ビーチ・ベイビー:ザ・コンプリート・レコーディングス/ザ・ファースト・クラス
ポップス・ファン、オールディーズ・ファンにとって、ワン・ヒット・ワンダー、いわゆる“一発屋”というのはものすごく興味深い存在で。ロマンがありますよねー。
全米トップ40チャートとかで特大のヒット曲をかっとばしたにもかかわらず、不思議なことにそのヒット1曲だけを残してチャートから忽然と姿を消してしまったアーティストたち。時の流れとともに人々の記憶から忘れ去られようとしているたった1枚のシングル盤だけが、彼らの存在の証。いいよね。一発屋こそポップスの極み、と勢いまかせに断言してしまいたいくらい、好きだ。
そんな中、トニー・バロウズって人がいて。ポップス・ファンならばご存じの通り、この人はちょっと特別だ。変わっている。というのも、なんとこの人、5曲の一発ヒットを持っているのだ。5曲の一発ヒットって、なんだそれは、と思う方もいらっしゃると思う。確かにおかしな話ではありますが。
彼は著名なイギリスのスタジオ・セッション・シンガーで。1960年後半〜70年代前半、イギリスのポップ・シーンで様々な架空のスタジオ・バンドみたいなやつが大流行した際、いろんなバンドのリード・シンガー役を担当。そんな中、エディソン・ライトハウスの「恋のほのお(Love Grows)」とか、ホワイト・プレインズの「恋に恋して(My Baby Loves Lovin')」とか、ピプキンズの「ギミ・ダッ・ディン」とか、ブラザーフッド・オヴ・マンの「二人だけの世界(United We Stand)」とかが1970年にそれぞれヒット。すべて全米チャートでもトップ20入りを果たした。
これらの曲、ソロで、あるいはデュエットでリード・ヴォーカルを担っているのはすべてトニー・バロウズながら、それぞれ別アーティスト名義でのリリースだったうえ、どのアーティストも全米チャートで後続のトップ40ヒットを生み出すことができなかったもんで(ブラザーフッド・オヴ・マンだけは数年後、バロウズがラインアップから離れた編成で別のヒット「想い出のラスト・キッス(Save Your Kisses for Me)」を放ったとはいえ…)、彼は1970年になんと4曲の一発ヒットを放った“歌声”となったわけだ。すごい。
もちろん、覆面シンガーとしてではあるもののこれだけの実績があるわけだから、本人名義のソロ・シングルとかもたくさんリリースされはしたけれど結局どれひとつ全米トップ40に入ることなく終了。結果、すごいんだかすごくないんだかさっぱりわからない、しかしなかなか真似のできない稀有なキャリアが築かれてしまった、と。で、そんなバロウズさんが1974年、もういっちょ放った一発ヒットが、そう、今回の主役、ファースト・クラスの「ビーチ・ベイビー」なのでした。
ファースト・クラスはイギリスのソングライター/プロデューサー、ジョン・カーターがでっちあげたスタジオ・グループ。このカーターさんはソングライティング・パートナーだったケン・ルイスと組んで、ハーマンズ・ハーミッツの「ハートがドキドキ(Can't You Hear My Heartbeat)」とか、ミュージック・エクスプロージョンの「リトル・ビット・オ・ソウル」とか、フラワー・ポット・メンの「花咲くサンフランシスコ(Let's Go to San Francisco)」とか、これはケン・ルイスとの作品ではないけれどメリー・ホプキンの「しあわせの扉(Knock, Knock Who's There?)」とか、たくさんのヒットを作った人で。
1960年代、トム・ジョーンズの「よくあることさ(It's Not Unusual)」とかザ・フーの「アイ・キャント・エクスプレイン」とかサンディ・ショウの「恋のウェイト・リフティング(There's Always Something There to Remind Me)」とかクリス・ファーロウの「アウト・オヴ・タイム」とか、たくさんの楽曲のセッション・コーラスを担当したりもしていた人。アイヴィ・リーグのメンバーだったこともある(ちなみに、1966年にカーターがグループを脱退した際、後任を務めたのがトニー・バロウズだった)。
で、このカーターさんが1974年、奥さまのジル・シェイクスピアとともに書いた曲が「ビーチ・ベイビー」で。これを形にするためにカーターはトニー・バロウズとチャス・ミルズというスタジオ・セッション・シンガー2人を召集。バロウズを中心に3人でビーチ・ボーイズばりのコーラスをしまくりながらレコーディングを行なって、“ファースト・クラス”という架空のバンド名の下リリースしたところ、全英チャートで最高13位、全米チャートでは4位まで上昇する大ヒットになった、と。
でも今回もまた全英でも全米でも後続のトップ40ヒットを生み出すことはできず、めでたくトニー・バロウズにとって別名義グループによる5つ目の一発ヒットとあいなってしまったのでありました。
もちろん、ファースト・クラスとしては以降もいろいろアルバムを出したりシングルを出したり、1980年代にかけて活動は継続していて。その辺の音源を一気に集大成したCD3枚組アンソロジーが、今回ご紹介する『ビーチ・ベイビー:ザ・コンプリート・レコーディングス』。3枚組アンソロジーといえばこのレーベル…とも言うべき、チェリー・レッド傘下のグレイプフルーツ・レコードからのリリースです。
ディスク1は、1974年に出たファースト・アルバム『ザ・ファースト・クラス』の収録曲を基本とした構成。このファースト・アルバムはぼくも当時US盤で買ってよく聞いたっけ。ヒット・ナンバー以外にも、ヒットしなかった4枚目のシングル「ホワット・ビケイム・オヴ・ミー」とか、ノスタルジックな「ザ・ファースト・オヴ・ユア・ライフ」とか、好きだったなぁ。
ただし、US盤はUK盤に比べて1曲少なくて。カーターがアイヴィ・リーグに在籍していた時代の小ヒット、カーター&ルイス作の「ファニー・ハウ・ラヴ・キャン・ビー」のカヴァー(ファースト・クラスの5枚目のシングル)が省かれていた。今回はその曲も含むUKオリジナル盤仕様の全11曲に、「ビーチ・ベイビー」のシングル・ヴァージョン長短2パターンや、アルバム未収録のシングルB面曲2曲、および1974年にお蔵入りしてしまったミュージカルのために用意されたデモ音源7曲追加した内容になっている。
ディスク2は、1976年のセカンド・アルバム『SST』の全曲に、1980年代にかけてリリースされたアルバム未収録シングルのAB面10曲、およびラジオ/テレビ用の未発表ジングル4曲を加えたもの。で、ディスク3が、1973年にカーター&シェイクスピアが“キンケイド”名義で出した、ファースト・クラスの前身的なシングル音源とか、カーターのソロ名義によるシングルとか、1975年に“マジック”というバンド名義でリリースした2枚のシングルのAB面曲とか、1978年に“サウス・バンク・ホイールズ”名義で出したシングルのAB面とか、ファースト・クラス名義で制作した未発表ジングルとかレア音源とかをドカッと詰め込んだしびれる1枚。
ファースト・クラスに関しては、チェリー・レッドやコレクタブルズ、シー・フォー・マイルズ、日本のセンチュリーなどいくつかのレコード会社から過去様々なコンピレーションの編纂やらオリジナル・アルバムの再発やらが実現してはいたけれど。今回のがとにかく全部入りっぽい仕上がりで。数曲を除いてあの手この手のカーター&シェイクスピア作品の雨あられ。ついに決定版っすかね。
国内盤(Amazon / Tower)は2月22日発売だそうです。ちなみに去年、ファースト・クラスを含むジョン・カーターのキャリアを一気にたどったCD4枚組アンソロジー『マイ・ワールド・フェル・ダウン:ザ・ジョン・カーター・ストーリー』(Amazon / Tower)ってのもチェリー・レッド/グレイプフルーツから出てます。勢いのある方はこちらもぜひチェックを。