追悼:リトル・リチャード
ロックンロールなんてくだらない。無意味でやかましい、ガキのたわごとだ。
と、ロックンロール創世記、“良識ある”大人たちは、主にその直情的でシンプルな歌詞をあげつらい非難した。今から半世紀以上前の話だ。さすがに今の時代、そんなことを思っている人はいないと思うけれど。たぶん…。
でも、1950年代当時はそう言われた。叩かれた。揶揄された。まあ、確かに。ロックンロールは無意味なたわごとでしかないのかもしれない。が、たとえそうだったとしても、それはとてつもなくパワフルで、高慢で、魅力的なたわごと。そんな事実を実証し続けてくれた最大/最高/最強のロックンローラーが、リトル・リチャードだった。
10年ちょっと前あたりから、左脚の坐骨神経痛に起因する歩行障害に悩まされ、ステージでも車椅子でのパフォーマンスしかできなくなってしまったという話を耳にしてはいた。5年ほど前、股関節の手術を受けたものの、経過は悪く、健康状態がそうとう深刻だというニュースがSNS上を飛び交ったこともあった。が、その後、「大丈夫! まだまだ元気!」という本人のコメントも発表され、いったんは落ち着いていたのだけれど。
無敵の最強ロックンローラーも病魔と寿命には勝てなかった。悲報が届いた。2020年5月9日、骨癌との闘いののち、テネシー州ナッシュヴィルの自宅で他界。享年87。
これは、ぼくがよく原稿に記したりラジオで披露したりするエピソードなのだけれど。1957年9月、米国の人気テレビ番組『スティーヴ・アレン・ショー』で興味深い、というか、とてつもなく馬鹿馬鹿しい企画が放送されたことがある。当時、世を席巻していたロックンロールなる新種の若者音楽がいかにくだらない代物であるかを世に喧伝しようという企画。そこで行なわれたのは、なんとロックンロールの歌詞の朗読だった。
血祭りに上げられたのはジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」。カクテル・ピアノふうのこじゃれた伴奏に乗って、スティーヴ・アレンが朗読する――
「ビー・バップ・ア・ルーラ、シーズ・マイ・ベイビー…」
抑揚も発音も明瞭な美しい英語で朗読を続けつつ、時折“なんだこりゃ、ワケがわからん”とでも言いたげに肩をすくめる。会場に集まった客たちも“まったく困ったもんだ”といったふうに顔をしかめ、失笑をもらす…と、そんな感じ。ロックンロールの欲望全開放的パワーに恐れをなした当時の大人たちは、こんな姑息な手段に訴えつつティーンエイジャーの快感を腕尽くでおさえつけようとしていた。
こんな企画に何の意味もないことは今では誰もが知っている。ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」は本当にかっこいい。泣ける。胸が高鳴る。確かに歌詞はひどくくだらなく、無意味なものかもしれない。が、その無意味な言葉をジーン・ヴィンセントが独特の扇情的なヴィブラートに包んで吐き出してみせるとき、詞が突如息づく。形容しがたい活気と躍動が生まれる。
問題は歌詞の内容が取るに足らないかどうかじゃない。その取るに足らないもので、しかしジーン・ヴィンセントはぼくたち聞く者の心をこれほど高鳴らせてくれるということ。ここにこそ語るべき大きな問題が潜んでいる。ロックンロールが持つダイナミズムを解明するための重要なヒントが隠されている。
“ウェエエエエエル、ビーバッパルーラ…”と、深いエコーの彼方からワイルドなシャウトを繰り出してみせたヴィンセントが、当時覚醒させたティーンエイジャーたちの“無意識”は、恐るべきものだったはずだ。そして、それをヴィンセント以上の鮮烈さをもって実践してみせた最高のシンガーがリトル・リチャードだった。
リトル・リチャード。本名、リチャード・ウェイン・ペニマン。1932年、ジョージア州メイコン生まれ。両親が第七日再臨教派に属していたため、彼自身もその信者として幼いころから教会の聖歌隊で歌いながら育った。子供時代のことについて、のちのインタビューで面白いコメントをしている。
「うちの家族はリズム&ブルースが嫌いだった。だから、子供のころはビング・クロスビーやエラ・フィッツジェラルドの歌ばかり聞いて育った。そういう音楽よりももっとやかましい“何か”があることは知っていたけれど、それをどこで見つけたらいいかわからなかった。そして、ようやく気付いた。その“何か”とは、自分自身だったんだ、と」
1951年にレコード・デビュー。しかし、当初の数年は本領発揮できずじまい。そんなリチャードのごきげんな“やかましさ”が花開くのは、いくつかのレコード会社を転々としたのち、ロサンゼルスの名門R&Bレーベル、スペシャルティ・レコードと契約を交わした1955年以降のことになる。
スペシャルティからリリースされたリチャードの初レコードは自作の「トゥッティ・フルッティ」という曲。1956年1月に全米チャートに初登場して、最高17位に達するヒットを記録した。冒頭、いきなり“アワッバパルバッパロッバンブーン!(A Womp Bomp A Loo-Bomp A Lomp Bomp Boom!)”というリチャードの強烈なシャウトからスタートする最高にアナーキーなロックンロール・チューンだった。
この曲、白人の優等生的シンガーの代表格、パット・ブーンがカヴァーしてリチャード以上のヒットに仕立て上げているのだけれど。パット・ブーンの穏やかな歌声で“アワッバパルバッパ…”と歌われる限り、確かにこの歌詞は何も表わしてはいない。無意味。単なるリズミカルな言葉遊び以上のものではない。
が、リチャードのヴァージョンは違う。まるで違う。この冒頭のシャウト一発で、彼は狂乱と、高慢さと、ぎらつきと、そして何よりもセックスを表現してみせた。ほんの一瞬の、まだバックの演奏もスタートしない最初の数秒間のシャウトで、リチャードは言葉では書き切れないほどのドラマを聞き手に向けてぶつけてくるのだ。その情報量ときたら、ノーベル文学賞に輝いたボブ・ディランの歌詞すらも凌駕する。これこそがリトル・リチャードの、そしてロックンロールそのものの、最大の魅力だ。
彼の激しい唱法やステージ・アクションを真似した者は、1950年代のジェリー・リー・ルイスから、1960年代のポール・マッカートニー、ジョン・フォガティ、1970年代のエルトン・ジョン、ビリー・ジョエルらを筆頭に、多くのグラム・ロック勢、ハード・ロック勢、パンク/ニュー・ウェーヴ勢まで、それこそ数え切れない。レッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」のイントロのドラムがリトル・リチャードの「キープ・ア・ノッキン」の丸パクリだというのもおなじみのエピソードだろう。
ロックンロールが服のボタンをはじけ飛ばすような興奮そのものなのだということを知らしめた重要なアーティスト、それがリトル・リチャードだった。ありがとう。心からの感謝を贈ります。どうぞ、安らかに…いや、天国でも大暴れを。