ライヴ・アット・フィルモア・イースト1969/クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
またまたうれしい音源の発掘リリースです。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング。
この人たちの活動初期の動きをものすごく大ざっぱに振り返ってみると——
まず1968年末、元バーズのデヴィッド・クロスビーと、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスと、元ホリーズのグレアム・ナッシュによって結成されて。翌1969年5月にファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』を出して。スーパー・グループとして大いに話題になって。
でも、スティルスはグループのアンサンブルをより強固にするため、かつてのバッファロー・スプリングフィールド時代のバンド・メイトで、ちょうどこの時期、バッファローから独立後2作目となるアルバム『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース(Everybody Knows This Is Nowhere)』をリリースしたばかりだったニール・ヤングに、まあ、二人の間にはバッファロー時代からいろいろ確執があったようなので、若干躊躇しつつも声をかけて。めでたくクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングが誕生して。
同年8月16日からはシカゴを皮切りにその新たな顔ぶれで初の全米ツアーを開始。このツアーの中でウッドストック・フェスや、ビッグ・サー・フォーク・フェス、オルタモント・フリー・コンサートなどにも出演している。
このツアーと並行して、翌1970年1月まで4人編成では初のアルバムとなる『デジャ・ヴ』を制作。『デジャ・ヴ』が同年3月に発売され特大ヒットを記録する中、2度目の全米ツアーへ。このツアーのニューヨーク公演、ロサンゼルス公演、シカゴ公演からピックアップされた音源を集めたライヴ・アルバム『4ウェイ・ストリート』も1971年4月にリリースされ、これまた大ヒット。しかし、そのころにはメンバー間の不協和音も表面化していて、すでにグループは解散状態に…。
と、まあ、こんな感じなのだけれど。この流れのちょうど中間あたり、最初の全米ツアー中、1969年9月19日と20日の2晩、彼らはニューヨークのフィルモア・イーストでライヴを行っていて。そのうち20日のほうのステージの模様を収めて公式リリースされたのが本作『ライヴ・アット・フィルモア・イースト1969』なのでありました。
生で当時のCSNYを見ることなどできなかったわれわれ日本のファンにとって、彼らのライヴといえば1970年のツアーで録音された『4ウェイ・ストリート』がすべてだったわけだけれど。その前、『デジャ・ヴ』のレコーディングすら行われていなかった時期に4人で行われた、まだ全員が新たな可能性に胸躍らせながら力を合わせている感じのライヴ音源が本作でたっぷり楽しめる。クロスビーも、長年のガールフレンド、クリスティン・ヒントンを自動車事故で亡くす直前で、まだ薬物にひどく溺れておらず好調だし。たまりません。
CSNY4人揃ってのアコースティック・セットでスタートして、各メンバーがソロで、あるいは誰かの軽い助けを借りつつのコーナーなどを経て、ダラス・テイラー(ドラム)とグレッグ・リーヴス(ベース)を従えてのエレクトリック・セットへ…という大まかな構成は『4ウェイ・ストリート』同様。
幕開けは「組曲: 青い眼のジュディ(Suite: Judy Blue Eyes)」。『4ウェイ・ストリート』では最後のほうが一部ちょこっと入っているだけだったけど、こちらはフル・ヴァージョン。うれしい。この曲をはじめとするファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』の収録曲はもちろん、バッファロー・スプリングフィールド時代の「オン・ザ・ウェイ・ホーム」や、のちにシングル発売される「自由の値(Find the Cost of Freedom)」など、やがて『4ウェイ・ストリート』にも収められることになる曲があったり、ウッドストックでのパフォーマンスでもおなじみビートルズ・カヴァー「ブラックバード」があったり、ヤングさんのソロ曲「愛し続けていたのに(I’ve Lovede Her So Long)」「狂気の海(Sea of Madness)」「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」があったり、スティルスのソロ曲「ゴー・バック・ホーム」やバッファロー時代の代表曲を改作した「ブルーバード・リヴィジテッド」があったり…。
さらには、まだそのころ世に出ていなかった『デジャ・ヴ』の収録曲「僕達の家(Our House)」や「4+20」とかも先行披露されていて。いろいろ間違ったり、フレーズがまとまりきっていなかったり。なかなか新鮮で楽しい。
すべて今回の発掘リリースのためにスティルスとヤングがサンセット・サウンドでジョン・ハンロンをエンジニアに、オリジナルの8トラック・マルチから新たにミックスし直している。実際のセットリストは21曲だったはずながら、そこから17曲に絞られてのリリース。完全版が聞きたかった気もするけれど、いえいえ、贅沢は言いません。
『4ウェイ・ストリート』のころにはもうすでに“終焉”への予感が漂いまくっていたCSNYも、このころはまだファンも本人たちも“これから”に思いを馳せていたのだなと思うと、なかなかに感慨深いです。