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RIP Margo Guryan, 1960s Baroque Pop Angel...

追悼:マーゴ・ガーヤン

1960年代後半のサンシャイン・ポップ/ハーモニー・ポップ/バロック・ポップ。日本では独自に“ソフト・ロック”とか呼ばれるタイプの音楽のことだけれど。そうした音楽が1990年前後に後追いで再評価されることになった際、ブームを牽引する立役者的存在となったアーティストというと、ロジャー・ニコルス、カート・ベッチャー、ハーパース・ビザール、サークル、リズ・ダモン、クロディーヌ・ロンジェ…。

そして、マーゴ・ガーヤンだ。

1968年に彼女がたった1枚、自らパフォーマーとしてベル・レコードに残した名盤『テイク・ア・ピクチャー』はオリジナル・リリース当時、ほとんど売れなかったアルバムではあったのだけれど。それが後年、新世代のポップ・リスナーたちの耳に届き、1960年代サンシャイン・ポップ〜バロック・ポップの歌姫のひとりとして大いに再評価されることになった。特に日本ではいち早く『テイク・ア・ピクチャー』のCD化再発が実現。当時の“渋谷系”周辺のミュージシャンの間でも大いに話題を呼び、この種の音楽ジャンル全般の再評価ブームの火付け役のひとつとして大きな役割を果たした。

そんな、日本のポップス・ファンにとって恩人とも言える大切なアーティストのひとり、マーゴ・ガーヤンがこの11月8日、カリフォルニア州ロサンゼルスで亡くなった。享年84。

1937年、ニューヨーク生まれ。幼いころからピアノに親しみ、作詞作曲も手がけ、なんとハイスクール時代には早くもアトランティック・レコードと契約。当初はパフォーマーとしての契約だったようだけれど、今では彼女の大きな魅力のひとつとしてとらえられている極上のウィスパリング・ヴォイスが、しかしシンガーとしては“弱い”と受け止められてしまったらしく、まずはソングライターとして活躍するようになった。1958年、マーゴが20代になったばかりのころ、彼女の作品「ムーン・ライド」をクリス・コナーがレコーディングしている。

その後、徐々にジャズに傾倒。1959年にはマサチューセッツ州レノックスで定期的に行なわれていた夏期ジャズ講習を受け、ビル・エヴァンス、マックス・ローチ、ミルト・ジャクソン、ジム・ホールらからさまざまなことを学んだ。オーネット・コールマンやドン・チェリーとはピアニストとして共演も果たしたという。この時期はジャズ・フィールドでの活動が中心で、そんな中出会ったトロンボーン奏者/ピアニスト、ボブ・ブルックマイヤーとの結婚〜離婚も経験している。

やがて1960年代半ば、音楽仲間のひとりだったソングライター、デイヴ・フリシュバーグの勧めでビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を聞き、“この音楽はジャズの世界で起こっていることよりもすごい”とショックを受けて改めてポップ・フィールドへ。当時のポップ・シーンで起こりつつある新たな潮流を反映した楽曲を書くようになった。そのころ彼女はCTIレコードのボス、クリード・テイラーの秘書としても働いており、テイラーの紹介でコロムビア・レコードの出版部門を担っていたエイプリル/ブラックウッド・ミュージックと契約。そこで未来の夫でありプロデューサーであるデヴィッド・ロスナーと出会った。

そんな時期に生まれた名曲のひとつが「シンク・オヴ・レイン」だ。ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る(God Only Knows)」にインスパイアされてマーゴが書いたという作品。これを1967年、ジャッキー・デシャノン、クロディーヌ・ロンジェ、ボビー・シャーマンらがこぞって取り上げた。未発表に終わったもののハリー・ニルソンやサークルもレコーディングしている。さらに同時期、「サンデイ・モーニング」をスパンキー&アワ・ギャングが取り上げ、シングル・リリース。1968年にかけてヒットした。オリヴァーやグレン・キャンベル&ボビー・ジェントリー、ジュリー・ロンドンらも相次いでカヴァー。マーゴへの注目が静かに高まるようになり、1968年、ついに自らパフォーマーとしてベル・レコードとアーティスト契約を結び、初ソロ・アルバム『テイク・ア・ピクチャー』を制作した。

ジョン・サイモン、ジョン・ヒル、デヴィッド・ロスナーがプロデュース。ポール・グリフィンやバディ・サルツマンら名プレイヤーがバックアップ。マーゴならではの繊細さとキャッチーさが共存する洗練された楽曲が、独特のウィスパリング・ヴォイスで綴られてゆく素敵な1枚だった。曲によってはバッハを引用していたり、アヴァンギャルドかつサイケデリックなジャズ・アプローチが聞かれたり。マーゴの幅広い音楽的素養が凝縮された仕上がりで。業界的には評価も悪くなかったようだが、マーゴがアルバムをプロモーションするためのツアーに出ることを拒否したことなども影響し、セールス的には満足のいく結果を残せずじまい。このアルバムをリリースした時点ですでに31歳という、当時としては遅すぎるデビューだったこともマイナスに働いたか、マーゴはパフォーマーとしての活動から身を引き、以降、ソングライターとして、あるいはピアノ教師として活動していくことになったわけだけれど。

やがて、先述した通りまず日本で先行して彼女の再評価の気運が高まり、その後、1998年にセント・エチエンヌが、かつてトミー・リピューマの依頼でクロディーヌ・ロンジェのためにマーゴが書いたクリスマス・ソング「あなたのいないクリスマス(I Don't Intend to Spend Christmas Without You)」をカヴァーしたあたりで一気にピークに。2000年以降はさまざまなフォーマットでの再発も各国で続き、充実したデモ録音の発掘なども行なわれ、今やこの種の1960年代サンシャイン・ポップの代表的アーティストとして受け止められるようになった。

繰り返しになるけれど、日本の音楽ファンにとって、1960年代後半のアメリカン・ポップスの洗練と浮遊感とを教えてくれた大切な大切な恩人のひとり。素敵なポップ・ドリームをありがとう。ご冥福をお祈りします。安らかに…。

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