NBPファイル vol.35:トム・ダウドのプロデュース・ワーク
スロウバック・サーズデイ恒例、NBPプレイリスト。今日10月20日は、かのジェリー・ウェクスラーをして“アトランティック・サウンドの秘密兵器”とまで言わしめたエンジニア/プロデューサー、トム・ダウドのお誕生日ってことで。トム・ダウドが手がけたプロデュース作品から12曲、ぱっと思いついた曲を並べてみました。
トム・ダウドは1925年10月20日、米ニューヨーク生まれ。父はオーケストラのコンサート・マスター、母はオペラ歌手。ということで子供のころからクラシック音楽に親しみながら育った。大学でも音楽を学び、同時に物理学も専攻。両方の知識を活かしつつ、1940年代末、当時まだ新興レーベルだったアトランティック・レコードのエンジニアとして働くように。
以降、トム・ダウドがエンジニアリングを手がけたアーティストは、レイ・チャールズ、ドリフターズ、コースターズ、ジョー・ターナー、ルース・ブラウン、オーティス・レディング、ボビー・ダーリン、クリーム、レーナード・スキナード、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマン、セロニアス・モンク、チャーリー・ミンガスなど。まじ、無数。マルチ・トラック・レコーディングの発展にも貢献し、ジャズを基本にしたビートの強いベースの音やキック・ドラムの音などを巧みに録音するための画期的なマイキング技法も編み出し…。
1960年代に入るころには全米きってのトップ・エンジニアとしての地位を確かなものにしていた。ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」も彼の仕事だけれど、あの曲のイントロのベースの音を聞いて当時の他のレコード会社のエンジニアは誰もが、どうやったらあんな太い音を録音できるんだ?と、ぶっとんだそうだ。
1960年代後半からはプロデューサーとしても活躍。2002年に77歳で亡くなるまで、そっち方面でも無数の名作を生み出してきたわけだけれど。今回はそれ。彼のプロデューサーとしての仕事を軽く振り返ってみようというセレクションです。ブルー・アイド・ソウルとか、ブルース・ロックとか、サザン・ロックとか、わりとそっち寄りの選曲。黒人音楽に魅せられた白人ミュージシャンたちが自分なりのサウンドを構築していく際、プロデューサーとしてのトム・ダウドが果たした役割のようなものを改めて聞き取っていただけたらうれしいです。
- Son of a Preacher Man / Dusty Springfield (1968)
- Three Time Loser / Rod Stewart (1975)
- Good Lovin' / The Young Rascals (1966)
- Midnight Rider / The Allman Brothers Band (1970)
- My Long Time / Jo Mama (1971)
- Jailbird / Primal Scream (1994)
- For Ol' Times Sake / Tony Joe White (1973)
- Keep on Smilin' / Wet Willie (1974)
- A Man of Many Words / Buddy Guy & Junior Wells (1972)
- Bell Bottom Blues / Derek & The Dominoes (1970)
- Somebody Must Be Wrong / The Souther-Hillman-Furay Band (1975)
- Call Me / Aretha Franklin (1970)