マッカートニーIII/ポール・マッカートニー
昨夜というか、今朝というか、深夜0時に本作のストリーミングが解禁になってからというもの、えんえん聞いてます。楽しいー。ポール・マッカートニーの“セルフ・プロデュース&ひとり多重録音”シリーズ第3弾『マッカートニーIII』。もともとアナウンスされていた発売日から1週間遅れてのリリースだ。
ポールがビートルズと決別した直後、1970年に、ほどなく巻き起こるシンガー・ソングライター・ブームのひたすら“個的”な感触すら予見するようにしてリリースされた『マッカートニー』。ウイングスとしての活動に情熱を失いつつあった1980年、折からのシンセ・ポップ〜テクノ・ポップ・ブームのノウハウを活かしながらニュー・ウェイヴ時代のワンマン・アンサンブルを突き詰めてみせた『マッカートニーII』。
常に、何らかの形で“ひとりであること”を意識せざるを得なくなった瞬間に、それでもその状況をポジティヴにとらえながら制作されてきたのが“マッカートニー・シリーズ”だった。
で、今回もまた、誰もが否応なく“ひとりであること”を思い知らされた環境下におけるポールが提示してくれた、きわめてパーソナルな現状報告。まあ、ぼくの場合、アナログ盤を注文しちゃっているので発売日はさらに1週遅れの12月25日で。まだブツは届いていないのだけれど。でも、サブスクのストリーミングという強い味方があるから。おかげで、もう深夜から堪能しまくり。
でもって、なんだかとても懐かしく50年前を思い出したりしています。
50年前、ポールがぶちあげた衝撃のビートルズ脱退宣言の1週間後、1970年4月17日に彼のファースト・ソロ・アルバム『マッカートニー』が出た。ぼくは当時、中学生で。直前に出たリンゴ・スターの初ソロ作『センチメンタル・ジャーニー』を買ったばっかりで、おこづかい、けっこうピンチだったけれど。親に“勉強がんばるから…”とかなんとかウソついて前借り。すぐ買いました。で、たぶん多くの当時のビートルズ・ファン、ポール・ファン同様、たじろぎました。思いきり戸惑った。
自宅スタジオを中心に、すべての楽器をひとりでこなしながら録音したワンマン・アルバム。ポールの気紛れな一面が思い切り発揮された仕上がりで。次から次へと短いスケッチのようなメロディが顔を出しては消えてゆく。まじ、最初のうちはどう接すればいいのか、わからなくて。あのアルバムの良さを実感できるようになったのはずいぶんと後になってからだった。
仕方ない。50年前の日本の中坊には無理(笑)。まだビートルズのラスト・アルバムとなる『レット・イット・ビー』も出ていないときだったから。先述したリンゴのアルバムがあったとはいえ、ポール的には『アビー・ロード』の次に出したアルバムだったわけで。あの、もう完璧なまでに構築され尽くした大傑作の後に聞いたら、なんというか、もう、スカスカというか…(笑)。
でも、とにかくポールのことが好きだったものだから。わからないなりに聞き続けているうち、だんだん“しみて”きた。アルバムを買った当初は小品ながら超名曲だった「ジャンク」をはじめ、のちに「ハートのささやき」と改題されウィングスのライヴ演奏でシングル・ヒットすることになる強力なロックンロール「恋することのもどかしさ(Maybe I'm Amazed)」、そして「エヴリナイト」あたりばかりに耳が行っていた覚えがあるけれど。
不思議なもので、最初はひどく散漫に思えた「きっと何かが待っている (That Would Be Something)」とか、ビートルズの“ゲット・バック”セッションでも録音されたことがある「テディ・ボーイ」とか、録音機材のテスト用に録音されたという超短いおのろけソング「ラヴリー・リンダ」とか、そのリンダとの初デュエット曲「男はとっても寂しいもの(Man We Was Lonely)」とか、時とともに次第にぐんぐんハマっていって。
なんだかポールの本音が渦巻いているみたいで。どのメロディも、サウンドも、頭から離れなくなってしまった。今回、その50年後にリリースされた同趣向の自作自演盤『マッカートニーIII』にも、それとまったく同じ感触が満ちている。
というか、もう、聞き手であるこちらも慣れたものだから。いきなりポールならではのアコースティック・ギター・プレイをフィーチャーした、なんだか超気まぐれっぽい感触も漂うインスト・ナンバー「ロング・テール・ウィンター・バード」でスタートしても、こちらはまったく動じず(笑)。ファーストの「バレンタイン・デイ」や「燃ゆる太陽の如く(Hot As Sun)〜グラシズ」に初めて出くわしたときの気分がぶわーっと蘇ってきて。むしろ、“きたーっ!”とガッツ・ポーズ。途中の多重コーラスとか、ヴォイシングもかっこよくて、むちゃくちゃアガる。ちらっと絡むベース・プレイもさすが。
ブルージーな「ラヴァトリー・リル」とか、ツアー・バンドのメンバーであるラスティとエイブがこの1曲にのみ参加したらしき「スライディン」とか、この辺のリフ・ドライヴィンなナンバーはファーストのスワンプっぽい「ウー・ユー」とかインスト「ママ・ミス・アメリカ」とかを想起させるし。
あと、ポールならではの指弾きを駆使したアコースティック・ギター弾き語りが堪能できる「プリティ・ボーイズ」や「ザ・キス・オヴ・ヴィーナス」、「ホエン・ウインター・カムズ」あたりは、これ、もう「ジャンク」とか、『フレイミング・パイ』の「カリコ・スカイズ」とか、『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バック・ヤード』の「ジェニー・レン」みたいに、とことんパーソナルな手触りの逸品で。ぼくはこれからさっそくコピーしますよ(笑)。
パンデミックによるロックダウン中に制作されたせいか、音像的にも、歌詞的にも、自らの内省に深く目を向けたダウナー気味の感触に支配されてはいる。もちろん、ポールらしいポップで外向きな音像の下で展開する曲もいくつかあるのだけれど、そういうもののひとつ、「ファインド・マイ・ウェイ」では現代ならではの不安に押しつぶされそうになっている人たちの思いに真摯にアプローチしていたり、「シーズ・ザ・デイ」では世界の気候変動について警告を放っていたり。油断ならない。
8分に及ぶ「ディープ・ディープ・フィーリング」では、多重コーラスも含むアナログ楽器を駆使して、さらに持ち前の編集感覚を全開にしながら、近年のエレクトロものの構造に挑んでみた…的な実験性も感じられたりして。
もうご存じのこととは思うけれど、今年の初め、休暇でイギリスに戻ったポールは田舎にある自分の農場へ出かけたものの、なんとそのタイミングでロックダウンになってしまい。今回のレコーディングはそこに滞在しつつ、車で20分ほど離れたところにあるサセックスのプライヴェート・スタジオでほぼすべて行なわれたのだとか。ある意味、これまたパンデミックがなければ生まれなかった1枚なわけで。不幸中の幸いというか、なんというか。
ちなみに、その農場に今住んでいるのは娘のメアリーなのだとか。4人の孫を含むメアリー一家と一緒に隔離生活を送りながらのレコーディングだった、と。でも、メアリーって、50年前に『マッカートニー』の裏ジャケットでポールのコートにくるまれて顔出していた、あの赤ちゃんでしょ?
いやいや、時の流れってすごい。けど、それを凌駕して今なお意欲的にアルバム制作を軽々こなしてしまうポールはもっとすごい。やっぱ、最強。すげえ78歳だわ。
(※ ジャケットのダイスが色違いになっているスペシャル・エディションの国内盤にはアウトテイクやデモ4曲がボーナス追加されているそうです。うー、結局それも手に入れなきゃ、か…?)