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Disc Review TBT

TBT: Blood, Sweat & Tears / Blood, Sweat & Tears (Columbia)

【スロウバック・サーズデイ】血と汗と涙/ブラッド・スウェット&ティアーズ

今朝はニュー・リリース紹介ではなく、スロウバック・サーズデイもの。懐かしの思い出話で失礼します。

先日、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』の50周年エディションのことをとりあげたポストで、今年はロック/ポップの名盤が多く生まれた1971年からちょうど半世紀なので、きっとたくさんの50周年記念盤が出るぞ…的な話を書いたのだけれど。1971年というのは、ロックの名盤がたくさん生まれた年というだけでなく、日本の洋楽ファンにとっては、洋楽アーティストがほぼ毎月のように日本にやってきてくれるようになった初めての年でもあって。いわば来日公演ラッシュ元年というか。

もちろん、それまでにも来日してくれたロック/ポップ系アーティストというのはいて。1960年代にはビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ベンチャーズ、アストロノウツ、ヒューマン・ベインズなど。年に何組か、ぽつりぽつりと日本まで来てくれる洋楽アーティストがいた。ぼくも1969年、サンケイホールでサム&デイヴを見た。これがぼくの来日アーティスト初体験。懐かしい。その他、スコット・ウォーカーも見に行ったなぁ。なんか、ちょっと不機嫌そうで、30分くらいのステージで終わっちゃったような記憶がある。

1970年になると、大阪万博にカナダのブラス・ロック・グループ、ライトハウスが来てくれたり。アライヴァルというバンドが日比谷野音でフリー・コンサートをしたり。で、その年の12月、キョードー東京が“ロック・カーニバル”と銘打った来日シリーズをスタートさせて。第1弾としてジョン・メイオールが来日。ラリー・テイラーとハーヴィー・マンデルとのドラムレス・トリオ編成ではあったけれど、有楽町の日劇で1週間くらいライヴを披露してくれた。オープニング・アクトが日替わりで。ぼくが見に行ったときは岡林信康&はっぴいえんどが前座をつとめていたっけ。

これが来日ラッシュの始まりだった。翌年、このロック・カーニバル・シリーズが本格化。1971年2月に“ロック・カーニバル#2”と銘打って行なわれたブラッド・スウェット&ティアーズの日本武道館公演以降、この年だけでシカゴ、グランド・ファンク・レイルロード、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンなど大物が続々来日。翌1972年にもクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、テン・イヤーズ・アフター、プロコル・ハルム、エマーソン・レイク&パーマー、ディープ・パープル、B.B.キング、Tレックス、スリー・ドッグ・ナイトなど。ブルースからハード・ロック、プログレ、ポップスまで、多彩な大物が日本公演を行なってくれるようになっていった。

まあ、それでもせいぜい月に一組くらいのペースで。昨今の状況と比べると、ずいぶんと少なかった。ただ、少なかったから、ほぼ全部見た。バイト代をすべてつぎ込むようにして見まくった。同世代の洋楽ファン全員が同じ会場に集まっている気がした。プログレ系が今ひとつ苦手なぼくですら、ピンク・フロイドもエマーソン・レイク&パーマーも、その初来日公演を見に行ったくらいなのだから。

そんなわけで、ぼくは1971年を日本の洋楽ファンがライヴ・コンサートの躍動を本格的に体感した元年だと思っていて。今年はそれから50周年。半世紀。なんとも感慨深いものがあるな、と。今朝のブログはそういうポストです。

特に印象深いのが、ちょうど50年前の1970年2月に日本武道館で見たBSTだ。BTSじゃなく。ブラッド・スウェット&ティアーズ。この初来日ライヴについては、かつて、1995年にシンコーミュージックから刊行された『Live in Japan 60’s~70’s ロック感動の来日公演史』というムックに原稿を寄せさせていただいたことがある。ちょっと長くなるけれど、それを引用しておきます。そこにも記したけれど、このコンサート、ぼくが中学3年生のときに行なわれて。なんと高校受験の前日だった。両親からすっげー怒られたことを覚えている。

ということで、今日は彼らが1969年にリリースした大傑作セカンド・アルバム『血と汗と涙(Blood, Sweat & Tears)』を聞きながら、50年前の日本武道館へと思いを馳せるのでありました。なんか3月になると、このアルバム、モービル・フィデリティ社の究極のアナログ盤規格「ULTRADISC ONE-STEP」×「MoFi SuperVinyl」で復刻されるみたい(Amazon / Tower)。サイモン&ガーファンクルとかボブ・ディランとか出している例の45回転アナログ2枚組シリーズ。2万円くらいするけど。でも、このアルバム、以前出たSACDとかとんでもない高音質でぶっとんだから。このMo-Fi盤も絶対、超絶いい音なんだろうなぁ。買っちゃうのかなぁ、俺…。まあ、いいや(笑)。以下、引用です。

極私的な話ですが。高校受験の、まさに前日だったのだ。しかも、昼夜2回公演があるうちの夜の部。こんなことしてていいのかなぁ、とガキなりに不安になりながら、日本武道館へと駆けつけたことを覚えている。が、結論から言えば、問題なし。月並みな表現だが、そんな不安、BST、ブラッド・スウェット&ティアーズの面々がステージに登場して、ノッケの音一発ぶちかましてくれた瞬間に消えうせた。今、この瞬間、この場にいることができて、ぼくは本当に幸せだと確信できた。中学3年生のガキなのにね。生意気だけど。仕方ない。心底、ぼくは感激したのだから。

BSTがデビューしたのは1968年のことだ。アル・クーパーのソロ・ユニットの延長といった形でリリースされたファースト・アルバム『子供は人類の父である』が、当時の日本でも、まあ、ちょっと大人っぽいロック・ファンの間で話題になっていた。が、チャート上ではたいした成績を残さずじまい。当然、ヒットチャートばかりを追いかけるチャート小僧だったぼくはノーマーク。ぼくが彼らの名前を決定的に意識したのは、全米ヒットチャートで大当たりしたシングル「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」、「スピニング・ホイール」、「アンド・ホエン・アイ・ダイ」を含むセカンド・アルバム『血と汗と涙』がリリースされた69年になってからのことだった。

あのアルバム、確か当時の『ミュージックライフ』誌上のレコード・レビューでも最高の五つ星が付けられていたと思う。アル・クーパーが抜け、大幅なメンバー・チェンジを経て、より鋭く変身した新生BSTが生んだ大傑作アルバムだった。ジャジーなホーン・セクションをフィーチャーしていたため“ジャズ・ロック”とか“ブラス・ロック”とか呼ばれ、時代のニュー・サウンド・クリエイターとしてBSTは大いに注目されはじめた。このアルバムに接したことで、ぼくはジャズという音楽への糸口をつかんだ。ホーン・セクションというものの強烈さに打ちのめされた。ホーンのアドリブの面白さにもちょっとだけ目覚めた。エリック・サティのようなクラシック系現代音楽家の作風にも興味を持ちはじめた。ある意味では恩人のようなアルバムだった。そして70年、シングル「ハイ・デ・ホー」や「マック・イヴィル」を含むアルバム『BST3』をリリースし、よりラフでロック色の濃いアプローチを聞かせた彼らは、翌71年、待望の来日公演を実現させてくれたわけだ。

セカンド・アルバムに収録されていた「モア・アンド・モア」でスタートしたコンサートは、ぼくにとって初ものづくし。ビートルズがまだライヴをやっていた時代に乗り遅れたぼくにとって、武道館でコンサートを体験するのも初めてだった。今ではたいした広さとも思えない武道館が、あの夜はとてつもなく広い会場に見えた。さらに、そこで展開される熱気に満ちたBST流ブラス・ロックは、それまでぼくが親しんできたコンパクトなコンボ編成によるロック・サウンドをはるかに陵駕するパワーを体感させてくれた。

コンサート初盤は、リード・シンガー、デヴィッド・クレイトン・トーマスのうまさに圧倒されるばかり。「モア・アンド・モア」でのワイルドさ、「ファイア・アンド・レイン」での叙情、「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」でのブルース感覚。すべてが素晴らしかった。が、ライヴが進むにつれ、やがて演奏メンバーのジャジーなアプローチにこそ強く惹かれていったことを覚えている。もちろん、中学生の耳では今ひとつ深くは理解しきれなかったのだが、中盤、確か「微笑みの研究」の中間部だったと思う。サックス・プレイヤーのフレッド・リプシウスがソロを吹きはじめ、フレーズの途中で少しずつビートを変化させていく。と、ドラムのボビー・コロンビーとベースのジム・フィールダーが目を見交わしながらそれに反応していく。いわゆるジャズのインタープレイだが、こうした緊張感あふれる、スリリングな展開に背筋がゾクゾクしたものだ。これもぼくにとっては初の体験。今も第一線のセッション・トランペッターとして活躍しているルー・ソロフが、アンコールで演奏された「スピニング・ホイール」の間奏で思いっきり聞かせてくれた艶のある音色も忘れられない。

ひとりひとり優秀なプレイヤーが集まった大所帯バンドだけに、ソロの部分ではそれぞれの個性を大事にした演奏を展開しながらも、デヴィッド・クレイトン・トーマスの歌声のもと一丸となるときにはがっちりとタイトに噛み合い、ドライヴ感あふれるサウンドを繰り出す。あの夜のBSTは、間違いなくピークを迎えたバンドならではのパワーをぼくたち東京の聴衆に向けて放っていた。これが最後の輝きだったのかもしれない。来日した年の夏にリリースされた4枚目のアルバムから、彼らは明らかにパワー・ダウン。要になっていたメンバーも次々と脱退し、やがてなんとも煮えきらない中途半端なバンドへと変わっていってしまった。そうなる直前の、まだ燃えていたBSTを目撃できたことは本当にラッキーだったと思う。高校受験なんてメじゃないぜ。

ちなみに、この武道館公演の模様は録画され、TV放映された。そのとき、スタジオ部分のホスト役をつとめていたのが、GSブームで一世を風靡したザ・タイガース。謎のキャスティングではあるけれど、沢田研二をはじめ各メンバーが当夜の様子を思い出しながら、「でも、興奮したお客さんが立ち上がったりしてたけど、ああいうのはいけないよね」などと話し、うなずき合っていたのが忘れられない。会場中が総立ちになったとかいうわけでもなく、ほんの一部の観客が立ち上がって手を打ち鳴らしていた程度だったのに、この発言。時代を感じさせるなぁ。

『Live in Japan 60’s~70’s ロック感動の来日公演史』より
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