アット・ディス・タイム/バート・バカラック
バート・バカラックが紡ぎ上げる旋律と和声の魔法、そして緻密で無駄のないアンサンブルを嫌いだなんて人、いるわけがないと思う。親しみやすく美しい肌触りで聞き手の心を癒やし、かと思うと突如、想定外の転調や変拍子を繰り出して聞き手の耳を確信犯的にそばだて…。
絶妙だ。天才だ。まさにワン・アンド・オンリー。1950年代から半世紀以上にわたって彼がぼくたちに届けてくれた楽曲たちは、「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' on My Head)」「小さな願い(I Say a Little Prayer)」「遥かなる影(Close to You)」「リーチ・アウト」のような超有名曲だけでなく、「エニー・デイ・ナウ」「アイ・ウェイク・アップ・クライング」「ドント・ゴー・ブレイキング・マイ・ハート」のようなちょいマニアックな曲も含め、すべてがポップ・ヒストリーに残された至宝だ。ハル・デヴィッド、ボブ・ヒリアード、キャロル・ベイヤー・セイガー、ジョン・ベティスら多彩な作詞家たちと組んで彼が放ったヒット曲はそれこそ無数。バカラック作品を取り上げたアーティストは軽く1000組を超えるという。
が、そんな、ある意味すでに“アガり”の状態というか、悠々自適で余生を過ごせばいいはずのバカラックが、何かにかき立てられたように新作アルバムをリリースしたのが今から15年前、2005年のことだ。28年ぶりに自身のソロ名義で発表された『アット・ディス・タイム』。エルヴィス・コステロ、ルーファス・ウェインライト、ドクター・ドレなど興味深いゲスト陣を迎え、ループやプログラミングなど彼の世代にとっては珍しい音作りの手法も駆使しつつ構築した1枚で。従来のバカラックのイメージとはちょっと違う、嘘にまみれて荒みきった世界に対する疑念や絶望感を託したシリアスかつ意欲的なメッセージ・アルバムだった。
それがこのほど日本独自に再発されることになった。名盤をBlu-spec CD2で復刻する“レガシー・レコーディング・シリーズ”の一環。4月にバカラックが来日することになっていた(いる?)ので、それに合わせた来日記念盤としての再発だったのだろうけれど。この状況下、さすがに来日はなくなりそう。まあ、来るにせよ来ないにせよ、このアルバムの再発だけは実現。ということみたいなので、せっかくだから取り上げておきます。明日、3月25日発売です。
オリジナル発売時、収録曲の中でぼくの耳を一気に惹きつけたのが、アルバム冒頭に収められていた「プリーズ・エクスプレイン」という曲。そこでバカラックは、“かつてこんな歌があったのを覚えている/世界が今求めているのは…/今、愛はどこにあるんだ/愛はどこに行ってしまったんだ/お願いだ、説明してくれ…”と歌っていた。彼が1960年代、盟友ハル・デイヴィッドとともに共作した名曲「世界は愛を求めてる(What the World Needs Now Is Love)」に込めたテーマを新たな時代に改めて問い直す、驚きの1曲だった。
「世界は愛を求めてる」の作詞を手がけたデヴィッドがあの曲のテーマを思いついたのは1963年か64年。当時、彼には大いに気がかりなことがあった。アメリカ政府が大規模な軍事介入を本格化させ始めたヴェトナム戦争だ。いつか自分の子供たちも戦争に駆り出されることになるのだろうか…。そんな不安にさいなまれながら、少しずつ少しずつ、1〜2年かけて書き上げた歌詞だったのだとか。
最初のうちデヴィッドは“こんな時代、今こそ優しい愛が必要だ”というメッセージを強調するための対立イメージとして、“これ以上高く飛べる飛行機はいらない”とか“これ以上早く走ることができる汽車はいらない”とか“これ以上深く潜れる潜水艦はいらない”とか、人造のものばかり思い浮かべながら歌詞を書き進めていたらしい。
が、戦争のこと、子供たちのこと、移動の際、車のフロントグラスから視界に飛び込んでくるストリートの光景などに思いを馳せるうちにふと気づいた。彼が歌いかけるべきなのは“Lord”、つまり神だったはずだ、と。特に宗教的に深い意味があったわけではなく、山とか谷とか河とか、人間が神と呼ぶ何か、あるいは何者か、つまり自然が作り上げたものこそを歌詞に綴るべきだった、と。
そして“Lord, we don't need another mountain”というフレーズが生まれた。そこから“神様、私たちはこれ以上、山はいりません/登らなければならない山も丘も、もう十分なほどあります/渡らなければならない海や河も十分あります/永遠に絶えることのないほどあります”という歌詞が完成し、バカラックならではの美しい旋律が付けられて、あの名曲が誕生した。
ご存じの通り、この曲はジャッキー・デシャノンをはじめ、ディオンヌ・ワーウィック、スプリームス、シラ・ブラック、カーラ・トーマス、ステイプル・シンガーズ、ジュディ・ガーランド、チェンバース・ブラザーズ、ジョニー・マティス、ルーサー・ヴァンドロス、エイミー・マン、マッコイ・タイナー、ステイシー・ケントなど、多彩なジャンルのシンガーや演奏家によって現在まで歌い継がれてきた。カヴァー・ヴァージョンは優に100を超える。世界中で共有できる偉大なメッセージ・ソングとして時を超えて愛され続けている。
が、ふと思うのだ。楽曲が作られてから半世紀が過ぎてなお、この曲のメッセージが世の中に対して有効に機能しているということは、つまり世の中から無益な争いがまったくなくなっていないことの証でもある、と。何ひとつ変わっていない。そして、そんな悲しい事実を別ベクトルから再検証してみせたのが、ソングライティング・パートナーだったバート・バカラックによる2005年の「プリーズ・エクスプレイン」だったのだろう。
悠々自適の巨匠が、しかし、かつて自分たちが紡ぎ上げた名曲の歌詞を織り込んだ辛辣なメッセージ・ソングを歌わなければならない時代。それはリリースから15年を経た今なお変わらない。時代を超える名曲だからこその、なんとも皮肉なパラドックス。複雑な意味で、泣けます。沁みます。