ザ・シングルズ〜ザ・ファースト・フィフティー・イヤーズ/ABBA
以前も書いた通り、ワンダーミンツのダリアン・サハナジャとノージくんとはいろいろな趣味で意気投合しているマブダチ。共通の趣味のうち特に重要なのがABBAだ。二人ともABBAが大好きで。しかもノージくんは子供のころ、1980年に行われたABBAの武道館公演を見ているもんで。ダリアンから思いきりうらやましがられている。二人の熱いABBAトークを聞いていると、ほんと、楽しい。
と、そんなABBA。もちろんぼくも大好き。特に二人の“B”、ビョルンとベニーのうちのひとり、メイン・ソングライターとして大きな役割を果たしてきたベニー・アンダースが気になる存在で。これは以前、オンライン音楽雑誌「エリス」の連載ページでも書かせてもらったことの繰り返しなのだけれど。
ベニーって、幼いころからクラシック音楽、スウェーデン民謡、ヨーロッパのポップ・ヒット、そして米国のロックンロールまで、幅広い音楽に接しながら育ってきたらしく。好きな作曲家を問われるといつも名前を挙げるのが、J.S.バッハ、リチャード・ロジャース、アーヴィング・バーリン、レノン=マッカートニー、レイ・デイヴィス、トニー・ハッチ、そしてブライアン・ウィルソン…。
いいラインアップではあるけれど。でも、こう列挙してみると、まあ、わりとフツーっちゃフツーの顔ぶれというか。ちょっとゆるめというか。いや、別にそれが悪いというのではなく。むしろ、この辺のポップス全般に対するなんとも言えない“ゆるさ”こそがベニーの持ち味なのかなと思うのだ。マジなポップス研究家とかがついとらわれがちなマニアックな罠を避けつつ、いい意味で漠然とした英米ポップスの手ざわりを再構築する作風。この軽やかなスタンスがいい方向に花開いた好例、それがABBAだった気がする。
たとえば、彼らのブレイクのきっかけともなった1974年の「恋のウォータールー(Waterloo)」など、ウィザードの「シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ」に代表されるロイ・ウッド流フィル・スペクター・サウンドのABBA版といった作りになっているわけだけれど。同趣向の名曲としておなじみ、大滝詠一の「君は天然色」などと比べると、ここでのベニーのアプローチ自体はそれほどマニアックなものではない。思いきりまっすぐだ。
音像としては確かに不思議な肌触りに仕上がってはいるものの、これはエンジニアのミケル・B・トレトウが1973年のシングル「リング・リング」をレコーディングするときに編み出した、独特の、けっこうチープな多重録音方法に依るところが大きい。
多くのレコーディング・エンジニア同様、ミケルも当然フィル・スペクターにぞっこん。リチャード・ウィリアムス著『アウト・オヴ・ヒズ・ヘッド〜ザ・サウンド・オヴ・フィル・スペクター』という本を熟読し、いつかは大人数でいっせいに録音するスペクター・サウンドのようなレコーディングをやってみたいと願っていたのだとか。
が、ABBAがレコーディングをしていたストックホルムのメトロノーム・スタジオというのは小さなスタジオで。フィル・スペクターがロサンゼルスやニューヨークでやっていたような大編成のミュージシャンをいっせいに演奏させることはできない。実際、「恋のウォータールー」もベーシックな参加ミュージシャンはベニーを入れて4人程度だった。
そこで、ミケルはまず一回ベーシック・トラックを録音。できあがったところで、もう一回、同じ演奏を重ねて録音することにしたのだが、その際、マルチ・テープレコーダーのキャプスタン部になんとセロテープをぐるりとひと巻き。それによって微妙に回転数が変わり、ピッチがずれる。天然フランジャー。そのテキトーな効果が、広がりのある、ABBA独特の疑似スペクター・サウンドをもたらした、と。
これをスウェーデンで1974年にやっていたのだから、ABBAもあなどれない。ウィザードの「シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ」が1973年。デイヴ・エドモンズが一人多重録音による疑似スペクター・サウンドに挑んだシングル「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」や「ボーン・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」も1973年。大滝詠一「君は天然色」に至っては1981年。こう見ても、かなり早い段階での挑戦だったのは事実。
とはいえ、これも特段ベニーの手柄というわけではなく。むしろ、ミケルの手柄なわけで。でも、たぶんミケルだけで暴走していたら、よりマニアックな沼にずぶずぶはまり込んでいったかもしれないところを、ベニーのふわっとした、ひたすら無邪気なポップス・ファン気質が救った感じ。実際、曲作りを開始した当初、「恋のウォータールー」はちょっぴりジャジーなフォー・ビートものだったという。そこにセッション・ミュージシャンたちが面白いリフを持ち込んだり、ミケルがユニークな音像を生み出したりする中で、徐々に完成形へと至った。
そういうことだ。あらゆる要素を分け隔てなく、等距離に摂りこむことができる大らかな懐深さ。北欧に暮らす英米ポップ・マニア仲間たちの熱意や意欲をあますところなく、絶妙に活用しながら、それらをいきいきと包み込む器量。メロディを紡ぎ出す能力以上に、ベニー・アンダーソンという人の才能はそのあたりにありそうな気がする。と考えると、ABBAというアーティストの実態は、彼ら北欧のポップス・マニアによるある種の総力戦、みたいな…。
その昔、1960年代末あたりまでの日本のラジオのヒットチャートには英米のロックもの、ソウルものばかりでなく、フランスのシャンソンも、イタリアのカンツォーネも、映画音楽も、ジャズも、カントリーも、イージーリスニングものも、何でもかんでも顔を出していた。あの当時の愛すべき雑居感覚。それがABBAの音楽にはある。ビリー・ヴォーン楽団が1950年代にヒットさせた「波路はるかに(Sail Along, Silv'ry Moon)」っぽいノスタルジックなサックス・アンサンブルを継承してみせた「アイ・ドゥ、アイ・ドゥ、アイ・ドゥ」とかも最高だったなぁ。今でもいちばん好きなABBAの曲かもしれない。
と、そんなABBA最強のコンピレーション、1982年に編まれた『ザ・シングルズ〜ザ・ファースト・テン・イヤーズ』の拡張エディションが出ましたー! 『ザ・シングルズ〜ザ・フィフティー・イヤーズ』。2021年、40年ぶりに出た新作スタジオ・アルバム『Voyage』からのトラックも含めたCD2枚組、全38曲。ブックレットも充実。7インチ・ジャケット仕様のデラックス版とか、LP4枚組とか、ハイレゾとか、いろいろなフォーマットで出ています。
そういえば、今回のベストでも後半のほうに収録されている1981年の切ないミディアム・バラード・シングル「ワン・オヴ・アス」のビデオ・クリップに、パートナーとの別れたアグネタさんが引っ越した先のおうちで荷物を整理しているっぽいシーンがあって。そこにザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のLPがどーんと映し出されたりもする。音楽的には全然関係ない感じではあるのだけれど。あのシーンを見たときも、あ、なんかふわっとしてるな、ABBAらしいな、と思ったものです。
時代も国も自在に飛び越えつつ奔放に構築されたABBAの音世界。彼らはあらかじめ時代を越えていたということかもしれない。異邦人である自由さを最大限に活かしながら、時代時代の流行だけに左右されないエヴァーグリーンな音世界を存分に楽しみましょう。