ザ・タンゴ・バー/グレッグ・コープランド
もう、名前とか忘れちゃったかな。グレッグ・コープランド。
1982年に『レヴェンジ・ウィル・カム』というアルバムで遅咲きのデビューを果たしたシンガー・ソングライター。ジャクソン・ブラウンのハイスクールでの先輩で。学生時代から曲を書いたり、歌ったり、ボブ・ディランの素晴らしさを説いたり、公民権運動やベトナム反戦運動を訴えたり、ジャクソンさんにたくさんのことを教えてくれた存在だったらしい。
ジャクソンの「キャンディ」とか、デヴィッド・リンドレーの「プリティ・ガール・ルールズ・ザ・ワールド」を書いたソングライターでもある。グレッグさんとジャクソン、二人の共通の友人でもあるスティーヴ・ヌーナンが1968年にリリースしたアルバムでも、5曲、作詞家として関わっていた。
そんなもろもろのつながりもあって、デビュー・アルバム『リヴェンジ・ウィル・カム』のプロデュースはジャクソン・ブラウンが手がけていた。ダニー・コーチマーやビル・ペイン、ボブ・グロウブらもバックアップ。ディスコとアダルト・コンテンポラリーが全盛だった時代の新譜とは思えない、朴訥としたルーツ・ロックっぽい手触りが印象的な1枚だった。でも、そんな音だから。当然、売れずじまい。その後、ぱったりと消息がわからなくなってしまって。
次にこの人の名前を目にしたのは、なんと26年後。2008年にセカンド・アルバム『ダイアナ・アンド・ジェイムス』をリリースしたときだ。ジャクソン・ブラウンがエグゼクティヴ・プロデューサーとして名を連ねていたけれど、実際のプロデュースはマルチ奏者のグレッグ・リーズが担当。ペダル・スティールやギターを自ら演奏しつつ、年齢を着実に重ねたグレッグさんが綴るストーリーと歌声にしっかり寄り添って、これまた時流とかにまったく目配せすることのない毅然とした1枚に仕上げていた。
で、それからさらに12年。74歳を迎えたグレッグさんによるサード・アルバムが出た。それが本作。普通に広くリリースされたわけではなく。ぼくはバンドキャンプで入手しました。ストリーミングもあり。プロデュースはタイラー・チェスター。前作に引き続きグレッグ・リーズが参加しているほか、ギターのヴァル・マッカラム、アコーディオンのロン・バーガー、ドラムのジェイ・ベルローズやドン・ヘフィントンら腕ききがミュージシャンとして名を連ねている。
でも、いちばんの驚きはゲスト・シンガーの参加。アルバムのオープニング・チューンでもある「アイル・ビー・ユア・サニー・デイ」という曲は、あのイナラ・ジョージが歌っている。ひとりで。演奏はタイラー・チェスターのピアノとベースのみ。曲を書いたのは確かにグレッグ・コープランドなのだけれど、グレッグさんはたぶん演奏にまったく参加していない。すごい。
さらに、中盤のブルージーかつスモーキーなワルツ「ミステイクン・フォー・ダンシング」以降、カントリー調の「ベター・ナウ」、やばいドリーミーさに覆われた「ボーモント・タコ・ベル」の3曲はアメリカーナ系の女性シンガー・ソングライター、ケイトリン・キャンティが歌っている。これもイナラが歌った曲同様、グレッグさんはもちろん曲は書いているけれど、軽いコーラスに加わっている以外、演奏には不参加。
そういう姿勢なのだろう。自らがパフォームすることに意味があるのではなく、曲を書くこと、そしてそれらを、誰が歌うにせよ、世に向けて解き放つことにこそ意味がある、と。
もちろん、それら4曲以外、全9曲中5曲はグレッグさん自身が歌っていて。年齢を重ねて少ししゃがれた歌声で淡々と独特の物語を綴っていくさまが渋い。素敵だ。やはりアコースティック基調の楽曲が素晴らしい仕上がりなのだけれど、同様に、ハード目の音色で切なく切り込んでくるグレッグ・リーズのギターと大きくうねるドン・ヘフィントンのドラムによるくすんだグルーヴが印象的な「フォー・ルー・リード」のようなタイプの曲もいいアクセント。妙な吸引力がある。
ジャケットの写真は50年くらい前、グレッグさんが当時の奥さまとギリシャ旅行に出かけたとき現地で出会った見知らぬ人と撮った想い出の写真だとか。これ眺めながら、厳かなピアノと、ふわっと包み込むようなホーン・アンサンブルが心にしみるラスト・ナンバー、アルバム表題曲を聞いていたら、なんだか泣けてきた。歳月の流れ。それをリアルに体感している者だけが表現できる世界観というか。“something in my heart has changed”、ぼくの心の中で何かが変わった…という歌詞がぐっと響く。
ファースト・アルバムからセカンドまでが26年。セカンドから本3作目までが12年。だいぶ短くなってますが(笑)。いちおう次作は来年出す予定なのだとか。5、6年待ってもいいので、歌い続けて…いや、曲を書き続けてほしいです。