アンコール〜知られざるジョセフ・スペンス/ジョセフ・スペンス
ぼくがジョセフ・スペンスという名前を知ったのは、たぶん大方の同世代洋楽ファンの方々同様、ライ・クーダーの1972年のアルバム『紫の峡谷(Into the Purple Valley)』というアルバムを聞いたときだった。「天国からの夢(Great Dream from Heaven)」という曲が入っていて。その作者クレジットに、ジョセフ・スペンスという名前が記されていた。
『ライト・ミュージック』誌かなんかにコピーTab譜が載っていたんだったかな? ドロップDチューニングのアコースティック・ギター・ソロ曲。3拍子の短いインストだったのだけれど、なんだかのんびりしたムードがクセになって。よく自分でも真似して弾いたりしたものです。でも、そのときはまだこのジョセフ・スペンスという人を深掘りすることもなくやり過ごしていて。本格的にこの人に興味を持ってオリジナル音源を聞くようになったのは、数年後、1978年になってからのことだった。
その年、ライ・クーダーが『ジャズ』というアルバムを出して。そこにジョセフ・スペンスがアダプトしたトラディショナル曲が、今度はなんと3曲も入っていた。「顔を見合わせて(Face to Face That I Shall Meet Him)」と「ハッピー・ミーティング・イン・グローリー」と「いつか幸せが(We Shall Be Happy)」。こうなるともう気にするなというほうが無理。というわけで、アーフーリー・レコードから出ていた『グッド・モーニング・ミスター・ウォーカー』というアルバムを手に入れた。この辺の流れもきっと大方のライ・クーダー・ファンと同じに違いない。
ジョセフ・スペンス。バハマのアンドロス島出身のフィンガー・ピッキング・ギタリストだ。1910年に牧師の息子として生まれ、漁業をやったり、農業やったり、石切工をしたり、大工さんやったり、いろんなことしながら、出稼ぎに行ったアメリカで覚えた様々な歌を余暇にギターを弾きながら披露していた。そうこうする中、音楽学者のサミュエル・チャーターズが彼を“発見”。1959年にフィールド・レコーディングされたアルバムをフォークウェイズ・レコードからリリースして注目の存在に。
まあ、未熟なぼくの場合、そのあまりにも独特すぎる持ち味に、アーフーリー盤を最初に通して聞いたとき、正直“なんじゃこりゃ…?”と面食らったわけですが(笑)。でも、そうは言っても、ライ・クーダーがこれほど影響されているくらいだし。他にもジェリー・ガルシアやデヴィッド・リンドレー、リチャード・トンプソン、タジ・マハールあたりも思いきりハマっていたらしいし。それはそれはすごい人なんだろうと、繰り返し繰り返し聞き続けて。
やがて、前述フォークウェイズ盤とか、ジム・クエスキン・ジャグ・バンドのフリッツ・リッチモンドがバハマのナッソーに出向いて録音してきたエレクトラ盤とかも聞くようになって。だんだんと、その独特の、ほんわか温かく、のんびりした歌心に貫かれていて、どこまでも自由で、豊かで、でも確かなグルーヴとテクニックに裏打ちされたギター・プレイのとりこになった。のほほんと脱力したヴォーカルというか、スキャットというか、語りというか、独特の歌声にもものすごく惹かれた。クセになった。
と、そんな、超マイペースながらも超偉大なギタリスト、ジョセフ・スペンスのレア音源を満載したアルバムがリリースされた。それが本作『アンコール〜知られざるジョセフ・スペンス』だ。録音されたのは1965年。エレクトラ盤が出たちょっと後くらい。いい時期だ。そんな時期に、ライヴで、あるいはニューヨークのアパートの一室で、ナッソーの自宅で、妹さんエディス・ピンダーのおうちで…と、4カ所のロケーションでレコーディングされながらなぜかお蔵入りしていた貴重音源群。それがこのほどめでたく蔵出しとあいなった。
おなじみ「ビミニ・ギャル」のライヴ・ヴァージョンだけ以前スミソニアン・フォークウェイズのコンピレーション・ボックスみたいなやつで既発の音源。あとは、代表曲「アウト・オン・ザ・ローリング・シー」(ヴァン・ダイク・パークスが1970年にポップ・サイケ感覚全開でカヴァーしたヴァージョンの存在を『ディスカヴァー・アメリカ』のCDボーナス・トラックで知ったときは、ものすごくうれしかったものです)とかも含めて、すべて未発表パフォーマンスだ。本作でしか聞けない初出し楽曲も2曲あり。
独学によるドロップDチューニングのギター・プレイによるジョセフ・スペンスのスピリチュアル、ヒム、ゴスペル、フォーク。それらがこのクソ暑い毎日にクーラーとはまたひと味違う涼をもたらしてくれます。お試しあれ。スペンス初体験の方には詳細な日本語ライナーがついた国内盤(Amazon / Tower)がよろしいかも。