【スロウバック・サーズデイ】アロハ・フロム・ハワイ/エルヴィス・プレスリー
1月14日といえば“アロハ・フロム・ハワイ”の日。
ってことで、今日はいつもの新作ディスク・レビューを一休みして、スロウバック・サーズデイの懐かし話。エルヴィス・プレスリーが1973年1月14日、ハワイのホノルル・インターナショナル・センター(現・ニール・S・ブライスデル・センター)でのコンサートの模様を、当時としては画期的だったテレビ衛星生中継という手法で世界に向けて届けた『アロハ・フロム・ハワイ』に思いを馳せちゃいます。
これ、最終的に日本へとやってくることなく生涯を閉じることになるエルヴィスが、物理的にぼくたちにもっとも近づいてくれた瞬間でもあったわけで。日本のリッチなエルヴィ・ファンたちはこぞってハワイ行き。福田一郎さん、木崎義二さん、湯川れい子さんなども、みんな当たり前のようにホノルルへ飛んでいたっけ。
でも、1973年、ぼくはまだ高校生。1ドルは300円くらいだったかな。まだまだ“夢のハワイ”の時代。旅費ひとつとっても、バイト代でどうにかできる範囲の話ではなかった。テレビの衛星生中継にかじりつくのが精一杯。もちろん、家庭用ビデオなどもありえない時代。テレビの前に置いたカセット・テレコでいじましく録音しながら、あらゆるシーンを見逃すまいと食い入るように画面に見入ったことを覚えている。
あのころ、ぼくはエルヴィスのファン・クラブに入っていて。毎月、銀座の山野楽器で行なわれていたファンの集いのようなものにもちょくちょく参加。そこでこの生中継の情報を事前に知って、しかも中継後、ほんの2〜3週間で2枚組ライヴLPが発売されるというので、それも予約して。で、本当にあっという間にリリースされたので驚いた。発売日の放課後、山野まで取りに行った。あの日は朝から授業なんか何ひとつ頭に入らないくらいコーフンしていたものだ。
今思うと、アルバム・ジャケットも薄手でちょっとチープ。エルヴィスの写真が入っているはずの個所が黒塗りになっていたり。ライナーも何も付いていなかったり。音のほうも、これまた後で知ったことだけれど、当時のエルヴィス・バンドの中心メンバー、ギタリストのジェイムス・バートンが仕切る形で突貫ミキシングが行なわれたらしく。今、世に出ているヴァージョンとは違うミックスが施されていた。違いとしては、ジェイムス・バートンのギターの音がずいぶんとでかいという(笑)。まあ、これはこれでジェイムス・バートン・ファンとしてはたまらないものだったりするわけですが。
ビデオもなかったあの時代、放送後しばらくはオンエアのとき雑に録音したカセットで、2月になってからはその急造ライヴ・アルバムで、何度も何度も繰り返し聞きながら、ちっぽけなテレビの画面で見た“動くエルヴィス”の姿を脳裏で反芻した。懐かしい。
「泣きたいほどの淋しさだ(I'm So Lonesome I Could Cry)」の切なさとか、「アメリカの祈り(An American Trilogy)」の崇高さとか、忘れられない瞬間はたくさんあったけれど。個人的には、あの日初めてエルヴィスが取り上げた「スティームローラー・ブルース」にぶっとんだ。
ご存じ、われらがJT、ジェイムス・テイラーが1970年のアルバム『スウィート・ベイビー・ジェイムス』に収めていたスロウ・ブルースのカヴァー。後からいろいろ調べたところによると、本人がレコーディングする2年前、1968年に、仮面をつけた黒人ヴォーカル・グループ、マスカレーダーズがチップス・モーマンのアメリカン・サウンド・スタジオでこの曲を録音しており、厳密にはそれがオリジナル・ヴァージョンということになりそうだけれど。そんなこと知らないぼくは、げっ、エルヴィス、ジェイムス・テイラーとかも聞いてるんだ!? と、思いきり驚いたものだ。
当時ぼくは、もちろんエルヴィスが大好きだったのだけれど。生ギターを本格的に練習し始めた時期だったこともあって、JTも大好きだった。生ギター1本でも単なるフォークやカントリーに終わることなく、ジャズの洗練、ラテンの躍動、R&Bのファンキーさなどを表現できると思い知らせてくれた、我が“師”JT。
彼が代表する1970年代前半のシンガー・ソングライターたちは、一様に洗いざらしのジーンズにカントリー・シャツを無造作に着こなし、ごく私的な体験や内面の揺らめきを、ナチュラルなアコースティック・サウンドに乗せて歌っていた。レコードでもライヴでも、日常をそのまま切り取る、あるいは切り取っているように見せることがポップ・ミュージックの世界では“トレンド”だった。
一方そのころ、エルヴィスはといえば。主に古めかしいショービズの拠点、ラスヴェガスを中心に、派手なジャンプスーツを身にまとい、きらびやかなライヴ活動を精力的に続けていた。活動の場や外見だけとってみれば、当時のトレンディな音楽スタイルとまったく対極と思える位置にいた。
ところが、あの日、エルヴィスが「スティームローラー・ブルース」を歌った瞬間、一見別々の場所にいるかのように思えたぼくの二大ヒーローが一気に合体した。シンガー・ソングライター的な文化と、その対極にあるかのように語られていたエルヴィスの存在とが、このパフォーマンス一発でぼくの頭の中で有機的につながった。今でもあの瞬間の高まりは身体が覚えている。
この曲、もともとはJTがある種のパロディとして作ったものらしい。1960年代末、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジにあるフォーク・クラブ“ナイト・アウル・カフェ”にJTがレギュラー出演していたころ、ヴィレッジ界隈ではブルース・ブームが巻き起こっていた。周りは白人ブルース・バンドだらけ。が、本当のブルース・フィーリングを体得していない彼らは、やみくもにでかい音で、俺は本物の男だぜベイベーとか、俺は削岩機だハニーとか、俺は大型汽船だとか、俺はごっついレンガだとか、乱暴にシャウトするばかり。
あきれ果てたJTは、だったら俺はスティームローラーだと、うんざりしながら「スティームローラー・ブルース」を書き上げたのだそうだ。そんな、ある種のパロディ・ソングを、しかしエルヴィスはその雄大な歌心とパワーをもって見事、本物のブルースに仕立て上げてしまった。エルヴィスのハワイでのパフォーマンスによってこの曲はついに“生きた本物”へと昇華した。
ごきげんなカントリー・ロック系のフレーズを次々と繰り出すジェイムス・バートンも、ロニー・タット&ジェリー・シェフによるリズム・セクションのドライヴ感もいい。黒っぽいコーラスも迫力たっぷり。そして何より、不敵なまでに太いエルヴィスの歌声が痛快だった。歌い出しのあたり、けっこうテキトーになっていたり、ライヴならではの荒っぽさも含め、胸がすく快演だった。
なんてこと、いろいろ思い出しながら、今日は『アロハ・フロム・ハワイ』にひたります。あー、ハワイ行きてー…。