クイーン・オブ・ロックンロール/ティナ・ターナー
その昔、1980年代後半に、とある仕事でチェッカーズの全メンバーにアンケートをとったことがあった。懐かしい。お題は“あなたが世界でいちばんファンキーだと思う女性は?”
7人のメンバーそれぞれ別々に、別々の場所でアンケートに答えてもらった。ちなみに“世界でいちばんファンキーな男性は?”という問いに対してはジェームス・ブラウンだのプリンスだの高杢禎彦(!?)だの、思いきり票が割れたっけ(笑)。にもかかわらず女性に関しては、なんと満場一致。一発で決まった。
ティナ・ターナー。
一種の象徴だったのだろうな、と思う。1980年代のポップ・ミュージック・シーンにおける象徴。彼女しかいなかったってことだ。あれほどファンキーで、あれほどパワフルで、あれほど露わで、あれほどセクシーで…。そんな個性、当時、ちょっと他には見当たらなかった、と。今年はたくさんの訃報に胸を痛めっぱなしで。この人の他界の報もショックだったな…。アイク&ティナ時代の歌声で追悼プレイリストも作りました。
ぼくがこの人のステージを初めて生で見たのは1972年。アイク&ティナ・ターナー時代。高校生だったころだ。その前、1970年の赤坂ムゲン公演が初来日かな? それは、さすがに中学生には怖くて行けなかったけど。1972年、日比谷公会堂で見たアイク&ティナのコンサートのことは忘れられない。あ、いや、ウソです。細かいことは大方、正直言って忘れちゃっているのだけれど(笑)。とにかく、ものすごく濃密だった、と。濃くてぎゅっと密だった、その感触だけは忘れない。コンサート序盤のほうでぶちかましてくれた「プラウド・メアリー」とか、やっぱり圧倒的だったっけ。
で、もうひとつ、思いきり忘れられないのが1988年春、東京ドームで行なわれたミック・ジャガーのコンサートに飛び入りしたときのステージだ。ミックとのデュエットで聞かせた「イッツ・オンリー・ロックンロール」がすごかった。見事だった。
ロックンロール。そう。まぎれもなくティナはそう歌った。シャウトした。そして、ハマっていたのだった。恐いぐらい。ぼくたち観客の心をこの上なく熱く高揚させてくれた。ちまちましたジャンルの壁などすべて粉砕して突き抜ける天性の柔軟さと強靭なバネ、という意味合いでのロックンロール。だからこその“ロックンロールのクイーン”。このほど彼女のソロ・シングル・ナンバーを総まくりする形で編まれたCD3枚組アンソロジーのタイトルに偽りなしだ。
アイクと決別しソロ独立したのが1974年。単独名義での初シングル、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」のカヴァーが出たのが1975年。それ以降、2020年にノルウェーのDJ/プロデューサー、Kygoがリミックスを手がけた「愛の魔力(What's Love Got to Do with It)」まで。全55曲のシングル曲を年代順に収録した3枚組CDエディション、同じく全55曲を収録した5枚組アナログLPエディション、その中から厳選された12曲を収録したアナログ盤という3形態でのリリースだ。
やっぱアナログ5枚組がいいよなぁ…と思いつつも、国内盤CD3枚組もおすすめ。これ、アナログ5枚組ボックスのみに掲載されている英文での全曲解説の日本語訳が付いてます。日本人リスナーとしてはなんだかお得感ありです。
ぼくがソロ・アーティストとなったティナの存在を改めて強く意識したのは、やはり1983年、ブリティッシュ・エレクトリック・ファウンデーションとのタッグの下、アル・グリーンの代表曲をカヴァーしてみせた「レッツ・ステイ・トゥゲザー」でだったけれど。あれからもすでに40年か…。本当に長らくお世話になりました。ありがとう。まあ、今回もラストを締めくくるのは例のお題目が不気味に盛り込まれた「サムシング・ビューティフル」だったりして。その辺の宗教絡みの部分にはどうしてもちょっと腰が引けがちになるのだけれど。
そうした宗教観はともあれ、ハード・ロックも、ソウルも、ディスコも、ポップも、なんでもかんでも独自の柔軟かつ強靱な歌声で自分のものにしてしまいながらのティナの音楽面での歩みには、とにかく改めて打ちのめされるばかりです。ちなみに改めてこのアンソロジーのタイトルに立ち返るけれど。これ、ティナが“あなたはどんなふうに記憶されたいですか?”という質問に対して放った発言に基づいている。ティナさんはこう答えたのだとか。
“ロックンロールの女王として。自分の思うまま成功を求めてもいいんだと他のすべての女性に示した女性として”
かっこいいっすねー。