ネヴァー・トゥー・レイト:デュエッツ・ウィズ・マイ・フレンズ/ジム・クウェスキン
深く険しい音楽道への入口へとぼくたちを誘う“紹介者”的なアーティストってのがいる。この人もそのひとり。ジム・クウェスキン。
まじ、恩人だ。ぼくにとってフォーク/ブルースの最良の紹介者になってくれた人。ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンドがトラディショナルなフォークや戦前ブルース、スタンダードをカヴァーしまくった1963年録音のファースト・アルバムを、だいぶ後追いではあったけれど1970年代初頭、高校生のころに小川町のハーモニーってレコード屋さんで買って。聞きまくって。そのひょうひょうとした感覚にやられて関連音源を集めまくって。すっかりその道にハマったものです。
有名無名含めて昔の名曲を発掘し、さほど大きくアレンジすることなく聞かせてくれるクウェスキンの場合、自作自演でなきゃ一段下…みたいな誤った見方が定着してしまったビートルズ以降のポップ・シーンでは評価の対象になりにくかったのかなとも思うわけだけれど。
でも、メンフィス・ジャグ・バンドやガス・キャノンやミシシッピ・ジョン・ハートやチャック・ベリーやペギー・リーなど縦横無尽にカヴァーしまくったこの人がいなきゃ、ぼくがその種の過去の名作群に出会う時期はもっと遅くなっていたはず。アパラチアン・カントリーも、ティン・パン・アレイ生まれのグレイト・アメリカン・ソングブック系の曲も、ラグタイムも、ブルースも…。この人に教わった音楽性は本当に多い。
と、ぼくにとってそんな紹介者的な役割を果たしてくれたクウェスキン。80歳代に突入した今なお同じ姿勢のまま活動を続けているようで。すでにキャリア60年以上。今や彼自身がある種のルーツ・ミュージックへと昇華した感も。
去年の初頭、クウェスキンはプロデューサーのマシュー・バーリン(ベース)とともに本拠地ボストンにほど近いマサチューセッツ州ジャマイカ・プレインにあるディメンション・サウンド・スタジオ入り。エリック&スージー・トンプソンとしての活動もおなじみのスージー・トンプソン(フィドル)、アスリープ・アット・ザ・ホイールに在籍していたこともあるシンディ・カシュドラー(スティール・ギター)、シカゴ系のハーモニカ奏者として知られるアニー・レインズなど、女性の腕ききミュージシャンの助けを借りつつ、本作『ネヴァー・トゥー・レイト』を録音した。
ゲストは、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド出身のマリア・マルダーや、その後輩にあたるサモア・ウィルソンとメレディス・アクセルロッド、コンサートで頻繁に共演しているローズ・ゲリンやジュリ・クロケット、そして孫娘のフィオナ・クウェスキンなど、縁の深いお気に入り女性シンガーたち。「ザ・ローン・ピルグリム」に客演しているネル・フットという人のこと、ぼくは知らなかったのだけれど…。お友だち?
選曲的にもレッドベリー、ウディ・ガスリー、メンフィス・スリム、カーター・ファミリーなどブルース〜フォーク〜カントリー系のレパートリーから、アーヴィング・バーリン作品のようなティン・パン・アレイものまでがシームレスに混在。かつてレコーディングしたことのある曲の再演も多く、そんなことも含めて60年におよぶ自身のキャリアを集大成してみせている。どの曲も前述ディメンション・サウンド・スタジオでほぼ1テイクか2テイクで録音されたという。
例外はマリア・マルダーが歌った2曲。これはクウェスキンたちがカリフォルニアに出向いてレコーディングされた。あと、ラストを飾るアパラチアン・バンジョー・チューン「ザ・クックー(カッコー)」も別録音だ。こちらは1960年代からのフォーク仲間だったジェシー・ベントン(画家トーマス・ハート・ベントンの娘さん)とデュエットしたものなのだけれど。昔からレコーディングには興味のなかった彼女が、数年前たまたまスタジオに遊びに来た際、いろいろ言いくるめて一緒に録音した貴重な音源らしい。去年、彼女が83歳で亡くなったという報せを受けて、アルバムのラストに収めることにしたのだとか。
いつまでもお元気でね。
【追伸】
実は今夜、とあるライヴを見て、そのコンサート評を明日のお昼までに仕上げなきゃならないという、なかなかに過酷なミッションを課せられておりまして。そっちがんばりますので、明朝のブログ更新は臨時休業させていただきますね。ひとつよしなに。