ユーヴ・ガット・トゥ・ラーン/ニーナ・シモン
2003年に70歳で亡くなったニーナ・シモン。存命ならば今年で90歳。ということで、生誕90年イヤーに合わせた貴重な未発表音源がリリースされました。
1966年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァリでの未発表ライヴ『ユーヴ・ガット・トゥ・ラーン』。なんでもこのパフォーマンスの記録、ニューポート・ジャズ祭の創始者、ジョージ・ウェインがかつてアメリカ議会図書館に寄贈したものなのだとか。誰もがその存在を忘れかけていたらしいのだけれど、2021年にウェインが他界した後、『プリンセス・ノワール』をはじめニーナ・シモン関連の書籍もいくつか刊行しているネイディーン・コホダスがそれを発掘。このほどめでたく世に出た、と。そういう流れ。
この時期のレギュラー・バンド、ルディ・スティーヴンソン(ギター)、リスル・アトキンソン(ベース)、ボビー・ハミルトン(ドラム)とともに絶好調のニーナ・シモンを堪能できる。
ご存じの通り、1960年代初頭から彼女は、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス、アビー・リンカーンらと同様、公民権運動にも意識的に関わってきていて。当時の社会状況を考え合わせるとかなりの覚悟の下、音楽活動を続けていたのだけれど。そんな緊張感と、希代のジャズ・シンガーとしての深く豊かな表現力と、幅広いレパートリーに挑む柔軟さとがいいバランスで共存する素晴らしいコンサートの記録だ。
やはり最大の聞きものは、白人女性に口笛を吹いたと因縁をつけられて殺された黒人少年エメット・ティルや、暗殺された公民権運動家エドガー・エヴァース、そしてアラバマ州バーミングハムで4人の黒人の子供が命を失った教会爆破事件などに触発されたオリジナル曲「ミシシッピ・ガッデム」か。1964年の『ニーナ・イン・コンサート』で聞けるおなじみのヴァージョンよりもぐっとブルージーなテンポ感のもと、タイトかつファンキーに強烈なメッセージを放っている。歌詞もちょっと書き換えられ、ここでは1965年のワッツ暴動のことも歌い込まれていて。本当にこの人、時代の流れとリアルタイムに呼応しながらグルーヴしていたジャズ・シンガーだったんだなと改めて思い知る。
その他も名演ぞろい。シャルル・アズナブールのアルバム・タイトル・チューンとか、出世作でもあるガーシュウィン・ナンバー「アイ・ラヴズ・ユー・ポーギー」とか、アビー・リンカーンの歌詞にシモンが曲をつけた「ブルース・フォー・ママ」(MCでシモンさん、この曲のことを“ガットバケット・ブルース”と紹介している)とか、足踏みとハイハットだけをバックにほぼアカペラでブルージーに綴られる夫アンドルー・ストラウド作の「ビー・マイ・ハズバンド」とか、すべてがごきげん。自身のピアノ弾き語りで綴るラストの「ミュージック・フォー・ラヴァーズ」も泣ける。
この未発表ライヴ・アルバムとともに、“ニーナ・シモン生誕90周年記念コレクション”として1964〜67年、フィリップス・レコード在籍時の彼女の諸作もまとめて再発された。カーネギー・ホールでライヴ録音された『ニーナ・シモン・イン・コンサート』(1964年)、ぼくが中学生だったころとか日本のAMラジオでもよくかかっていた「悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood)」のような自身のヒット曲をはじめ、ジャズ・スタンダード、ミュージカル・ナンバーなどが混在する『ブロードウェイ・ブルース・バラッズ』(1964年)、こちらもけっこうヒットしたスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのカヴァーを表題曲に、やはりシャンソンとかジャズとかを魅力的に共存させた『アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー』(1965年)、ゴスペルっぽいものからブルージーなもの、メロウなものなど名唱満載の『パステル・ブルース』(1965年)、デューク・エリントン作品やビリー・ホリデイのレパートリーなどに交えてボブ・ディランものまで取り上げた『レット・イット・オール・アウト』(1966年)、過去セッション音源で構成した『ワイルド・イズ・ザ・ウィンド』(1966年)、ハル・ムーニーの編曲によるラージ・アンサンブルをバックに自作ゴスペルから、ポピュラー・ソング、ジャズ、ロックンロールなどのカヴァーまでこれまた柔軟に取り上げたフィリップス最終作『ハイ・プリーステス・オブ・ソウル』(1967年)。
今年アタマに編まれたベスト盤もこの機会に日本で発売されたみたい。ニーナ・シモン再発見に絶好。未体験の方はこの機会にぜひ。