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RIP Tokuo Nakano…

追悼:中野督夫さん

中野督夫さんが亡くなりました。長い闘病でした。でも、回復を信じていました。残念でなりません。

取材の現場で、レコーディング・スタジオで、コンサートの控え室で、一緒に入った居酒屋で。いろいろなところでいろいろ興味深い話をたくさんたくさん聞かせてもらいました。アコースティック・ギターの弦の張り替え競争とか、バカなこといっぱいしました。なぜか突然、フィンガリングの特訓でしごかれたこともありました。思い出されるのは、なんだか楽しい光景ばかりです。

でも、何より督夫さんがぼくたちに届けてくれた素敵な音楽。その素晴らしさ。大切さ。それが今、改めて胸にしみます。1975年、初めてセンチメンタル・シティ・ロマンスのファースト・アルバムに出会ったときの爽快なショックは今でも忘れません。

何年か前、『70年代シティ・ポップ・クロニクル』という本を出したとき、センチについて書かせてもらった文章の一部を以下に引用しておきます。

センチの結成は73年。中野督夫(ギター)を中心に名古屋で活動していたシアン・クレールというバンドを母体に、すでに東京の音楽シーンで活躍していた告井延隆(ギター)が加わり、センチメンタル・シティ・ロマンスが誕生した。当時のメンバーは、告井、中野の他、細井豊(キーボード)、加藤文敏(ベース)、田中毅(ドラム)の5人。73年から74年にかけて、『春一番』『Aロック・コンサート』『ワン・ステップ・フェスティヴァル』など、大小さまざまなロック・イヴェントに参加し徐々に注目を集め、いよいよ75年、前述の通りレコード・デビューを飾った。

彼らのデビュー・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』は、実に新鮮な1枚だった。彼らの地元、名古屋と姉妹都市関係にあるロサンゼルスの風景を思わせる、カラッと乾いたアルバム・ジャケットのイラスト同様、サウンドも抜けのいいウエストコースト的な仕上がり。70年代米西海岸の様々な音楽性を見事に習得し的確に体現する確かなテクニックと、あえて名古屋弁なども歌詞に盛り込みながら緻密に編み上げられた曲作りの感覚に当時大いに驚かされたものだ。はっぴいえんどが米西海岸のロック・サウンドを下敷きにかつての東京の街路の風景を抗いようのない郷愁とともに描き上げていたのと同様、センチもまた、けっして東京ではない、もう少しだけ土臭さの残る街の風景を、ペダル・スティール・ギターやフラット・マンドリンなどをフィーチャーしたカントリー・ロック的なサウンドに乗せて淡々と綴っていた。そのせいかどうか、『センチメンタル・シティ・ロマンス』というアルバムはリリースされた時点ですでにどこか懐しい感触をぼくたちに届けてくれたものだ。

といっても、センチの音楽それ自体が古臭いものだったというわけじゃない。当時彼らが目指していたと思われる、たとえばポコやイーグルス、フールズゴールドといったアメリカのバンドによるカントリー・ロック・サウンドは時代の最先端を行くポップ・ミュージックでもあった。日本ではともあれ、本国アメリカではそうだった。そういう意味でセンチもまたポップ・ミュージックの最新フォーマットに意欲的にアプローチを仕掛けるバンドだった。むしろ、このデビュー・アルバムに記録された乾いたカントリーっぽい音像の背後に潜む都会的で緻密、かつアダルト・コンテンポラリーなポップ・センスこそがセンチの魅力だったとも言える。

「うちわもめ」「うん、と僕は」「ロスアンジェルス大橋Uターン」といった曲で聞くことができる精度の高いリズム・アレンジには胸が高鳴った。センスのいいコーラスワークも、シュガーベイブの『SONGS』同様、聞く者の耳を強く引き付けた。ぼくも毎日毎日、シュガーベイブやセンチのデビュー盤を聞きながら、目の前がパーッとひらけたような、希望に満ちた気分にどっぷり浸ったものだ。

70年代シティ・ポップ・クロニクル

1970年代に、この日本でポップ・ミュージックにのめり込みながら多感な青春時代を送ったぼくにとって、だからセンチはとびきりの恩人でした。あれ以来ずっと、もう何十年も、ぼくはセンチの、そして督夫さんの音楽とともに歳月を重ねてきました。これからもその音楽は、歌声は、いつまでもぼくとともにあり続けます。

督夫さん、ありがとうございました。お疲れさま。安らかに…。

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