レット・イット・ビー:スペシャル・エディション(スーパー・デラックス)
なんか、あの手この手の関連商品が続々出て。世の中が強制的に“まつり”状態へと誘導されているみたいで。なにも拙ブログでまで取り上げる必要はないよなぁ…と思いつつも。やはり今朝はこれしかない気がして。取り上げちゃいます。ビートルズの『レット・イット・ビー〈スペシャル・エディション〉』。
『ミュージック・マガジン』の最新号に寄せた連載原稿にも書いたことの繰り返しになるのだけれど。このアルバム、オリジナル発売当時、中学生だったぼくは豪華写真集付きLPボックス3900円也が高くてゲットできずじまい。アルバムに先駆けて買っていた「ゲット・バック」と「レット・イット・ビー」のシングルをちまちま聞きながら、LPのほうは立派なステレオセットを持っているお金持ちのタカハシくんちで楽しませてもらうばかりだったっけ。
なので、今回は50年越しのリベンジというか。豪華箱、買ってやるぞ、と。世の流れに思いきりノセられつつ盛り上がっております。踊らされてやるぜ、おーっ!
これまでのビートルズの“50周年スペシャル・エディション”同様、今回も複数フォーマットでのリリース。4LP+1EPの“LPスーパー・デラックス”とか、“2CDデラックス”とか、“1CD”とか“1LP”とか…。でも、やっぱり狙い目は全部入りって感じの5CD+1ブルーレイの“スーパー・デラックス”、2万円弱。ぼくはもちろんここ行きます。中学時代のぼくに聞かせてやります(笑)。
スーパー・デラックスのディスク1は、オリジナル・アルバムの収録曲をおなじみジャイルズ・マーティンがサム・オケルとともに新たに再構築したニュー・ステレオ・ミックス。オリジナルのフィル・スペクターによるミックスを踏まえながらの仕上がりになっている。とはいえ、スペクター・ミックスよりも全体的にクリア。スペクター・ミックスではエコーの彼方に埋もれがちだったエッジのようなものが復活している個所も少なくない。「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」でのビリー・プレストンのエレクトリック・ピアノとかオリジナル・ヴァージョンに比べて存在感たっぷり。ずいぶんとかっこよくなっている。「レット・イット・ビー」もさらにゴスペルっぽく、「アイ・ミー・マイン」もぐっと躍動的に…みたいな。
ディスク2と3が未発表のアウトテイクやスタジオ・ジャム、リハーサルなど。『レット・イット・ビー』収録曲中心のディスク2ももちろん興味深い。「ドント・レット・ミー・ダウン」の屋上コンサートでのファースト・パフォーマンスとか、かなりかっこいいし。けど、それ以降の『アビー・ロード』や各メンバーのソロ・アルバムで世に出ることになる楽曲中心に構成されたディスク3のほうがむちゃくちゃ面白い。
ディスク4は1969年にグリン・ジョンズのミックスによって世に出る予定だった未発表LP『ゲット・バック』の新マスタリング・ヴァージョン。ディスク5は「アクロス・ザ・ユニヴァース」と「アイ・ミー・マイン」のグリン・ジョンズによる未発表1970年ミックスと、「ドント・レット・ミー・ダウン」と「レット・イット・ビー」のシングル・ヴァージョンのニュー・ミックス、計4曲を収めたボーナス盤だ。シングル「レット・イット・ビー」のB面曲「ユー・ノウ・マイ・ネーム」も、けっこういろいろ断片とかありそうな曲だけに、何らかの形でここに入れてほしかったけど、まあ、これは1967年録音だけに仕方ないか。
で、ブルーレイにはオリジナル・アルバムのニュー・ステレオ・ミックスの96/24のハイレゾ、5.1サラウンドDTS、ドルビー・アトモス・ミックス入り。ブックレットは楽しい写真満載の100ページ。
発掘音源などについては『レコード・コレクターズ』最新号をはじめ、たくさんの特集本が出ているのでそちらで細かくチェックしていただきたいのだけれど。ざっと全体を聞き通してみると、結果、いろいろ言われているものの、フィル・スペクターが手がけたあのオリジナル・ミックスって、実はかなり“決定版”に近かったのかも…という気分になってくる。以前、『レット・イット・ビー…ネイキッド』が出たときにも同じようなことを思ったものだ。
今さらながら確認しておくと、もともとこの“ゲット・バック・プロジェクト”は、“ホワイト・アルバム”制作時をある種のピークに表面化してきたビートルズのメンバー4人の間の軋轢とか意識のズレとか、その辺を払拭するため、ポール・マッカートニーの提言により、もう一度原点に立ち返ろうというコンセプトでスタートしたもので。今回ディスク4に収められた未発表アルバム『ゲット・バック』は、そのコンセプトに忠実にグリン・ジョンズが仕上げたシンプルかつ赤裸々な1枚だった。これが予定通り世に出ていたら、後期ビートルズを巡る評価ってどうなっていたんだろう。けっこう物議を醸した気がする。
それを踏まえて、改めてフィル・スペクターのオリジナル・ミックス、あるいはそれを下敷きに仕上げられた今回のニュー・ステレオ・ミックスに接してみると面白い。要するに本作をめぐってよく論議の的になる大きな問題点というのは、1970年4月、スペクターがリチャード・ヒューソン編曲による豪勢なオーケストラと女声コーラス、およびリンゴのドラムをダビングした「アクロス・ザ・ユニバース」「アイ・ミー・マイン」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の3曲だけなわけで。
その他の曲を聞いてみると、たとえばオープニング・チューン「トゥー・オヴ・アス」のイントロ前に、ジョン・レノンが別セッションで口にした“I Dig A Pygmy…”というMCを編集で付け加えていたり、続く「ディグ・ア・ポニー」の演奏が始まった瞬間、準備が整っていなかったリンゴが“Hold it!”と叫んでいったん演奏を止めるところや、演奏終了後、“寒くてコードが押さえられないよ”とこぼすジョンの愚痴などをそのままカットせずに使っていたり…。スペクターもそれなりに“ビートルズの原点帰り”というコンセプトにそぐうよう、シンプルなライヴ感を強調する仕上げを巧みに施している。
ラストの「ゲット・バック」もそう。アルバムに先駆けてリリースされたスタジオ録音によるシングル・ヴァージョンは、後半、いったん演奏がブレイクしたあと、ポールのファルセットによるフェイクを受けてリンゴがフィルインをぶち込み、演奏が再スタートしてフェイドアウトしていく。対してアルバム・ヴァージョンは同スタジオ・テイクを使いつつも、ブレイク後そのまま演奏は終了。屋上コンサートで記録されたジョンとポールの他愛ないMCが挿入され、そこでおしまい。これもまたライヴ感というか、一発録り感を疑似的に強調する仕上げになっていた。
で、前掲「アクロス・ザ・ユニバース」「アイ・ミー・マイン」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の3曲には、一見それらの真逆、対照的にゴージャスなオーケストレーションが加えられていて。この表層的な乖離具合がアルバム全体にどこかちぐはぐな印象をもたらし、バンド脱退を目論んでいたポール・マッカートニーに格好の材料を与えてしまった、みたいな。
でも、スペクターにしてみれば、「アクロス・ザ・ユニバース」の素人の女の子による拙いコーラスとか、実際の「アイ・ミー・マイン」の2分に満たない短すぎる演奏時間とか、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」のジョン・レノンによる間違いだらけのベース・フレーズとか、そうした、当時のミックス技術だけではどうにもカヴァーできそうもない難点をクリアするための豪勢なダビング劇だったらしい。これはこれでスペクターなりの“筋”が通った、そして案外悪くない事後措置だったわけだ。ゴージャスなオーヴァーダビングも、ライヴ感を演出するための編集も、結局どちらもフィル・スペクター流の実に緻密な作業だった、と。
そう思うと、先述「ゲット・バック」のエンディングがもたらす中途半端なアルバムの幕切れも、ビートルズという偉大なバンドの歯切れの悪い解散劇を象徴しているようで。これまたフィル・スペクターの悪魔的な直感というか、地獄耳的予知能力というか、そうしたものを否応なく感じさせる。スペクターが獄中で新型コロナに感染し亡くなった年、改めてそんなことを思い知らされることになるなんて。うー、さすがのフィル・スペクター。なんだか怖い。
ただ、そのスペクターによるオリジナル・ミックスは、今回もまたスペシャル・エディションのどこにも入ってません。近ごろ恒例のオリジナル・ミックス外し。ケチだな。これだけはなんとかならないもんですかね。スペクター、生きてたら暴れるぞ。
あと、どうせならオフィシャル初のコンプリート・ルーフトップ・コンサート的なディスクを入れてくれてもよかったのに、とも思う。この辺、もしかして間もなく公開されるピーター・ジャクソン監督の映像ドキュメンタリーと併せて、そのサントラ企画みたいな感じで世に出たりするのかな? ビートルズの新作ライヴ盤です! とか? ありそうだな。で、俺たち、また踊らされるのね。いや、そりゃまあ、踊るけどさ…。