ウィーザー(ブラック・アルバム)/ウィーザー
超昔話だけど。80年代に海外のエンジニアやミュージシャンと組んで、一緒に日本のアーティストのアルバム制作をよくしていたころ。彼らはみんな、“日本のアルバムはなぜ1曲1曲、全然違うサウンドになっているんだ?”と、首を傾げていたっけ。ストレートなロックで始まったかと思うと、次にレゲエが出てきて、R&Bがあって、フォークっぽいバラードがあって、アダルト・コンテンポラリーなミディアム曲があって…。
アメリカだとFMラジオ局が音楽ジャンル別になっているから、アルバムにこんなバラエティがあるとどの局でかけていいかわからなくなる。売り方がむずかしい。アルバムは同一傾向のサウンドで統一するのが普通だ、と。そう聞かされて、はあ、なるほどな…と、お国柄というか、受容環境というか、リスナーのニーズというか、そういうものの違いを痛感したわけだが。
あれからずいぶん歳月が過ぎて。今や世の中、ストリーミングの時代。AIだか何だか、顔の見えないリコメンデーション・エンジンが機械的におすすめしてくる曲をネット上でリスナーが享受する日々。アルバムというフォーマット自体が完全に意味を失いつつあって、音楽が1曲単位で存在を主張する時代。アメリカでもラジオ局のフォーマットがどうとか、アルバム全体の統一感がどうとか、そんなこと言っている場合じゃなくなってきたんだなぁ、と。しみじみ感じた1作ではありました。ウィーザーの新作『ザ・ブラック・アルバム』。
ちょっと前に突如リリースされたカヴァー・アルバム『ザ・ティール・アルバム』でもTOTO、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ユーリズミックス、a-ha、マイケル・ジャクソン、タートルズ、ベン・E・キング、ブラック・サバス、ELO、TLCなど、時代もジャンルもむちゃくちゃな選曲でわれわれを楽しませてくれたウィーザーだが、オリジナル曲で構成された今回もなかなか。TV オン・ザ・レディオのデヴィッド・シーテックをプロデューサー/エンジニアに迎えて、けっこうやりたい放題だ。
初期ウィーザー・サウンドへの原点回帰的なベクトルを底辺にたたえた2016年の傑作『ザ・ホワイト・アルバム』に対するある種の反動としての『ザ・ブラック・アルバム』ということか。エキゾチックなディスコものあり、屈折したレゲエあり、ゆるめのニュー・ロマンチックあり、ねじれたボサノヴァあり、パロディックなインディ・ロックあり…。『ザ・ティール・アルバム』以上のアナーキーな振り幅を聞かせる。
むしろ、こういうバラエティ感に慣れた日本のリスナーのほうが親しみやすいアルバムかも。黒…というイメージから、もっとダークな、重いアルバムになるのかと思っていたら、音の手触りはけっこうサニーで楽しい感じ。このあたりのライトな裏切り感はウィーザーっぽい。
確かに、たとえば「アイム・ジャスト・ビーイング・オネスト」って曲とか、“劇場に入るとき、聞いてほしいと言われてCDを渡されて、聞いてみたけど途中でやめた、君のバンドはクソみたいだ、怒るなよ、正直に言っただけなんだから…”みたいなこと歌っていて。ブーメランも恐れぬブラックな毒を吐いている感じの曲もあるけれど。そんな中でも隠しようがなく発揮されてしまう美メロ感覚というか、「ハイ・アズ・ア・カイト」「ピース・オヴ・ケイク」「ビザンチン」みたいな、なんかフツーにメロのいい曲が光る1枚です。