピソードだろう。その後、メジャー・デビューを飾ってからも、エルヴィスはレコーディングの際、必ずジョーダネアーズ、インペリアル・カルテット、ヴォイスなど白人男性ゴスペル・グループをそばに置き、休憩時間にピアノを囲んで大好きなゴスペルを次々歌いまくっていた。
デビューして人気爆発して以降、まさか今さらゴスペル・グループに入るわけにもいかず、ならばゴスペル・グループのほうを呼んでしまえばいい…ということだったのだろうか。エルヴィスは自分の中の区切りを必ずゴスペル・セッションで付けてきた。迷ったとき、疲れたとき、壁にぶち当たったとき、エルヴィスはゴスペルや讃美歌を無垢に、淡々と歌い綴ることによって、過酷な芸能活動の中でふと忘れがちになる自らのルーツを無意識のうちにも見直そうとしていた。
1回目のゴスペル・セッションは1960年10月。のちにアルバム『心のふるさと(His Hand in Mine)』にまとめられることになるセッションだ。このときは、シングル曲「サレンダー」も録音されており、むしろこの曲を録るために用意されたセッションを利用して、エルヴィスが好きな宗教歌を歌いまくった、という感じだったのかもしれない。
人気絶頂だった1958年に米陸軍に徴兵されドイツへ。音楽活動を半ば強制的に中断させられた後、1960年に除隊してシーン復帰。また急激に動き出した時期を乗り切るための彼なりの防衛策だったのだろうか。このセッションで心の平静を取り戻し、以降、1961年にかけてのエルヴィスは穏やかな、胸に染み入るようなバラード作品で完璧なパフォーマンスを聞かせるようになった。ロックンロールのヒーローからアメリカン・ポップス全般を代表するスーパースターへの成長だった。
そうした穏やかなエルヴィスの一面が、しかし徐々に強調されすぎていき、1960年代半ば、軽めの主演映画サウンドトラック録音ばかりが目立つようになると、そこで2度目のゴスペル・セッションだ。1966年5月。基本的にはアルバム『ゴールデン・ヒム(How Great Thou Art)』として世に出たゴスペル・セッションだったが、同時にエルヴィスはR&Bグループ、クローヴァーズの「横町を下って(Down in the Alley)」や、ボブ・ディランの「明日は遠く(Tomorrow is a Long Time)」、エタ・ジェイムス〜クライド・マクファターの「いつも夢中(Come What May)」、ドリフターズの「恋のあわてん坊(Fools Fall in Love)」などをカヴァー。無自覚な映画音楽漬けになり、本来持っていたはずの柔軟かつ雄大な“幅”を失いつつあったエルヴィスが再度、かつてのパワーを取り戻した瞬間だった。ゴスペルに加え、R&Bやディラン・ナンバーをカヴァーすることによってエルヴィスは改めて自らのルーツを強く意識し始める。ここから、いよいよ1968年のカムバック・スペシャルに向かう大きな流れがスタートした。
そして、3回目は1969年以降のライヴ黄金時代の過密スケジュールのさなか、1971年3月、5月、6月にナッシュヴィルのRCAスタジオBで行なわれたセッション。ここで録音された曲はのちにアルバム『初めてのクリスマス(Elvis Sings the Wonderful World of Christmas)』『エルヴィス・ナウ』『至上の愛(He Touched Me)』『フール(Elvis)』などに振り分けて発表されており、全てが宗教歌だったわけではないのだが。
宗教歌やクリスマス・ソングを多く交えてのレコーディングだったため、エルヴィスの気持ちがより深く歌の中に入り込んでいる。途中、続発性緑内障のために急遽入院するというアクシデントがあったり、当時の奥さま、プリシラとの気持ちのすれ違いが表面化したり…。そんな精神的な苦しさゆえ、このセッションをきっかけにエルヴィスの表現がより内省的でスピリチュアルなものへと変化していった。
と、そんな1971年のナッシュヴィル・セッションの模様を新たな視点から編み直してリリースされたのが『エルヴィス・バック・イン・ナッシュヴィル』。2019年に出た『アメリカン・サウンド1969』、2020年の『フロム・エルヴィス・イン・ナッシュヴィル』に続くレコーディング・セッション50周年記念ボックスで。前『フロム・エルヴィス・イン・ナッシュヴィル』同様、CD4枚組というボリュームで1971年のナッシュヴィル・セッションの模様を多角的に振り返ったものだ。
これまた前ボックス同様、時に過剰になりがちだったオーヴァーダビング分を省いたオリジナル・セッション・レコーディングの模様を、近年、一連のエルヴィス再発のリミックスを手がけてきている売れっ子エンジニア/プロデューサーのマット・ロス=スパングが新たにリミックス。ジェイムス・バートン(ギター)、チャーリー・ホッヂ(ギター、コーラス)、チップ・ヤング(ギター)、ノーバート・パットナム(ベース)、ジェリー・キャリガン(ドラム)、ケニー・バットリー(ドラム)、デヴィッド・ブリッグズ(ピアノ)、チャーリー・マッコイ(ハーモニカ、オルガン)ら前年のマラソン・セッションから引き続きの常連メンバーを従え、エルヴィスも一緒にスタジオ入りして“せーの”で録音されたパフォーマンスを力強く現代によみがえらせるニュー・アンダブド・ミックスを仕上げてみせた。
まず、ディスク1の冒頭7曲が“ザ・カントリー/フォーク・サイド”。1971年のセッションで録音されたカントリー系、フォーク系のレパートリーがまとめられている。バフィ・セント・メリー作の「別れの時まで(Until It's Time For You To Go)」、ゴードン・ライトフット作の「朝の雨(Early Morning Rain)」、クリス・クリストオファソンの「ひとりぼっちの夜(Help Me Make It Through The Night)」、ボブ・ディランの「くよくよするなよ(Don’t Think It Twice, It’s All Right)」、ロバータ・フラックの当たり曲としておなじみの「この愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」に加えて、スピリチュアルの「アメインジング・グレイス」も。
続く3曲が、“ザ・ピアノ・レコーディングズ”。偉大なR&Bシンガー、アイヴォリー・ジョー・ハンターのレパートリー、「イッツ・スティル・ヒア」「アイル・テイク・ユー・ホーム・アゲイン・キャスリーン」「愛を誓おう(I Will Be True)」が収められている。この年のセッションで、ぼくが個人的にいちばん好きなのがこのアイヴォリー・ジョー・ハンターものだ。エルヴィス自身がピアノを弾きながら、誰に向かってでもなく、自分の心に向かって淡々と歌いかけているかのような感触に胸が震える。いつ聞いても泣ける。
以降、ディスク1の後半が“ザ・ポップ・サイド”。「アイム・リーヴィン」「イッツ・オンリー・ラヴ」「パドレ」「マイ・ウェイ」といったおなじみどころの他、トニー・マッコーリー&ロジャー・グリーナウェイ作の「僕についてきておくれ(Love Me, Love The Life I Lead)」、ジェイムス・バートンの名ギター・ソロが炸裂する「恋は愚かというけれど(Fools Rush In)」など。
ディスク2の前半13曲は“ザ・レリジャス・サイド”。「ヒー・タッチト・ミー」「リード・ミー、ガイド・ミー」「夕べの祈り(An Evening Prayer)」「サインはピース(Put Your Hand in the Hand)」などゴスペルものが集められている。後半12曲が“ザ・クリスマス・サイド”。文字通り、ホリデイ・シーズン向けの讃美歌やクリスマス・ソングがずらり勢揃いだ。必殺のオリジナル・クリスマス・ブルース「メリー・クリスマス・ベイビー」のアンエディテッド・ヴァージョンとか強力だ。
ディスク3はディスク1に収められた曲が生まれたセッションからのアウトテイクやリテイク集。ディスク4の前半11曲が“ザ・レリジャス・アウトテイクス”と題されたディスク2前半のゴスペル・セッションからのアウトテイク集、後半9曲が“ザ・クリスマス・アウトテイクス”と題されたディスク2後半のクリスマス・アルバム・セッションからのアウトテイク集。
ディスク3と4を中心に、ボックス全般にわたって記録されているスタジオ内でのエルヴィスの生の姿が、やはりファンにとってはやたら興味深い。スタッフやミュージシャンたち、ゴスペル・カルテットの面々などといきいき言葉を交わしたり、思いつきでいろいろな曲を急に歌ってみせたり…。1970年代ボックスで既発の音源ではあるが、ポップ・サイドのアウトテイク集の中に含まれている「アイ・シャル・ビー・リリースト」の一節とか、ほんの1分足らずのスニペットではあるものの、ぐっとくる。ザ・レリジャス・アウトテイクスのパートも胸にしみる。日々、心を痛める出来事ばかりだった当時の悩めるエルヴィスにとって、現実での様々な苦悩を忘れ、乗り越えられる唯一の瞬間が歌っているときだったのかもしれない。そんな様子が生々しく伝わってくる音源たちだ。
ともあれ、この1971年レコーディング・セッションを経て、エルヴィスはふたたび心機一転。翌年、エルヴィスは1970年代を代表する名演「アメリカの祈り(An American Trilogy)」や、久々のトップ10ヒット「バーニング・ラヴ」を生み出し、さらに1973年1月のアロハ・フロム・ハワイ公演へ。いわゆる“カムバック”後のピークをきわめていくことになるのでありました。