バンド・オン・ザ・ラン:50周年記念エディション/ポール・マッカートニー&ウイングス
いろいろな機会に書いたり話したりしてきたことの繰り返しになるのだけれど。
今や全人類が最大限の敬意を払っているようにも思えるポール・マッカートニー。が、そんな無敵の天才にも逆風渦巻く時期があった。特にビートルズからの脱退を表明した直後。ポールは、自称“硬派な”ロック・ファンたちから、今となっては信じられないくらいディスられていたものだ。
まあ、ポール自身、確かにブレブレではあったのだけれどね。ポールがビートルズから脱退したのは1970年。その直後、初ソロ・アルバム『マッカートニー』を、翌1971年に愛妻リンダ・マッカートニーとの連名で『ラム』をリリース。この『ラム』への参加メンバーを母体に、ポールは新バンド、ウイングスを結成してポスト・ビートルズ期の活動を本格化させたのでありましたが…。
ウイングスではいきなり「アイルランドに平和を(Give Ireland Back to the Irish)」なるプロテスト作品を発表して政治問題に踏み込んでみたり、一転、「メアリーの子羊(Mary Had a Little Lamb)」というかわいらしいポップ・ナンバーで娘さんのメアリーとたわむれる羊のことを牧歌的に歌ったり、かと思えば「ハイ・ハイ・ハイ」というロックンロールでは猥褻な歌詞表現が問題視され放送禁止を食らったり…。
アルバムとしては、文字通り粗野なバンド演奏をとりあえず8曲ぶちこんだ『ワイルド・ライフ』(1971年)、大ヒット・バラード「マイ・ラヴ」をフィーチャーした究極のMORアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』(1972年)をリリース。どれもヒットチャート上ではそこそこの戦績を残しはしたものの、この時期のウイングスはどう贔屓目に見ても散漫な状態ではあった。気難しいイギリスのロック・ジャーナリズムからは叩かれ、評価も今ひとつ高まらずじまい。
同じころ、ビートルズ仲間だったジョージ・ハリスンはロック界初の大規模なチャリティー・イベント『バングラ・デシュのコンサート』を成功させていた。ジョン・レノンは、彼が過激な運動家と行動をともにしている旨のメモが米上院国内小委員会のスタッフから提出されたのを契機に米国政府と激しく対立していた。ロックたるもの常に権威にたてつくくらいの問題意識を抱け、という熱い“気分”に支配されていた激動の1970年代初頭、だからジョンやジョージの姿勢は評価された。それに比べてポールは…と。そういうことだ。思いきり分が悪かった。
そんな中、弱り目に祟り目というか、ウイングスではメンバー間のごたごたが表面化したり…。ファンとしても一抹の歯痒さを隠せない時期がしばらく続いた。が、そうしたもろもろの悪条件さえいい意味での緊張感に転じさせたのが1973年暮れリリースの『バンド・オン・ザ・ラン』というアルバムだった。
このアルバムの内容がどんなものかということについてはもう説明不要だと思う。間もなく出る『レコード・コレクターズ』誌の最新号(Amazon / Tower)が『バンド・オン・ザ・ラン』特集で、このアルバムの成り立ちとか、位置とか、いろいろな角度から検証されているようなので、ぜひそれ参照してください。ぼくもオリジナル・アルバム収録曲の全曲解説、書かせてもらってます。
希代のメロディメイカーとしてのポールと、ロックンローラーとしてのポールとが絶妙のバランスで合体している傑作。これにはさすがに偏屈なロック・ジャーナリストたちも脱帽。口々に賛辞を送ったものでした。セールス的にも大成功。1974年アタマに全米アルバムズ・チャートのベスト10入りを果たして以来、実に8カ月あまり10位内にとどまり、その間なんと4回ナンバーワンに輝くという離れワザをやってのけた。
で、先週、そのアルバムの発売50周年を記念する盤が出ましたー。ずばり『バンド・オン・ザ・ラン:50周年記念エディション』!
このアルバムに関しては、もちろん傑作なだけに、過去いろいろな形で再発が繰り返されていて。特に2010年、リミッターなしのハイレゾ音源のダウンロード(当時は落とすのにものすごい時間がかかったっけ…。懐かしい)とか、映像ドキュメンタリーとか、レア音源とか、膨大なオマケとか、何から何まで全部乗せで出た“アーカイヴ・コレクション”ってとんでもなく豪華なブツがあって。それが決定版っちゃ決定版なわけだけれど。
今回はぐっとコンパクトに2枚組だ。まずディスク1がオリジナル・アルバムの最新リマスター版。当時、英国や日本では同セッションで録音されたシングル曲「愛しのヘレン」抜きの全9曲入りでLPが出たけれど、米国盤LPは「…ヘレン」入りの全10曲で。今回はその米国盤仕様になっているのがポイントか。特にCDとしては、この形でのオフィシャル・リリースは、確か1988年だったか、米国で間違って制作されちゃったらしき盤(しかもジャケットには「…ヘレン」のクレジットなし)しかなかった気がするので(笑)、わりとうれしいかも。(と思ったら25周年盤が「…ヘレン」入りでした。ご指摘いただきました。ありがとうございます)
で、ディスク2が“アンダーダブド・ミックス”なるレア音源集。これ、ストリングスやホーン、ギター・ソロ、曲によってはヴォーカルなど、後からオーヴァーダビングされた音を省いたもので。なので“オーヴァー”じゃなく“アンダー”。といっても、『バンド・オン・ザ・ラン』はレコーディング直前にメンバー2人が脱けちゃって、ポール、リンダ、デニー・レインという3人体制でナイジェリアとロンドンで制作された1枚。もともとドラムも含めほぼすべての楽器をポールが一人でダビングしながら録音されたアルバムだけに純粋な“アンダブド”というわけではない。
要するにコンボ・バンド的な楽器以外のオーケストレーションを廃したミックス集だ。1973年、ポールたちがナイジェリアから帰国したあと、ジェフ・エメリックがそこまでの作業をとりあえずひとまとめにするため制作したものだとか。収録されているのは「…ヘレン」抜きの9曲。曲順はリリースされたLPとは違っていて、MPLの倉庫で発見された当時のオリジナル・アナログ・テープに準拠しているらしい。正直、ここぞで出てくる耳慣れたオーケストレーションがなかったりするので、妙な気分にはなるけれど、楽曲の骨格をシンプルに楽しめるという意味ではとても興味深い音源たちではあります。トニー・ヴィスコンティが果たした役割とかも、ちょっとしたやりすぎ感も含めて逆説的に浮かび上がってくる仕上がりかな。ちなみに、サブスクでストリーミングされているのはこっちだけです。
オマケはリンダ撮影のポラロイド写真を使用したポスター。両面印刷/折り畳み式で付いてます。ぼくは今のところ、とりあえず“アンダーダブド・ミックス”のハイレゾ・ファイルをデジタル・ダウンロードでゲットして聞いている状態だけれど。今回、CD版以外にLP版もあって。こちら、1973年当時のオリジナル・マスター・テープから高品質でデジタル変換した音源をハーフ・スピード・カッティングで盤面に刻み込んだものらしく。フィジカルをゲットするならこの2LP版かな。