ストリクトリー・ア・ワン・アイド・ジャック/ジョン・メレンキャンプ
今さらながらの昔話ですが。
1980年代初頭。「青春の傷あと(Hurts So Good)」とか「ジャック&ダイアン」とかを全米ナンバーワン・ヒットさせていたころ。まだマッチョな感触の“ジョン・クーガー”という芸名を名乗っていたころ。あのころのこの人は“タフでワイルドなロックンローラー”みたいなイメージ一発で売っていた感じもあって。もちろん、それもぼくは嫌いじゃなかった。それ以前、1970年代半ばごろはグラム・ロックっぽいイメージも押しつけられながらの活動だったようだし。その当時よりはずっと自分本来の思いに近いイメージで歌えていたとは思う。が、本人にしてみれば、それでもなんか違うぞ、と。
そういうことで、1983年には芸名と本名を合体させたジョン・クーガー・メレンキャンプへと改名。傑作アルバム『天使か悪魔か(Uh-Huh)』を皮切りに、より自分らしいルーツ・ロック〜アメリカーナ的な志向性をぐっと強めて。やがて活動の拠点も故郷のインディアナに移して、1985年には『スケアクロウ』、1987年には『ザ・ロンサム・ジュビリー』とさらなる力作も連発。1991年にはついに“クーガー”を外し、本名のジョン・メレンキャンプへ。
都会を離れ、周囲の雑音をシャットアウトしながら頑固な音作りに取り組み続けてから45年以上。去年の10月で70歳を迎えたメレンキャンプが通算25作目となる新作を届けてくれた。2018年の『アザー・ピープルズ・スタッフ』以来。というか、あのアルバムは過去作からカヴァーものをかき集めたコンピだったから、オリジナル楽曲中心の新作としては2017年5月に出た『サッド・クラウンズ&ヒルビリーズ』以来、5年近くぶりということになる。
今回もトレンドだとか、最新の音作りのテクニックだとか、そういったものとは全く無縁な新作。でも、だからこそこのアルバムに詰め込まれたパワーは時代性を超えてぼくたちの心を直撃する。余計なものはいっさいなし。ドスッと歌が、メロディが、歌詞が、ど真ん中に据えられて、それを飾り気のないストレートな音像でバックアップ。エレクトリック・ギターの出番すら最小限に抑えられている感じで、曲によってはフィドルやウッドベース、アコーディオンなどが音像を決定している。
やはり、まず耳を持って行かれるのは、去年の9月にリリースされてファンを大いにざわつかせた「ウェイステッド・デイズ」をはじめ、「ディッド・ユー・セイ・サッチ・ア・シング」と「ア・ライフ・フル・オヴ・レイン」という、われらがボス、ブルース・スプリングスティーンとのコラボレーション3曲か。
“どれだけの夏が残されているのか/どれだけの日々が無駄に失われているのか”と歌い出されて、やがて“俺たちは自分の人生がただ消えゆくのを眺めている…”と結ばれる「ウェイステッド・デイズ」とか、もうやばい。ジョニー・キャッシュ晩年のアメリカン・レコーディングス盤とかにも通じる、年輪を重ねた者にしか表現しえない達観と説得力と、それゆえの静かな迫力がむんむん漂っていて。たじろぐ。
ボスとの共演曲以外でも、たとえばゴシック・フォーク調のオープニング・チューンからして、いきなりタイトルが「アイ・オールウェイズ・ライ・トゥ・ストレンジャーズ」、つまり“よそ者にはいつも嘘をつく”だし…(笑)。
「ゴーン・トゥ・スーン」は珍しくちょっとジャジーなブルー・バラード。「チェイシング・レインボウズ」はザ・バンドみたい。「スウィート・ハニー・ブラウン」は『欲望(Desire)』期のボブ・ディランをファンキーにバックアップしたような仕上がり。それ以前、フォーク・ロック期のディランっぽい「シンプリー・ア・ワン・アイド・ジャック」に見え隠れする聖書や小説からの引用イメージも興味深い。もちろん、「ライ・トゥ・ミー」のようなお得意のスワンプ・ロックンロールもある。
老いてなお、みたいな感じじゃなく。かといって、枯れるわけでもなく。むりやり若ぶろうとするわけでもなく。長い歳月、着実に歩みを進める中でしか達せないある種の境地から自然体で発せられる表現。出来がいいとか悪いとか、そういう話ですらないなぁ。