トゥリーズ・オヴ・ジ・エイジズ:ローラ・ニーロ・ライヴ・イン・ジャパン/ローラ・ニーロ
聞く者それぞれ、各自がまるで違うイメージを胸の内に抱くローラ・ニーロ。
1960年代末から1970年代初頭にかけて、独特の“間”を活かした静謐かつジャジーな音像のもと、触れたら壊れてしまいそうに繊細な感性でニューヨークという街に渦巻く喧騒や諦観や熱気や退廃を赤裸々に綴るシンガー・ソングライターとしての持ち味に胸をときめかせる人もいる。その後、結婚、出産を経て、自然、動物、母としての人生観など、より広いテーマを歌に託すようになってからのスピリチュアルな佇まいに強く共感する人もいる。
ぼくはといえば、かつて1950年代のニューヨークのストリートに溢れていたドゥーワップや初期ガール・グループなどがたたえていた豊潤な東海岸系R&B/ロックンロール感覚を、ちょっとだけ遅れてきた世代として憧れをこめつつきっちり受け継いだブルー・アイド・ソウル・アーティストとしての彼女の歌声と作風に今なおぞっこんだ。
ご存じの通り、彼女は1997年に49歳という若さで他界してしまったのだけれど。没後、2003年になってから『ライヴ・イン・ジャパン1994』というライヴ盤が日本限定でリリースされたことがある。彼女が22年ぶりに2度目の来日を果たした1994年2月、大阪公演で録音されたライヴ音源16曲に東京で録音された5曲をボーナス追加した素敵なライヴ・アルバムだった。
そのアルバムが新たなリマスターをほどこされたうえで米オムニヴォア・レコードより世界に向けて再発された。それが本盤『トゥリーズ・オヴ・ジ・エイジズ:ローラ・ニーロ・ライヴ・イン・ジャパン』だ。
このときのコンサート、ちょうどボブ・ディランの来日と同時という感じで、やけに忙しい日々だったっけ。1994年2月18日、東京・渋谷オンエア・ウエストで行なわれた来日ツアー初日のことは今でもはっきりと覚えている。素晴らしい夜だった。ステージには簡素なエレクトリック・ピアノが1台。ヴォーカル用のマイクが1本。後方にコーラス用のマイクが3本。それだけ。たったそれだけで、しかし彼女は今なお色褪せることのない瑞々しい歌心と深い感動を、ぼくたち聞き手の心に静かに、しかし確かな手応えとともに刻み込んだ。
ギミックもはったりも何ひとつなし。その前年にリリースされたばかりだったアルバム『抱擁〜犬の散歩はお願いね、そして明かりはつけておいて(Walk the Dog and Light the Light)』からの曲を中心に、往年の代表曲や、ソウル・ナンバー、バカラック・ナンバーなどのカヴァーも取り混ぜた新旧21曲(公演2日目以降は、観客の熱烈なアンコールに応え、さらに数曲のカヴァーが追加された)。穏やかな曲紹介をイントロに乗せてしゃべる程度で、あとはまさに歌だけがそこにあった。
彼女の豊かな音楽性を育んだのは、1950〜1960年代初頭、地元ブルックリンの街角にあふれていたドゥーワップ音楽だったという。この夜、自ら弾く素朴なピアノと3人の女性コーラスだけをバックに1曲1曲ていねいに歌い綴ったローラは、そうしたルーツへと回帰したかのよう。肉声にこだわったパフォーマンスは、彼女の作品が持つ魅力をよりダイレクトに伝えていた。
冒頭でも触れた通り、デビュー当初は、ニューヨークという都会の喧騒の奥底に漂う詩情を歌に託していた彼女だけれど、以来このときまで、30年近い歳月の流れの中、より広く大きな愛を題材にすることも多くなった。しかし、それでも彼女の作品はあくまでストリート・ミュージックなのだな、と。都市のスウィートな断面を切り取ってみせる1950年代ドゥーワップとも、猥雑さを象徴する1990年代のヒップホップとも、底辺でしっかりつながっている “街の歌”。あの夜のローラ・ニーロのステージはそんな事実をもう一度ぼくたちに強く思い知らせてくれた。
そんな静かな感動に満ちた初日のコンサート終了後、楽屋を訪ねてインタビューする光栄にもあずかった。ローラは開口一番、「日本の観客とこんな濃密にコミュニケートできるとは思っていなかった。驚いたわ。みんな私の音楽をよく知っていて、じっくり味わってくれて…」と上機嫌で話してくれた。社交辞令ではなく、心からの言葉だとぼくは感じた。
まさかその3年後に彼女が永遠の旅立ちをしてしまうとは思ってもみなかったけれど。あの来日ツアーの思い出を、改めて鮮やかによみがえらせてくれる今回のリマスター発売。来月には国内盤の発売もあるようです(Amazon / Tower)。じっくりひたりましょう。