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Tucson Train / Bruce Springsteen (Columbia)

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トゥーソン・トレイン/ブルース・スプリングスティーン

ブルース・スプリングスティーンが6月14日にリリース予定の新作アルバム『ウエスタン・スターズ』。以前、こちらのページで先行トラック「ハロー・サンシャイン」の素晴らしさに関して、まいったぜ、こりゃグレン・キャンベル/ジミー・ウェッブだぜ!と大騒ぎさせていただきましたが。その後、「ゼア・ゴーズ・マイ・ミラクル」って曲も公開されて。これがまたロイ・オービソンみたいで、たまらなくて。アルバム発売がさらに待ち遠しくなってしまって。

と、思っていたら、3曲目の先行トラックが登場。「トゥーソン・トレイン」。今回はついにビデオ・クリップとしての公開だ。で、それ見てまたまた盛り上がってしまったので、コーフンしてさっそくこの文章書いてます。もちろん曲も、サウンドも、ごきげんに素晴らしいのだけれど、歌詞の世界観がまた渋くてかっこいい。でも、その歌詞がどういいのかを説明するのがむずかしい、ああ、もどかしい、英語ってややこしいな、と。今回のブログ更新はそんな話です。で、いったんスプリングスティーンの話題から少し離れた与太話に突入しますが。

訳詞はむずかしい。アンディとか、ディランとか、ビッグ・シーフとか…。

かつてぼくは、翻訳文学を多く扱う出版社に勤めていて。おかげで、翻訳の何たるかというか、翻訳という作業自体があらかじめはらんでいるどうにもならない歪みみたいなものについて考えさせられる機会が何かと多かった。単に横のものを縦にする、つまり横書きの英語を縦書きの日本語に置き換えればいいというわけにはいかないし。

小説だけじゃなく、たとえば日本語吹き替え版の外国映画とかドラマとかもそう。あと、われわれ日本の洋楽ファンにとっていちばん切実なのは訳詞というやつ。詞の場合、小説以上にむずかしい。意味だけ日本語化すればいいというものではないから。韻とかもあるし、テンポ感とかもあるし、倒置とかも多いし…。

たとえば、ぼくが大好きな曲のひとつに、アンディ・ウィリアムスの「メイ・イーチ・デイ」というのがあって。この曲の歌詞は、要するに、1週間のうちの毎日がそれぞれいい日でありますように、ひと月のうちの毎日がいい日でありますように、週が月となり、月が年となり、そこには悲しみも喜びも笑いも涙もあるだろうけど、私が神さまに祈るのはたったひとつ、あなたの毎日が愛にあふれた素敵な日でありますように、ということだけ…みたいな。まあ、実にストレートなもので。聞くたびに毎度泣けてきてしまうのだけれど。

ただ、この歌詞の最後の2行というのが、もう日本語にならないというか。

May each day in your life be a good day
And good night

この曲、テレビの『アンディ・ウィリアムス・ショー』のエンディング・テーマとしても使われていたので、最後の行がぐっと効いてくる。意味は“あなたの人生のうちの毎日がいい日でありますように/おやすみなさい”。普通に訳すとしたらそうなるしかないものの。見ればわかる通り、これって“おやすみなさい”の意味を持ったグッド・ナイトと、“いい日”=グッド・デイと対を成す“いい夜”という、そのものの意味を持ったグッド・ナイトとのふたつのイメージが重なり合っているわけで。グッド・デイでありますように、そしてグッド・ナイトでありますように…。これを注釈なしで日本語として味わえる表現に訳すのはそうとうむずかしいと思う。

ボブ・ディランの「ホエン・ザ・ディール・ゴーズ・ダウン」って曲に関しても思った。ディランの場合、曲が1、2、3番…と流れていくとして、1番ごとの最終行に曲名に冠されたフレーズが位置していることが多い。「風に吹かれて」も「ライク・ア・ローリング・ストーン」も「ブルーにこんがらがって」もそのパターン。で、この「ホエン・ザ・ディール・ゴーズ・ダウン」もそうで。曲全体の大意としては“食べて、飲んで、笑って、泣いて、言うつもりもなかった一言に苦しんで。やがてこの契約が果たされるとき、ぼくは君とともにいるだろう…”みたいなものなんだけど。この“ディール”をどう解釈するかが難物で。英語では毎ヴァース同じフレーズで歌われているにもかかわらず、日本盤についていた訳詞では毎ヴァース違う日本語に訳されていたっけ。この辺、訳者の迷いがにじみ出ていた。大変なお仕事だ。

最近の例だと、ビッグ・シーフかな。Mikikiのほうに記事を寄せさせてもらったのだけれど。そこでも触れた「フロム」という曲。この曲で中心メンバーである女性シンガー・ソングライター、エイドリアン・レンカーは“No one can be my man”という詞を歌っている。が、その歌詞の後半、“be my man”の部分ばかりをえんえん繰り返して歌うため、本来の意味は“誰も私の男になれない”なのに、聞いていると逆に“私の男になって”というイメージが妙に鮮明に脳裏に残ってしまう。この感触も日本語にするのはむずかしいかも。まったく翻訳って作業はやっかいだ。

「トゥーソン・トレイン」もかなり日本語化しにくいかも。

というわけで、ようやく今回のスプリングスティーンに戻りますが。「トゥーソン・トレイン」。米国ブルースやゴスペル、カントリーの世界である種の神話や寓話を象徴する際のメタファーとして伝統的に多用されてきた“トレインもの”だ。スプリングスティーンにとっては、アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』収録の「ダウンバウンド・トレイン」とか、『トラックス』に収められた「リーヴィン・トレイン」とかに続く1作。暮らしに疲れ、打ちひしがれ、愛する人を残してサンフランシスコを後にした男の心情が描かれている。

ホーンやストリングスも効果的に配したラージ・アンサンブルが静かに構築するほろ苦い音像の下、物語は進行。主人公は駅に佇んでいる。トゥーソンからの汽車でやってくる彼女を待ちながら。自分は変わったということを証明するために…。

アリゾナからの汽車が、隣接するカリフォルニアを経由し、サンフランシスコで彼女を乗せてやってくるという米国ならではの雄大な移動感覚にはジミー・ウェッブ作の名曲「恋はフェニックス」に通じるものを感じる。“ハードな仕事は心も身体もクリアにしてくれる/ハードに照りつける太陽は痛みを焼き尽くしてくれる”とか、あえて明瞭に様式に則った歌詞表現にもしびれる。ぐっとくる。このあたりは意味だけ綴っても、なんとか日本語訳詞でかなりの部分、魅力を味わえそうではあるのだけれど。

ただ、この曲の展開部で、“We fought hard over nothin’ / We fought till nothin’ remained / I’ve carried that nothin’ for a long time”と歌っている個所があって。むちゃくちゃハードボイルドでかっこいい! と感じて。盛り上がって。でも、この“nothin'”の使い方とか、やっぱり簡単には日本語にできねーよなぁ…と、またまた翻訳のむずかしさを思い知らされてしまった、と。そういう話でした。

意味としては“つまらないことで激しく喧嘩して/すべて失われるまで言い争って/その空虚さをずっと抱き続けて…”みたいなことになる。けど、実際、スプリングスティーンは“nothin'をめぐって激しく喧嘩して/nothin'しか残らないまで喧嘩して/そのnothin'を長いこと抱え続けてきて…”と、nothin'を3連発。このすべてに対して同じ訳語を充てないとスプリングスティーンが表現したかった本来の感触は伝わらないんじゃないかなぁ、ぼくがさっき書いたみたいに“つまらないこと”とか“すべて”とか“空虚さ”とか別々の訳語を充てたんじゃダメなんじゃないかなぁ、訳詞を担当なさる方も大変だなぁ、と。曲に感動しながらも、そういう無責任な感想を抱いたのでありました(笑)。

英語圏ではない日本で英米生まれの文化を受容する際の大きなジレンマ。もちろん、逆に考えれば、このジレンマの中にこそ、訳す側の思いなりセンスなりクリエイティビティなりを入れ込む隙があるとも言えて。そのあたりをいかに逆手にとるか、そんなことを考え始めるとそれはそれで面白いわけだけれど。

何はともあれ、早く6月14日になれ! と。そういうことです(笑)。絶対、カラー・ヴァイナル版アナログがほしいな、これは。

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