Disc Review

Willie and the Wheel / Willie Nelson & Asleep at the Wheel (Bismeaux)

ウィリー・アンド・ザ・ホイール/ウィリー・ネルソン&アスリープ・アット・ザ・ホイール

ウィリー・ネルソンというと、75年、米コロムビアへと移籍してからが黄金時代ということになっていて。まあ、ぼくも異論はないのだけれど。ごく個人的な気分を全開にして言わせてもらうと、実はその直前、アトランティックにほんのちょこっとの間在籍していた時期のアルバム2枚がぼくは大好きだ。旧態依然としたナッシュヴィルに見切りをつけ、テキサス州オースティンに新拠点を構えて新たな試行錯誤をスタートさせた時期のウィリー・ネルソンの味が凝縮している感じで。かっこいいのだ。

ウィリーがアトランティックと契約するにあたっては、当時アトランティックのエグゼクティヴだったジェリー・ウェクスラーが大きな役割を果たした。70年代初頭、ウェクスラーは新時代のポップ・サウンドとなりつつあった南部のカントリー・ロック/スワンプ・ロックに大いに興味を示していたのだとか。そこで彼は、当時たまたまどこの会社ともレコーディング契約がなかったダグ・サームに白羽の矢を立て、そのころダグが活動の拠点としていたテキサス州オースティンへと出向いた。

オースティンという街は今もなお独自の気風を持つ音楽都市として有名。全米的なメジャーな音楽ムーヴメントとはまた別の価値観のもと、確実に独自のシーンを形成している街だ。そうした傾向がくっきりと形を作り始めていたのも、まさに70年代初頭。そんな環境に足を踏み入れ、新しい音楽ムーヴメントが確実に芽吹き始めていることを肌で感じたウェクスラーは、地元のクラブであらゆる音楽をダイナミックに融合しながら演奏するダグ・サームの姿に感動するとともに、その夜、ダグの前に出演していたウィリー・ネルソンにも大いに興味を抱き即座に契約を結んだ、と。

というわけで、ウィリーはアトランティックで『ショットガン・ウィリー』と『フェイゼズ・アンド・ステージズ』という2枚のアルバムを制作。続いて、ウェクスラーは彼に、当時まだメジャー・デビュー仕立てだったウェスタン・スウィング・バンド、アスリープ・アット・ザ・ホイールとの共演アルバムを作ったらどうだと進言したらしいのだけど。2枚のアルバムがまったくセールス的に満足できる成績を残せなかったことから、アトランティックはウィリーに契約打ち切りを宣告。アスリープとの共演アルバムの計画はおじゃんになってしまった。ああ…。

そんな幻の共演アルバムが、なんと30数年の歳月を経てついに実現した。それが本盤。きっかけとなったのはまたまたジェリー・ウェクスラーだ。07年、ウィリー・ネルソンのコンサートを見に行った彼は、そのときオープニング・アクトをつとめていたアスリープ・アット・ザ・ホイールを見て、かつて頓挫してしまった共演アルバムの計画を思い出したらしい。そんなふうにして本盤が誕生した。ジェリー・ウェクスラーは08年夏、91歳で他界してしまったけれど。最後の最後まで本当にいい仕事をしてくれたものだ。本盤にウェクスラーはエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている。いやー、感慨深い1枚じゃないですか。

まあ、これまでにもウィリーとアスリープは共演を何度もしている。かつてアスリープが中心になってレコーディングしたボブ・ウィルズへのトリビュート・アルバム『ライド・ウィズ・ボブ』でも、アスリープ・アット・ザ・ホイール・フィーチャリング・ウィリー・ネルソン&マンハッタン・トランスファーという、とてつもなく豪華な名義で「ゴーイング・アウェイ・パーティ」をカヴァーしていて。これが泣ける名演だった。

いずれにしても、同じウェスタン・スウィング系の音楽の伝統をルーツとするウィリーとアスリープ。息もぴったり。ボブ・ウィルズ、ミルトン・ブラウン、クリフ・ブルーナー、スペイド・クーリーら偉大な先達のレパートリーからピックアップされた選曲も見事。まあ、もしこの共演が70年代に実現していれば、当時誰もが古くさいものとして忘れかけていた伝統音楽のフォーマットにあえて積極的にアプローチを仕掛ける若きミュージシャンどうしのスリリングなコラボレーションを楽しめたはずで。そういうのも聞きたかったな、と。ちょっと残念な気分になるのだけれど。年輪を重ねて、そうした伝統を守る側に位置するベテランどうしとして、肩の力を抜いて共演した本盤での余裕のアンサンブルも悪くない。

Resent Posts

-Disc Review