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Murder Most Foul / Bob Dylan (Columbia)

マーダー・モスト・ファウル/ボブ・ディラン

アラン・メリル、マヌ・ディバンゴ、志村けん…。エンタテインメント界でも新型コロナ・ウイルスを巡る悲報が続く。やりきれない。未知のウイルスは、今やずいぶんと具体的な手触りをもってぼくたちを追い詰め、脅かし始めた。でも、相変わらずぼくたちにできることは限られていて。なのに、国は頼りなく。各自がんばってくれ的な、ぼんやりしたこと言うばかり。何か早急にしてくれそうな感触もなくて。

なので、自分でできることをやり続けるしかない。出かけるときはできるだけ混み合ったところには行かないようにして、全然買えないけどなんとかマスクをして、うがい・手洗いして。あとはおうちにこもる。

いろいろなアーティストが、YouTubeとかを通して、それぞれのおうちからパーソナルなパフォーマンスをぼくたちにプレゼントしてくれたりしているので、この機会をポジティヴにとらえ、そういうのを堪能したいものです。その一環として、来月に予定されていた来日ツアーがコロナ危機で中止になってしまったボブ・ディランも未発表曲を届けてくれた。

17分弱という長尺曲「マーダー・モスト・ファウル」。すでにあちこちで解説されている通り、1963年11月22日、テキサス州ダラスで起こったジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件をとっかかりに、1960年代という時代に渦巻いた様々な“高まり”と“混沌”と“終焉”をぶちまけたかのような1曲だ。

もちろん、いつものことながら、ぼくはまだまだこの曲の歌詞の真意をつかみかねている。ボブ・ディランという人の曲は、いつだってそういうものだ。いろいろ締め切りに追われている身ではありますが。ディランが新曲出してくれちゃったんだから。仕方ない。せっかくおうちにこもっていることだし。聞きまくりました。で、しびれました。ピアノとコントラバスとチェロ(ヴィオラ?)と、遠くのほうでドラムが鳴っていて…という音像も深い。

Apple Musicのストリーミングには歌詞も掲載されている。ありがたい。で、なんとなく気ままに段落というか、かたまりがいくつかに分けられているのだけれど。ディランお得意の、曲名が入るところでヴァースが区切られているというフォーマットで考えると、全体は4番まである感じ。その分け方で言うと、1番の最後のほうに、おなじみのラジオDJ、ウルフマン・ジャックの名を連呼する個所があって。その後から、どんどん1960年代を象徴するような曲の名前とか映画や小説の題名とかアーティストの名前とかが飛び出してくる。実に興味深い。

どの時期に書かれた曲なのかは微妙に不明ながら、ディランがなぜこの曲を書き、なぜ今、このタイミングで世に出してきたのか、そのあたりを深く探っていくとっかかりとして、それらキーワードをリストアップしてみようと昨日思い立って。

で、メモしてみました。ものすごく長くなってしまい、びびりました(笑)。2番に入って、いきなり“Hush little children…”という歌詞が出てきて。ジョーン・バエズやピート・シーガー、PPMらが公民権運動のころによく取り上げていた「私の試練(All My Trials)」の歌い出し“Hush little baby, don’t you cry”を思い出したり。“階段の手すりを滑り降りて、コートをつかめ(Slide down the banister, go get your coat)”という歌詞が1964年の映画『メリー・ポピンズ』を想起させたり。いろいろイメージが広がる表現も散りばめられているのだけれど。

そのあたりまで触れ始めると、妄想も多くなりそうなので(笑)。とりあえず具体的な固有名詞っぽいものだけリストアップしてみます。まだ見逃し、勘違い、いっぱいあるとは思うけれど、とりあえずの途中経過ってことで。いちおうお断りしておきますが、別に歌詞の解釈ではないです。出てくる曲名とかの単なる極私的メモです。ものすごく長いうえに、とっちらかってます。あしからず。

まず、2番のアタマ、ビートルズの名前が出てくるあたりから——。

■抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)
JFK暗殺のほんの少し後、1963年11月29日にイギリスで、12月26日にアメリカでリリースされ、本格的にビートルズ人気を爆発させることになった代表曲。“They're gonna hold your hand”という形で歌詞に織り込まれている。いきなり、この時期が時代の変換点だったことが示唆される。

■マージー河のフェリーボート(Ferry Cross the Mersey)
ビートルズ同様、ジョージ・マーティンのプロデュースの下、アメリカでも大当たりをとった英国バンド、ジェリー&ザ・ペースメイカーズ、1964年のヒット。

■ピック・アップ・ザ・ピーセズ
これは曲名ではなく、単なる文章かも。もし曲名にも引っかけているのだとしたら、1974年にアヴェレイジ・ホワイト・バンドが放ったインスト・ヒットのタイトルなのだけれど。

■ウッドストック・フェス/オルタモント・フリーコンサート
1969年8月、ロックを巡る共同幻想のピークとして語り継がれる“愛と平和の祭典”ウッドストック・フェスと、同年12月、演奏中に観客が殺害される事件が起こりウッドストックと対照的に語られる“オルタモントの悲劇”と。“ウッドストックに行こう。水瓶座の時代だ/それからオルタモントにも行って、ステージのそばに座るんだ(I'm goin' to Woodstock, it's the Aquarian Age / Then I'll go over to Altamont and sit near the stage)”という形で、夢の頂点と崩壊を描いている。

■レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール
ルイ・ジョーダンが1946年に放ったジャンプ・ブルース、あるいはニューオーリンズの男女デュオ、シャーリー&リーが1956年に放ったポップR&B。

■ディープ・エラム・ブルース
JFKが撃たれたとき、車列はダラスのエルム街を通過中。その流れで“ディープ・エラム”という地名をディランは持ち出す。古くから黒人も多く居住するダラスのダウンタウン東のエンタテインメント地区で、レッドベリー、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ブラインド・ウィリー・ジョンソンらの本拠としても知られている。そこを題材にしたトラディショナル曲が「ディープ・エラム・ブルース」。1930年代から、シェルトン・ブラザーズ、ジェリー・リー・ルイス、ボビー・ジャクソン、メアリー・マッコイ&ザ・サイクロンズ、グレイトフル・デッド、リヴォン・ヘルム、ロリー・ギャラガーらが歌ってきた。ディランも1962年ごろレパートリーに入れていた。

■クロスロード・ブルース
1937年、ロバート・ジョンソン作。ディランは“I’m going down to the crossroads, gonna flag a ride”と1行引用している。

■ショットガン
2番の終わり近くに出てくる“Shoot him while he runs”という歌詞は、ジュニア・ウォーカー&ジ・オールスターズが1965年に放ったヒット「ショットガン」の“Shoot 'em 'fore he run”という歌詞を想起させる。英語のこと、よくわからないけど、成句なのかな? この曲は公民権運動に絡んだものだけれど、その後に出てくる“See if you can shoot the invisible man”という歌詞に織り込まれた“The Invisible Man”はラルフ・エリソンが1952年に出版した小説『見えない人間』のことか。こちらも人種問題を扱った一冊だった。

■さよならチャーリー(Goodbye Charlie)
これは映画。デビー・レイノルズ主演の1964年作品だ。とともに、“チャーリー”というのがベトナム戦争の間、ベトコンに対する蔑称として使われていたことも脳裏をよぎる。それに対して、直後、アメリカの象徴“アンクル・サム”への呼びかけが…。

■風と共に去りぬ(Gone With the Wind)
これも映画。“Frankly, Miss Scarlett, I don't give a damn”という歌詞は、この1939年の映画のエンディング近くで、レット・バトラー(クラーク・ゲイブル)がスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・レイ)に向かって放つセリフ“俺の知ったことか(Frankly, my dear, I don’t give a damn)”をもじったものだ。

■トミー、聞こえるかい(Tommy Can You Hear Me?)/アシッド・クイーン(The Acid Queen)
ザ・フーによる1969年のロック・オペラ『トミー』の収録曲2曲のタイトル。

■ロング・ブラック・リムジン
“I'm riding in a long, black Lincoln limousine”という歌詞は、ザ・フーの『トミー』と同じ1969年、エルヴィス・プレスリーがリリースした『フロム・エルヴィス・イン・メンフィス』でカヴァーしていた「ロング・ブラック・リムジン」を思わせる。作者であるヴァーン・ストーヴァルをはじめ、ゴードン・テリーやグレン・キャンベルらも取り上げている曲だが、最初のヒット・ヴァージョンはカントリー畑のジョディ・ミラーによる盤。その後、ソウル・シンガー、O.C.スミスも取り上げ、エルヴィスはそのヴァージョンを参考にカヴァーしていた。大都会での成功を夢見て旅だったスモールタウンの女の子が故郷に帰ってきたとき、彼女は霊柩車に乗っていた…という内容のメッセージ・ソング。

■君住む街角(On the Street Where You Live)
“We're right down the street, from the street where you live”という歌詞が、この1956年のミュージカル『マイ・フェア・レディ』の挿入歌を思わせる。JFK暗殺の翌年に、オードリー・ヘップバーン主演で映画化もされた。ちなみに、この曲の作者、アラン・ジェイ・ラーナー&フレデリック・ロウのうちラーナーのほうはJFKのハーバード大学時代の学友だとか。

■愛しておくれ(Send Me Some Lovin')
リトル・リチャードが1957年にリリースしたヴァージョンがもっとも有名か。その他、サム・クック、バディ・ホリー、ブレンダ・リー、スティーヴィー・ワンダー、オーティス・レディング、ジョン・レノンらのカヴァーもおなじみのR&Bバラード。この曲名に続いて“Send me some lovin', then tell me no lie”と歌われる“tell me no lie”のほうは、アンディ・カーク&ヒズ・クラウズ・オヴ・ジョイ(ヴォーカル、ジューン・リッチモンド)の「ベイビー・ドント・ユー・テル・ミー・ノー・ライ」のことかな…?

■ウォーク・オン・バイ
これも特に引用じゃなく、普通の表現として書かれた文なのかもしれないのだけれど(笑)。とりあえず。ご存じ、ハル・デヴィッド&バート・バカラック作、1964年にディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした名曲のタイトル。

■起きろよスージー(Wake Up Little Susie)
エヴァリー・ブラザーズ、1957年のヒット。ディランで“スージー”というと、ついついスージー・ロトロのことを思い出しちゃうのだけれど、さすがにそれはないか。でも、確かスージーの自伝に、JFK暗殺のニュースを一緒にテレビで見た、ディランはひどくショックを受けていた、みたいな記述があった気が…。

■墓場まであと6マイル(Six More Miles To The Graveyard)
ハンク・ウィリアムス、1948年の作品。

■ディジー・ミス・リジー
ビートルズがカヴァーしたことでもおなじみ、ラリー・ウィリアムス、1958年の強力なロックンロール・チューン。

■パッツィ・クライン
1950〜60年代初頭、大いに人気を博したカントリーの歌姫。ディランは“I'm just a patsy like Patsy Cline”と綴っている。これはJFK暗殺の実行犯、リー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕後、「私は誰も撃っていません。誰かが私に罪をかぶせたのです(I didn’t shoot anybody, no sir…I’m just a patsy)」と語った言葉に引っかけているようだ。

■ブラッド・イン・マイ・アイズ
ディランもアルバム『奇妙な世界に(World Gone Wrong)』でカヴァーしていたミシシッピ・シークスの1932年作品のタイトルも歌詞に織り込まれている。

■何かいいことないか子猫チャン(What's New,Pussycat?)
2つめのハル・デヴィッド&バート・バカラック作品のタイトル。1965年の同名映画の主題歌だ。

■ホワッド・アイ・セイ
1959年、レイ・チャールズのヒット曲。

■若死にするのは善人だけ(Only The Good Die Young)
ビリー・ジョエル、1977年の作品。このあたりからは、キャディラックのリムジンに居残るJFKの亡霊がカー・ラジオで吼えるDJ、ウルフマン・ジャックに、誰それのためにあの曲を聞かせてくれ…とリクエストする形になっていく。

■トム・ドゥーリー
19世紀に殺人の罪で絞首刑になった男を主人公に据えたフォーク・ソング。アメリカ史を象徴する醜悪な殺人つながり、という感じか。1958年にキングストン・トリオのヴァージョンが全米1位に輝き、モダン・フォーク・リヴァイヴァル・ブームに火が点いた。そのブームの中、ディランもデビューを果たすことになる。

■セント・ジェームス病院(St. James Infirmary)
1928年のルイ・アームストロング盤以降、多くのアーティストによって取り上げられてきたトラディショナル・ブルース。続いて歌詞に登場する“the Court of King James”のジェイムスが誰なのか、セント・ジェイムスのことなのか、誰か他のジェイムスなのか…。

■アイド・ラザー・ゴー・ブラインド(I’d Rather Go Blind)
キング・ジェイムスは誰だかわからないまま、しかし、続いて登場するのはクイーン・ジェイムス。R&Bの女王、エタ・ジェイムスだ。この曲は1967年の作品。

■ジョン・リー・フッカー
「ブーン・ブーン」「ブギー・チレン」などでおなじみのブルースマン。

■ベイビー・スクラッチ・マイ・バック
歌詞に出てくる“Scratch My Back”は、たぶんスリム・ハーポが1965年に発表したブルース「ベイビー・スクラッチ・マイ・バック」のことかなー、と。ジャックのためにかけてくれ、と言っているけれど、このジャックはオズワルドを射殺したナイトクラブ・オーナー、ジャック・ルビーのことだろう。

■ギター・スリム
必殺の「シングズ・ザット・アイ・ユースト・トゥ・ドゥ」でおなじみ、ニューオーリンズのブルースマン。

■ゴーイン・ダウン・スロウ
ハウリン・ウルフやボビー・ブランドも取り上げているブルース・スタンダード。この曲は“私とマリリン・モンローのために”聞かせてくれ、とJFKの亡霊は言う。ジャッキーもリムジンに同乗しているのに…。

■悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)
そんなファースト・レディ、ジャッキーのために聞かせてくれ、と歌われるのは1964年にニーナ・シモンが発表した曲。翌年のアニマルズ・ヴァージョンがおなじみだ。

■ドン・ヘンリー/グレン・フライ/テイク・イット・トゥ・ザ・リミット
イーグルス関連がいくつか。「テイク・イット・トゥ…」は1975年のアルバム『呪われた夜(One Of These Nights)』の収録曲。ヘンリー、フライとランディ・マイズナーの共作曲だ。

■カール・ウィルソン
ビーチ・ボーイズのメンバー。ディランがカールに言及したことに、ちょっとたじろいだけど、“Play it for Carl Wilson, too / Looking far, far away down Gower Avenue”と歌っていて、この後半のほうはウォーレン・ジヴォンの1976年のアルバム『さすらい(Warren Zevon)』に収められている「命知らず(Desperados Under The Eaves)」の歌詞“Look away down Gower Avenue”に対応したもの。で、その曲にはカールがバック・コーラスとコーラス・アレンジで参加している、と(笑)。遠いけど、そういうことみたい。

■トラジェディ
トーマス・ウェインが1959年に、フリートウッズが1961年にヒットさせたティーンエイジ・ポップ・チューン。ポール・マッカートニー&ウイングスのカヴァー・ヴァージョンもおなじみか。でも、歌詞を見るとカッコに囲まれていないので、普通に『ハムレット』の“悲劇”にかけただけかも。

■トワイライト・タイム
1940年代にスリー・サンズやレス・ブラウン楽団がヒットさせた曲。1958年にプラターズがヒットさせたヴァージョンが有名だろう。

■テイク・ミー・バック・トゥ・タルサ
1941年、ボブ・ウィルズ&ザ・テキサス・プレイボーイズがヒットさせたウェスタン・スウィング・チューン。

■地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)
クイーンまで出てきた(笑)。1980年のヒット。暗殺が相次いだ1960年代のアメリカをこの曲に象徴させているのかも。

■丘に立てる荒削りの十字架(The Old Rugged Cross)
1912年に作られた聖歌。

■イン・ゴッド・ウィー・トラスト
我らは神を信ずる、という、アメリカの貨幣にも刻印されている標語みたいなものだけど、この文句を流用した『イン・ゴッド・ウィー・トラスト・インク』というタイトルのアルバムを1981年に出したバンドがいて。その名は“デッド・ケネディーズ”…。シャレにならない(笑)。

■桃色の馬に乗れ(Ride the Pink Horse)
1947年の映画。フィルム・ノワール。原作本もある。

■ロング、ロンサム・ロード
これもいろいろな曲とか歌詞とか、様々なところでちょいちょい目にする表現だけど。たぶん、ジョン・ローマックスが1937年にフィールド・レコーディングしたというフォーク・ソングのこと、かなぁ…と。

■ミステリー・トレイン
ブルースマン、リトル・ジュニア・パーカー作。1955年、エルヴィス・プレスリーがカヴァーしたヴァージョンが有名だ。この列車は彼女を奪い去っていくのか、連れ戻してくれるのか、祝福に向かう疾走なのか、葬列へと誘う旅なのか…。様々な謎が渦巻く“アメリカの寓話”。この曲をかけてやってくれ、という対象の“ミスター・ミステリー”というのは誰だろう。サン・ラが自分のことをそう呼んだことがあったみたいだけど、まさかね。

で、この辺からは固有名詞の連射なので、少々、順不同気味に同趣向のものをざっくりまとめていくと——。

■オスカー・ピーターソン/スタン・ゲッツ/アート・ペッパー/セロニアス・モンク/チャーリー・パーカー/バド・パウエル
全員、モダン・ジャズの偉人たち。中でも面白いのは“Play ‘Love Me or Leave Me’ by the great Bud Powell”と描かれるバド・パウエルか。パウエルは1920年代に作られた「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」そのものをレコーディングしていなくて、この曲のコード進行を利用した「ゲット・イット」という曲を1958年のアルバム『スウィンギン・ウィズ・バド』でやっている、というひねりワザ。

■ブルー・スカイ/ディッキー・ベッツ
アーヴィング・バーリン作、1920年代の「ブルー・スカイ」という曲もあるけれど、そのあとでディッキー・ベッツの名前が出てくるので、オールマン・ブラザーズ・バンド、1972年の楽曲のことか。まあ、両方かけているのか…。

■ロバート・フランクリン・ストラウド/バグジー・シーゲル/プリティ・ボーイ・フロイド
過去、実在したギャング、犯罪者たち。歌詞には“バードマン・オヴ・アルカトラズ”として登場するストラウドは、アメリカでもっとも悪名高き犯罪者とも呼ばれる男で、1962年にそのニックネームをタイトルに冠した映画も作られた。JFK暗殺の前日にミズーリ州スプリングフィールドの連邦刑務所で死亡している。

■バスター・キートン/ハロルド・ロイド
往年の喜劇役者。

■クライ・ミー・ア・リヴァー/ステラ・バイ・スターライト/ミスティ/ザット・オールド・デヴィル・ムーン/エニシング・ゴーズ/メンフィス・イン・ジューン/ディープ・イン・ア・ドリーム
いわゆるグレイト・アメリカン・ソングブックと呼ばれるスタンダード・ナンバーたち。

■リンジー・バッキンガム/スティーヴィ・ニックス
バッキンガム&ニックスですな。

■ナット・キング・コール/ネイチャー・ボーイ
キング・コールによる1948年のヒット。

■ダウン・イン・ザ・ブーンドックス
ビリー・ジョー・ロイヤル、1965年のヒット。作者はディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』でギターを弾いていたことでもおなじみ、ジョー・サウスだ。この曲をテリー・マロイのためにかけてくれ、と歌われるが、テリー・マロイというのは1954年の映画『波止場(On the Waterfront)』でマーロン・ブランドが演じていた役名。

■或る夜の出来事(It Happened One Night)
1934年の映画。

■ワン・ナイト・オヴ・シン
ワン・ナイトつながりで。こちらはニューオーリンズR&Bのビッグ・スター、スマイリー・ルイスが1956年にリリースした曲。エルヴィスがちょっとだけ歌詞を穏やかに変えて「ワン・ナイト」というタイトルでカヴァーしている。

■ヴェニスの商人(Merchant of Venice)
“マーダー・モスト・ファウル”というフレーズが出てくる戯曲『ハムレット』の作者、ウィリアム・シェイクスピアの作品。続く“死の商人(Merchants of Death)”という表現と対を成している。

■ロンリー・アット・ザ・トップ
ランディ・ニューマンがフランク・シナトラの心境を勝手に慮りながら綴った作品。1972年のアルバム『セイル・アウェイ』収録。

■脱獄(Lonely Are The Brave)
1962年の現代西部劇映画。ロンリーつながり。

■ジェリー・ロール・モートン
ジャズにおける最初の真の作曲家とも言われるニューオーリンズのピアニスト。

■ルシール
“play ‘Lucille’”というのが、リトル・リチャードの「ルシール」のレコードをかけてくれということなのか、B.B.キング愛用のギター、ルシールを弾いてくれということなのか…。まあ、前者か。

■ドライヴィング・ホイール/ア・キー・トゥ・ザ・ハイウェイ
この辺はブルース・スタンダード。

■月光(Moonlight Sonata)
ベートーヴェンのアレですが。“Play 'Moonlight Sonata' in F-sharp”と歌われていて。でも、「月光」のキーはC#mだから、それをF#で…っていうのは、もうなんともクラクラするようなイメージっすね。

■ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)
南北戦争時代のマーチング・ソング。

■ダンバートンズ・ドラムズ
スコットランド民謡。

■ザ・ブラッド・ステインド・バナー
“血染めの旗”とも呼ばれる米南部連合の旗。このタイトルを冠したゴスペルも。

■マーダー・モスト・ファウル
で、最後、JFKの亡霊が、ハムレットの父親の亡霊が自らの死の真相を告げる際のセリフ“Murder most foul, as in the best it is / But this most foul, strange and unnatural”を流用したディランの本曲をかけてくれ、とウルフマン・ジャックにリクエストしたところで終わる。

深く謎めいた17分弱。こんなとてつもなくすごいものをレコーディングしておいて、でも、お蔵入りさせていたんだな、と。改めてボブ・ディランって人の奥深さというか、わからなさというか、ぶっとび加減というか、そういったものを満喫できる1曲ではありました。勉強はまだまだこれから。真意にたどり着けるまで、先は長そうだ。コロナに負けてる場合じゃないな。がんばろう…。

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