ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった(DVD)
昨日取り上げたザ・ウェイト・バンドの師匠筋というか。彼らがその美学を雄々しく受け継ごうとしている存在。それはもちろん、あのザ・バンドなわけですが。
そんなザ・バンドの物語を、オリジナル活動期の中心メンバー、ロビー・ロバートソンの視点から再構築して話題を巻き起こしたドキュメンタリー映画『ザ・バンド:かつて僕らは兄弟だった(Once Were Brothers: Robbie Bobertson and The Band)』が日本でもDVD化されたのでご紹介しておきましょう。
製作総指揮はロビーと仲良しのマーティン・スコセッシと、映画『アメリカン・グラフィティ』の出演者として、映画『ダヴィンチ・コード』などの監督として、あるいはビートルズを題材にした『エイト・デイズ・ア・ウィーク』とかルチアーノ・パヴァロッティを題材にした『太陽のテノール』といった音楽系ドキュメンタリーの監督しておなじみロン・ハワード。
ロビーが2016年に出版した『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春(Testimony)』をベースに構成された作品。というわけで、ブルース・スプリングスティーンやロニー・ホーキンス、エリック・クラプトン、ボブ・ディランなど、多彩なコメント・ゲストも迎えられた構成になってはいるものの、基本的には全編ロビー目線での振り返りだ。すでに他界してしまったリチャード・マニュエル、リック・ダンコ、レヴォン・ヘルムはもちろん、存命ながらけっして多くを語ろうとはしないガース・ハドソンも含めた他のメンバー4人の視点はほぼ盛り込まれていない。というわけで。そのあたり、なんとも微妙だったりはするのだけれど。
ただ、そうは言っても、やはり重要な当事者による歴史の再検証。米国ロック・ファンならば誰もが触れておいたほうがいい一作ではあります。貴重な映像もふんだんだし。ぼくも微力ながら字幕の監修とかさせていただきました。ということで、1年ほど前、劇場公開にあたってパンフレットに寄せた文章、改めてここに引用させていただきますね。
よそ者のブルース。
ザ・バンドの音楽をそう評したのは米国の音楽評論家、グリール・マーカスだ。言い得て妙。ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンという4人のカナダ人…つまり4人の“よそ者”が、リヴォン・ヘルムという1人の生粋の米南部男とともに広大な米国の音楽地図を探索し、それらに対する深い愛情と敬意を歌に託しながら、やがて憧れの米ロック・シーンの頂点へと昇りつめていく。それがザ・バンドの心躍る旅路だ。
そんな物語をていねいに辿り直し、様々な証言を交えつつ再構築した映像作品が本作『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』。まさに音楽的ロード・ムーヴィーとでも呼びたい意欲作に仕上がっている。
ザ・バンドが、そのきわめて簡素なグループ名を自らに冠して新たな旅へと乗り出した1960年代末、米国の音楽シーンは大いに混乱していた。ドラッグ・カルチャーと結び付いたサイケデリック・ムーヴメント。熱に浮かされたラヴ&ピース幻想と、その崩壊。ニュー・ロック/アート・ロック旋風。誰もが“新しい何か”を追い求めることに躍起になっていた。そんな混乱のただ中、しかし、ザ・バンドは不安と幻想とが渦巻く時代の気分に惑わされることなく、あえて自らの足下を見つめ直し、“変わらぬ何か”を求める独自の旅へ歩みを進めていった。
新奇なものを追いかけようとするあまり、誰もがふと忘れかけていた様々な伝統と遺産——ロックンロール、R&B、ニューオーリンズ音楽、ブルース、ゴスペル、カントリー、ディクシーランド・ジャズなど米国南部に埋もれる素晴らしいルーツ音楽たちを、ザ・バンドは“よそ者”ならではのクールな視点で見定め、掘り起こし、音楽的に、あるいは精神的に力強く甦らせようとした。
カントリーやブルーグラスといった白人音楽と、ブルースやソウルなど黒人音楽と、両者の要素が軋みをあげて混じり合うリックとリチャードの歌声。米南部ロックンロール・ギターの伝統を俯瞰した地点からクールに継承してみせるロビーのギター。ゴスペル色をたたえながらも、どこかで必ずこらえきれなくなりアヴァンギャルドに炸裂してしまうガースのアナーキーなキーボード。どれも生粋の米国人には出せないであろう味だった。
そして、それら憧れに端を発する“よそ者”たちならではの情熱的な理念に、本場育ちの力強さをもって具体的な手触りを加味してみせたリヴォンのタイトなドラムとスワンプ感覚溢れる屈指のヴォーカル…。
唯一無比。絶妙のコンビネーションだった。本作を味わいながら、そんな事実を改めて思い知った。とともに、ザ・バンドの崇高な音楽的旅路は、別の角度から見れば、その日その日を楽しく歌って暮らせればOKだった音楽バカ4人と、明日を冷静な眼差しで見据えたひとりの策士による奇妙な旅の物語でもあったのだな、とも再確認させられた。
特に、ロビーとリヴォンとの関係性。
厚い友情で、深い絆で、分かちがたく結ばれていた者どうしだからこそ許し合えないことがある。あまりにも悲しい現実を目の当たりにさせられるドラマだ。かつては兄弟だった…。そんな言葉が冷徹に胸を刺す。
が、それでもやはり仲間というのは素晴らしい。かけがえがない。そんなこともこの映画は教えてくれる。そういえば、これはまた別の映画での話になるが。本作でも扱われている、1976年の感謝祭の夜、サンフランシスコで行なわれたザ・バンド解散コンサート。その模様を記録したドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』の中に印象的なシーンがあった。もうグループ活動に終止符を打とうとしていたロビーと、まだ変わらずツアーを続けたいと願うリヴォン。すでに心が大きくすれ違っていたはずの二人が隣り合って座り、マーティン・スコセッシ監督のインタビューを受ける場面だ。
話をしながら、ふと新しい煙草を口元へと運んだロビーのためにリヴォンがマッチを擦って火を点けてやり、そのまま自分の煙草にも点ける。仲が悪いとかいがみ合っているとかいろいろ言われていても、この2人の間にはきっと他の誰も入り込むことなどできないのだろうなと、その瞬間、感じた。なんだか泣けるシーンだった。二人のその後を誰もが知っている今、改めて思い出すと、その何気ないひとコマがやけに重いものに思える。
ともあれ、そんな奥深い友情の物語を今、5人のオリジナル・メンバー中、残されたたった2人のうちの1人、ロビー・ロバートソンの側から振り返ってみせたのが本作ということだ。もちろんリヴォンの視点で振り返ればそこにはまた違う物語が綴られることになるのだろうが、それはもう叶わぬ夢。
ぼくたちは、この『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』という作品をまっすぐ受け止め、改めてザ・バンドの音楽へと立ち返り、彼らが残した宝のような音源に接し直しながら、それぞれの頭の中でそれぞれのザ・バンド・ストーリーを描いてゆくしかない。
それもまたとびきり興味深い旅路だ。
(2020年7月記)