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RIP, Peter Green: A Breathtaking Blues Guitar Hero Passed Away.

追悼:ピーター・グリーン

ピーター・グリーンが亡くなった。7月25日、家族が弁護士を通じて明らかにした。眠りの中、安らかに息を引き取ったという。享年73。

今さら紹介するまでもない。偉大な英国人ギタリスト。15歳でプロ・デビュー。1966年、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズからエリック・クラプトンが脱退後、弱冠19歳にしてその後任に。大いに注目を集めた後、1967年、ミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー、ジェレミー・スペンサーらとともに新バンド、フリートウッド・マックを結成した。

その後、大きく音楽性を変えてしまうことになるフリートウッド・マックではあるけれど。この時期、ピーター・グリーンが主導権を握っていた初期マックが当時ぼくたちに提示してくれた若々しいブルース・ロック・サウンドは本当にかっこよかった。お世話になった。ぼくのような世代の洋楽ファンの多くにとって、強烈な泥臭さと、どこか繊細なタッチとがいきいき交錯する初期マックのレコードこそが、たぶん初のブルース体験だったに違いない。

あ、もちろん、ヤードバーズを通して…みたいな人もいると思う。あるいはクリームとか、それこそジョン・メイオールとか。

でも、少なくともぼくにとってはそうだった。初期マック。そしてブルームフィールド/クーパー。発足直後のCBSソニー…って感じだけど。このあたりが間違いなくぼくの初ブルース体験。そのことは去年の暮れ、本ブログで『ビフォー・ザ・ビギニング1968〜1970』という初期マックのレア音源集を取り上げたときに書かせてもらった。この機会にもう一度、こちらにも引用しておこう。

『ミュージック・ライフ』誌の新譜紹介コーナーで初めてフリートウッド・マックの『英吉利の薔薇(English Rose)』のジャケット写真を見たときの衝撃は忘れない。女装したミック・フリートウッドがとんでもない顔して大写しになっている、あれ。ちょうど50年前のこと。1969年の話だ。

もちろん、ご存じの通り、このアルバムは本国イギリスで68年に出たセカンド『ミスター・ワンダフル』の収録曲から6曲をピックアップして、さらに未アルバム化シングル音源とか、未発表曲とか、まだリリースされていなかった英サード・アルバム『ゼン・プレイ・オン』に収録予定だった曲とかを集めてアメリカで編纂されたベスト盤だった。

とはいえ、日本ではこれがマックの初リリースだったし。初めて見たものを親と思う的な、当時まだブルースの何たるかもまったく知らない中学生としてこのアルバムに出くわしちゃったぼくのような世代の洋楽ファンにとって、フリートウッド・マックといえばもう間違いなくこれ、みたいな。そういう意味でも、どうしたって抗いようのない、大切な1枚なのだ。

その後、70年代半ばになって『ニュー・ミュージック・マガジン』とか読みながら、少しずつではあったけれどモノホンの米国ブルースに真っ向から接することができるようになるまで、日本で普通にラジオとか聞きながら体験できた黒人ブルースマンといえばせいぜいB.B.キングくらいで。それも「スルリ・イズ・ゴーン」的なやつ。

そんな情弱な時代だったから。英国勢としてはこのピーター・グリーン在籍時の初期マックとジョン・メイオールとチキン・シャック。米国勢ではキャンド・ヒートとポール・バタフィールドとマイケル・ブルームフィールド。当時、そうした白人ブルース・ロック・アーティストたちから教わったことは本当に多かった。ニセモノ呼ばわりされたりしたこともなくはなかったけれど、彼らの若き情熱がその後のブルース・リバイバルの気運を盛り上げたことは確かだ。

(2019.12.18記)

繰り返すけれど、そう、抗いようがないのだ。特定の世代ならではの感触なのか、世代を超えた絶対的なそれなのか、ただなかに身を置いてしまっている者としてはそれすらよくわからないものの。

とにかくこの人、ピーター・グリーンが「ストップ・メッシン・ラウンド」などで聞かせた、いわゆる“アウト・オヴ・フェイズ”サウンド、つまりピックアップの位相をいじってフェイズアウトさせる乾いたレスポール・ギターの音色とか、聞こえてくると、それだけでもうダメ。無条件ノックアウト。「ローリン・マン」のぐいぐい転がるグルーヴも大好きだった。

もちろん、「ブラック・マジック・ウーマン」や「アイ・ラヴド・アナザー・ウーマン」のエキゾチックな感触とか、「シェイク・ユア・マネーメイカー」の無鉄砲なドライヴ感とか、「オー・ウェル」のスピーディなリフとか、「ラトルスネイク・シェイク」のダブル・ストップとか、「アルバトロス」の深い音像とか…。

すべて条件反射のように気分がアガる。それは事実。確かに世代ゆえかもしれないけれど、こればかりは仕方ない。

ピーター・グリーンはやがて1970年、他のメンバーとの音楽的方向性の違いを理由にフリートウッド・マックを脱退。初ソロ・アルバム『エンド・オヴ・ザ・ゲームズ』をリリースして大いに物議を醸したあげく、深刻なドラッグ禍から精神的に不安定な状態に陥り、以降、長らく世捨て人状態に。統合失調症による入院生活も続いた。

1970年代末にようやく復活して、少しずつソロ活動を再開。1979年に出たソロ作『イン・ザ・スカイズ』(“虚空のギター”とか、そんな邦題だったような…)とか、なんだか久々のピーター・グリーン節に接することができて妙にうれしかった覚えがある。ギターばかりでなく、少し枯れた歌声もよかった。いい感じに力が抜けていて、それがやけにソウルフルでブルージーだった。

その後、また健康を損ねたりしながらもそれなりのペースでアルバム・リリースを重ねて。多彩なアーティストのレコーディングにゲスト参加もした。1990年代にはナイジェル・ワトソン、ニール・マレイらとピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成。来日もあった。初期マックのころのような切れ味鋭い活動とは言えなかったかもしれないけれど、彼がギターを弾いて、歌って、今の時代に呼吸しているだけでなんだかうれしかった。

ピーター・グリーン・スプリンター・グループとしてリリースした1998年の『ザ・ロバート・ジョンソン・ソングブック』と2000年の『ホット・フット・パウダー』という2枚のロバート・ジョンソン作品集も好きだった。

英国の白人にブルースができるのか、と、エリック・クラプトン同様の疑問を常に投げかけられ続けてきたピーター・グリーンではあったけれど、それに対するとびきり自然体での返答というか。俺、とうとうここまで来ましたよ、ジョンソンさん、見てくれてますか…みたいな。デビューから歳月を重ねたうえで満を持して作り上げたこれらのジョンソン作品集からは、そんなピーター・グリーンの声が聞こえてくるようで。ぐっときたものだ。

今年の2月には『エンド・オブ・ザ・ゲーム』の発売50周年記念盤も出た。9月になると、彼がフリートウッド・マックのメンバーとして在籍した最後の作品、1969年の『ゼン・プレイ・オン』の“セレブレーション・エディション”というのも出るらしい。以前、ライノから出た拡張エディションと同じ内容みたいだけれど。いずれにせよ、様々な角度から再評価の気運も高まってきていた。そんなところへ届いた悲報。それだけに、なんだか寂しい。悔しい。

ぼくをはじめ、多くの日本のロック・ファンがピーター・グリーンのギターの素晴らしさを初めて真っ向から受け止めた盤だと思われる『英吉利の薔薇』へのリンクなど、改めて張っておきます。「アルバトロス」聞きながら冥福を祈ります。

どうぞ安らかに。

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