【スロウバック・サーズデイ】オリジナル・アルバム・シリーズ/アレサ・フランクリン
今週のTBT〜スロウバック・サーズデイはアレサ・フランクリンのことを。
以前から何度か本ブログでもお知らせしてきた通り、ぼくはメールアドレスを登録するだけで無料で読むことができるオンライン音楽誌「エリス」の編集長をつとめているのだけれど。ちょうど先週の木曜日、11月12日に配信スタートした最新31号の巻頭特集がアレサ・フランクリンなもんで。そのインフォメーションも含めて、アレサに関する思い出を記しておこうかなと、そんな感じです。
「エリス」最新号の巻頭特集は、まずピーター・バラカンさんと鷲巣功さんとぼくと、3人でアレサの魅力を語り合う鼎談「今こそ語ろう~アレサ・フランクリンの奇跡」でスタート。その後、デビュー作から最後のオリジナル・アルバムまで、半世紀以上にわたりレーベルを超えてリリースされたアルバム45作をぼくが1枚ずつ紹介したアルバム・ガイドが続きます。
読んでくださった方から、いやー、アレサってあんなにたくさんアルバム出してたんですねー…みたいな感想を続々いただいておりますが。そのアルバム・ガイドに添えた簡単な序文みたいなやつをこちらに引用しておきますね。
放っておくとアトランティック在籍期、それも移籍第一弾が出た67年から70年代初期あたりまでの数作のみの評価ですまされがちなアレサ・フランクリン。確かにその時期に揺るぎなき傑作が集中しているのは事実だけれど。アレサの深く豊かな歌心はデビューを果たした1960年からラスト・アルバムが出た2014年まで、けっして変わることはなかった。サブスクのストリーミングで多くの音源に接しやすくなった昨今だけに、レーベルを超えて女王が残した膨大なアルバム群に改めて触れ直するには絶好の時代だ。この機会に彼女の圧倒的な魅力を再確認してみるのも悪くない。
実は鼎談の中でピーターさんが“アレサはライノ・レコードが編纂した4枚組のボックスがあれば大丈夫”的な発言をなさっているのだけれど。いやいや、確かにあのボックスは充実した内容だったけれど。それで“十分”ってことじゃない。それが“最低限”ですから(笑)。
実のところ、キャリアも長く、迷走していた時期も少なくないアレサだけに、未CD化/未ストリーミング作品もそこそこあったりして。今から全作コンプリート体験というのはなかなかにハードルの高いチャレンジかもしれないのだけれど。少なくとも代表的アルバム群はまるごと味わっていただきたいものだ。ということで、今日はアトランティック時代のアレサのオリジナル・アルバムをまとめた廉価ボックス2種へのリンク、貼っておきます。
Vol.1のほうで『貴方だけを愛して(I Never Loved a Man the Way I Love You)』(1967年)、『レディ・ソウル』(1968年)、『アレサ・ナウ』(1968年)、『スピリット・イン・ザ・ダーク』(1970年)、『アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』(1971年)の5作、Vol.2のほうで『アレサ・アライヴス』(1967年)、『アレサ・イン・パリス』(1968年)、『ソウル’69』(1969年)、『ジス・ガール(This Girl's in Love With You)』(1970年)、『ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック』(1972年)の5作、計10作の名盤を合わせて4000〜5000円くらいで一気に手に入れられちゃうんだから。
ここに、以前、本ブログでも完全版のことを取り上げたことがある1972年の2枚組ライヴ『至上の愛〜チャーチ・コンサート〜(Amazing Grace)』を加えればかなり手応えのあるアレサ・コレクションになる。1枚ごとの内容については「エリス」31号を参照してください(笑)。
アレサ以外にも、今号はギタリスト/プロデューサーの佐橋佳幸によるアンドリュー・ゴールドのお話もあり。亀渕昭信、北中正和、天辰保文、高田漣、岡本郁生、水口正裕、能地祐子ら連載陣も快調です。ご興味ある方、「エリス」のホームページで気軽にメール登録してみてください。タダで読めますので。
ちなみに、「エリス」にはこれまでにも何度か、事あるごとにアレサ・フランクリンのことを書いてきていて。2018年、彼女が亡くなったときの編集後記にもこんな原稿を寄せたものだ。一部を抜粋させていただきます。2014年、アレサのコンサートをついに見ることができたときの感動を綴った原稿だった。
素晴らしいコンサートだった。ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホール。およそ6000席が満杯だった。クライヴ・デイヴィスを筆頭に、業界のお偉方やアーティストも多数駆けつけていた。やがて開幕。ジャズのビッグ・バンドとゴスペル・クワイアと南部のソウル・レヴューを合体させたような大編成バンドを率いて、アレサが躍動した。体調不良など、嘘のようだった。
自身のヒット曲も山ほどあるのに、オープニング・ナンバーはジャッキー・ウィルソンの「ハイヤー・アンド・ハイヤー」だった。「小さな願い」「チェイン・オヴ・フールズ」「ジャンプ・トゥ・イット」など、様々な時代の持ち歌も次々披露された。と同時に、合間合間にジェームス・ブラウン、ホイットニー・ヒューストン、オーティス・レディングら、他界した黒人シンガー仲間たちのレパートリーのカヴァーを意図的に盛り込んでいた。若い時代、自分と同じ志を持って活躍しながら、志半ばで他界してしまった者たちの曲。
何かアレサの決意のようなものを感じた夜だった。残された者として私が彼らの分まですべて背負っていく、という心意気。もはや自分がどうこうじゃない、すでに自らその歴史の一部となっているロックンロールなりソウルなりゴスペルなりブルースなり、そうした“文化”そのものを体現していく、という熱い思い。
今、米国では再び、人種問題、女性差別問題などが紛糾している。オバマの時代に、何かが大きく変わったような気がしたのに、トランプの時代になってみたら、何のことはない、結局のところ社会構造の中で何ひとつ根本的には変わっていなかったことが露呈してしまった。そんなとき、そうした運動の象徴でもあったアレサが逝ったことはなんともやりきれない。寂しさが一層増すばかりだ。
アレサ未体験の人なんて、本ブログに来てくださっているような音楽ファンの中にはきっといないことと思うけれど。万が一、まだ未体験の方がいらっしゃるようならば、ぜひ今回の「エリス」を参考にしつつ、彼女の深く豊かな歌心にアプローチしていただきたいものだな、と。どの立場からの発言だかわかりませんが(笑)。心からそう思うハギワラなのでありました。