Disc Review

The Paul Simon Songbook / Paul Simon (Columbia/Legacy)

ザ・ポール・サイモン・ソングブック/ポール・サイモン

CCCD問題に対する反対意見の表明によって、ぼくが干されている…とか、そんな話になっているみたいだけど。干されてませんから(笑)。大丈夫です。今のところ、本ホームページの更新もままならないくらい忙しく仕事させてもらってます。明らかにせこいいやがらせとしか思えない仕打ちを受けてはいるけど。サンプル盤が送られて来ず、リリースに関する資料も一切もらえない、と。その程度のもので。これ、レコード会社への依存度が高いライターさんなり評論家さんなりだとかなり痛い仕打ちかもしれない。信じられないけど、年間数枚しか自分でCDを買わないなんて人もけっこう珍しくない業界らしいし。でも、ぼくは昔から、そういうギョーカイ人さんたちのたたずまいとか、レコード会社一般のやり口とかがあまり好きではなかったもんで。この仕事を始めた20年以上前から、サンプル盤も含め、レコード会社発の情報ってやつに頼らなくてすむような立場というか、位置というか、そういうものを自分なりに確立しようと努力してきたから。

まあ、要するに、レコードなりCDなりは、基本的に自分で買う、と。そういう単純なことなんだけどね。

サンプル盤なんかいらねー、レコード会社はサンプル盤なんか配らなくていいだろ、と、かねてから言ってきた。これまでだって、こと洋楽に限って言えば、ぼくは基本的に自分で買ったものだけしか紹介していない。サンプル盤のほうが間違いなく一般発売よりも早くできあがる邦楽の場合は、リリース前の取材だとかレビューだとかのためにサンプル盤が必要になることもあるけれど。とはいえ、ぼくはもう、基本的に邦楽の仕事はあえて引き受けないことにしているから。定期的に新聞に書いているレビュー以外は、もはやめったに邦楽フィールドに足を踏み入れることもないので。

だから、以前書いたことの繰り返しになるけれど、別段サンプル盤が来なくなったからといって困りはしないのだ。何が国内リリースされる予定なのか、その資料まで送ってもらえなくなったのはちょっと不便ではあるものの、それとてこのインターネット時代、特に問題ないし。業界人としてではなく、あくまでもユーザーとしての視点を保ちたいからこそ、買って紹介しているんだから。買って批評しているんだから。もちろん、文句を言う盤だって買う。つーか、辛辣に評しようと思っている盤こそ買わないとね。CCCD化に関して、あるいはウソっぽい日本先行発売の理由とかに関して、批判記事を書いたビートルズの『レット・イット・ビー・ネイキッド』にしても、買いましたよ。日本盤も、EU盤も、UK盤も、アメリカ盤も。そのうえでの発言だ。ビートルズに限らず、プロテクトの方式がバージョンアップしたというニュースを耳にするたびに、いちおう買ってきて、いろいろ研究したりもしてます(笑)。

そんなことしてるから、年間に何百万円もCDにつぎ込むことにはなるものの、まあ、趣味が音楽鑑賞なんで。そのために生きているようなものだから、これも別に痛くない。

てことで、確かにぼくはCCCD反対発言がもとでいくつかのレコード会社なり部署からいやがらせみたいなものを受けていて。まじ、せこいことするなぁ、と思ったりはするものの。とはいえ、いやがらせしているレコード会社の方には申し訳ないけれど、特に困ってないというか、今のところ仕事に何ら支障があるわけではないので。ご心配くださったみなさん、ありがとう。とりあえず大丈夫です。その程度じゃ揺るぎません。

ちなみに、そのレコード会社がどこか、みたいな話題も取り沙汰されていたりするようなので蛇足ながら付け足しますが。とりあえずソニーではないです。ソニーは洋楽に関して、海外での判断に従うというか、オリジナル版にコピー・プロテクトがかかっていれば国内版も…って方針のようなので、今のところプロテクトされないことがほとんどだし。問題なし。いろいろ資料もこれまで通りいただいています。邦楽のほうでいくつか、ライナーを依頼された際、それがレーベルゲート2仕様でのリリースかどうかを確認して、こちらからお断わりさせていただいたものがあるって程度です。東芝EMIも、ある一部署を除いて、そんなくだらないいやがらせはしてきません。憶測で行き過ぎたバッシングなどなさらぬよう、ひとつ。

まあ、そんなこんなで、久々にインターネット上の掲示板とかブログとか、駆け足であちこち覗かせてもらったのだけれど。今回の輸入権問題に関して、“あまり輸入盤が入ってこなかった昔のほうが洋楽シーンは盛り上がっていた”的な意見があったりしたのには驚いた。そういう見方もできなくはないとは思うけれど、ちょっと首をかしげたなぁ。かつて、輸入盤がまだまだ高価で、日本のレコード会社がオリジナル・リリースから数カ月遅れで出す国内盤でしかシーンが形成されていなかった時代のことを振り返ると、悲しくなる。英米の音楽シーンに関してすら、その正しい歴史観とか、聞き手にはまったく正確に伝わってこなかったのだから。日本ではウケなさそうだから…とかいう、漠然とした理由でレコード会社が勝手に国内リリースを見送った貴重音源がどれほどあったことか。ライナーもウソが多かったし。あんな時代には戻りたくない。

「悲しきナントカ」とか「涙のナントカ」とか、そういう邦題がよかったとか(ぼくも大昔、そう主張していた時期があったけれど)、日本独自の洋楽ヒットがあって楽しかったとか、訳詞ポップスとの連携がどうとか、その辺をもって洋楽シーンの盛り上がりと言うのならば、そんなものもういらないというか。ノスタルジアとしてはわかるものの、少なくともアメリカとかイギリスから生まれて、音盤に定着された音源に関しては、ほぼリアルタイムで共有できるグローバルなシステムができあがりつつある現在には必要がないものだとぼくは思っている。邦題は特に海外の音楽ファンとのコミュニケーションには何の役にも立たないし。

洋楽とか邦楽とか、分立させなければならないのは、つまり日本のレコード会社が海外音源の国内盤を出すからでしょ。ハンバーグとかカレーとか、日本で作るから「洋食」になる、と。そういう意味では、ようやく「洋楽」なんて括らずに海外の音楽を楽しめる時代になりつつあるわけで。それを阻害しようとする著作権法の改悪、輸入権の横暴な拡大解釈には断固反対せねば。ぼくは最終的には、その国のレコード会社はその国の音楽だけを出す、と。ユーザーも、たとえばアメリカの音楽が欲しかったらアメリカから買う、南アフリカの音楽が欲しかったら南アフリカから買う、中国の音楽が欲しかったら中国から買う。そういうシステムを世界的な規模で確立してほしいと願っている。現実味がないと言われるかもしれないけれど。そういうものでしょ。それこそが本当のグローバルなシーンってことだから。そっち方面に向かってもろもろの環境が整備されていってほしいものだな、と願います。

さて。ひとつお詫びですが。ミュージックマガジンに連載させていただいている「コンパクト・ディスカヴァリー」内の本文中、ポール・サイモンの『ポール・サイモン・ソングブック』に関する記述で、「簡単で散漫な演説」のテイク4がボーナス収録されているかのように書いてしまいましたが、これ、完璧にぼくの勘違いでした。そんなボーナス・トラック、存在しません。申し訳ないです。間違いに気づいたときはすでに誌面を訂正できない時期になってしまっていたもので、そのままになってしまっています。来月号で改めてお詫びして訂正させていただくつもりですが、取り急ぎこちらでもお知らせしておきます。

というわけで、今回のピック・アルバムはポール・サイモンのその盤。マガジンの記事から問題箇所を削除した形で掲載しておきます。

 ポール・サイモンの貴重なソロ・アルバムも驚きの復刻だ。『ポール・サイモン・ソングブック』。サイモン&ガーファンクル(以下S&G)の64年のファースト・アルバム『水曜の朝、午前3時』が売れなかったことでガーファンクルが大学に復学。仕方なくサイモンが渡英し、単身ギター1本で録音した盤だ。イギリスでは65年に発売されたが、サイモンに無許可だったため即刻回収。なのに、なぜか69年に日本発売。その後、74年にサイモンがソロで来日して日本盤の存在を知り、これもまた発売中止に。本国アメリカでは81年に5枚組LPボックス・セット“Paul Simon: Collected Works”の1枚としてリリースされたのみ。以降、収録曲中「リーヴズ・ザット・アー・グリーン」1曲がサイモンの3枚組ベストに収められた以外CD化されることもなく幻となっていた曰く付きの盤だ。ブートはあったけど(笑)。過去の発言から推測するに、サイモン本人はこのアルバムを失敗作だと思っているようだが。歳月を経てそうしたこだわりもなくなったのか。めでたく2曲の別テイクをボーナス追加しての復刻とあいなった。S&Gでも取り上げている曲が大半だが、「ア・チャーチ・イズ・バーニング」と「ザ・サイド・オヴ・ア・ヒル」は未録音。後者は「スカボロー・フェア」の原型としての要素も聞き取れ、興味深い。ソロ・アーティストとしてのサイモンの活動だけでなく、S&Gの活動を立体的に振り返るためにも、やはり重要な作品だ。サイモンの素晴らしいギター・プレイをたっぷりソロで堪能できるのもうれしい。

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