Disc Review

First Flight To Tokyo: The Lost 1961 Recordings / Art Blakey & The Jazz Messengers (Blue Note)

ファースト・フライト・トゥ・トーキョー/アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ

去年の1月、ザ・ジャズ・ディフェンダーズってグループを紹介したときに書いたことの繰り返しになるのだけれど。そのとき書いたことを改めてまるっと引用しておくと——

1980年代初頭、ぼくはサラリーマン編集者としての生活に区切りをつけて会社をやめ、音楽関係の原稿を書くようになった。初めてレギュラーで執筆するようになったのはとあるジャズ雑誌。そこで、当時のジャズ評論の重鎮のお方と僭越ながら対談をさせていただいたことなどもあったっけ。

その際、ぼくは1950年代のファンキー・ジャズをR&Bインストの一環ととらえて踊りながら聞くとか、そういうのも楽しいですよね、と発言して、重鎮さんから鼻で笑われたものだ。そういうことを大声で言うもんじゃない、恥ずかしい、と諫められた。

40年近く前だ。大昔の話。おっかなそうなクロートさんがやけに難しく、ありがたそうにジャズを解説しつつ、“鑑賞”するみたいな風潮がまだ幅をきかせていたころ。今にして思えば、そんな時代もあったのだなぁ、と遠い目になる。あのころに戻りたいとかは絶対に思わないけれど、懐かしいことは懐かしい。ずいぶんとジャズの聞き方も自由になった。よかった。

そんなふうに重鎮評論家氏にたてついた際、ぼくの頭の中で鳴っていたのはアート・ファーマー&ベニー・ゴルソンのザ・ジャズテットとか、ドナルド・バード/ペッパー・アダムズ・クインテットとか、キャノンボール・アダレイ・クインテットとか、ホレス・シルヴァー・クインテットとか…。

そして、何と言ってもこの人たち、ザ・ジャズ・メッセンジャーズだ。アート・ブレイキーが盟友ホレス・シルヴァーとともに初代ジャズ・メッセンジャーズを結成したのは1954年。以降、何度もメンバーチェンジを繰り返しながら、ジャズ界では珍しい長寿バンドとしてブレイキーが他界する1990年まで活動を続けた。

そんな中、もっとも人気があるメッセンジャーズというと、やはり前述ベニー・ゴルソンがバンドの音楽監督をつとめていた1958〜59年のラインアップ、つまりリー・モーガン(トランペット)、ベニー・ゴルソン(テナー・サックス)、ボビー・ティモンズ(ピアノ)、ジミー・メリット(ベース)、アート・ブレイキー(ドラム)という顔ぶれか。この時期に、ファンキー・ジャズ路線の代表曲とも言うべき「モーニン」や「ブルース・マーチ」「ウィスパー・ノット」などが誕生している。

が、実は音楽的にさらに面白みを増したメッセンジャーズは、1959年にゴルソンがアート・ファーマーとジャズテットを結成するために離脱した後を受けて当時注目の新進テナー・サックス奏者だったウェイン・ショーターが音楽監督を兼ねる形で正式加入してからだったりする。時期的にはまさに、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンらが牽引する形でジャズ・シーンがモード方面へと突入したころ。モーガン、ショーター、ティモンズ、メリット、ブレイキーというメッセンジャーズの新ラインアップも、そんなシーンの変化を反映したものだった。

この顔ぶれによる傑作アルバムはいくつかあるのだけれど。個人的には1960年8月録音、1961年リリースの『チュニジアの夜(A Night in Tunisia)』が好き。ぼくが推薦するまでもない、誰もが認める名盤だ。収録曲中、ぼくが特に好きなのは「ソー・タイアード」という曲。作者はメッセンジャーズのファンキー路線の大当たり曲「モーニン」と同じボビー・ティモンズで。従来のファンキー路線からモード路線へと転換していく、その途中経過を記録したような演奏にしびれる。

冒頭、いかにもティモンズらしいゴスペル風味満載のテーマ・メロディが提示された後、各奏者のソロが続く。モードへの傾倒が顕著なショーター、ファンキー色全開のティモンズ、その中間を行くモーガン…と、新旧感覚の入り乱れ具合が実に興味深い。が、何と言ってもブレイキー親分のドラムだ。ラテン調のスピーディなリズムパターンとスウィングする4ビートとを軽々と行き来しながら楽曲にスリリングな彩りを加える表現力は圧倒的。随所にザーッという、例の“ナイアガラ・ロール”をぶちかましながら演奏を大いに盛り上げる。えぐい。たまらない。

ある意味、スリリングな過渡期的クインテット。彼らは、そのアルバムが録音されたほぼ半年後の1961年1月、同じ顔ぶれで来日を果たしている。モダン・ジャズ・グループとして初の来日公演だった。そのときの日本人ファンの熱狂的な歓迎ぶりはいまだ伝説として語り継がれている。このとき、メッセンジャーズはさらに日本の若きジャズ演奏家たちとも積極的に交流。当時の日本では誰ひとり理解していなかったモード奏法をはじめジャズ界の新潮流を日本へダイレクトにもたらしたのもジャズ・メッセンジャーズ、特にウェイン・ショーターだったという。

と、そんな伝説的な来日公演のうち、初日、1月2日に東京・大手町のサンケイホールで収録されたライヴ盤はすでにリリースずみで、大ヒットを記録したのだけれど。同じ来日ツアーの別の日の記録も残っていたことがこのほど判明した。それが今日ピックアップした本2枚組『ファースト・フライト・トゥ・トーキョー』だ。

なんでも、この来日ツアーを追ったドキュメンタリー映画が当時撮影されていたものの、権利関係から映画がお蔵入り。フィルムおよびマスター・テープが長らく行方不明になっていた。が、2017年になって映画スタッフの遺品からその来日公演時の演奏を収めた1/4インチ・テープ5本が発見され、曲折を経て貴重な未発表音源の発掘を多数手がけてきたプロデューサー、ゼヴ・フェルドマンとデヴィッド・ワイスのもとへ。数年間にわたるリサーチの後、ついに米ブルーノート・レコードから全世界リリースが実現した、と。

というわけで、60年の歳月を超えてよみがえったのが、1961年1月13日と14日、2日にわたって東京・日比谷公会堂で繰り広げられたアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの熱いパフォーマンスだ。以前、本ブログでも紹介した『ジャスト・クーリン』に続くフェルドマン〜ブルーノートによるアート・ブレイキーの発掘音源ということになる。発見されたテープには不完全な録音もあったようで、そのあたりを省いたうえで、両日のパフォーマンスからベストのものをセレクトしている。

「ナウズ・ザ・タイム」「モーニン」「ブルース・マーチ」「ダット・デア」「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「チュニジアの夜」という、もうグレーテスト・ヒッツ系の豪華セットリストだ。「ナウズ・ザ・タイム」と短いクロージング・テーマのみ2ヴァージョンずつ収録。

メンバー全員、絶好調で。前述したような各々の持ち味が存分に発揮されたパフォーマンスを展開。特にボビー・ティモンズが「モーニン」とか「ダット・デア」とか、自作曲で披露する圧倒的なブロック・コード・ソロが最高だ。冒頭で引用した重鎮評論家氏からは“下品だ”と罵倒されそうな演奏だけど。これですよ、これ。血湧き肉躍るってのはまさにこのことだ。

ウェイン・ショーター、ドナルド・ハリソン、ルー・ドナルドソン、ビリー・ハート、マイ・ヘイズ、シンディ・ブラックマン・サンタナ、アート・ブレイキーのご子息のタカシ・ブレイキー、渡辺貞夫さん、湯川れい子さんらの貴重な証言や、大倉舜二・中平穂積両氏によるレアな写真、ボブ・ブルメンサルのライナー、根本隆一郎さん執筆によるテープ発見の経緯などを満載したブックレットも興味深い。

1961年1月というと、ぼくはまだ4歳か…。当然、この瞬間を生で目撃することはできなかったわけだけれど。こういう形で改めて当時の熱気を追体験できるのは本当にうれしい。ジャズがもっともホットでコンテンポラリーなポップ・カルチャーとしていきいき機能していた当時の生々しい記録です。

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