【スロウバック・サーズデイ】青春玉〜学生時代〜/爆風スランプ
先週の土曜日、9月26日。中野サンプラザでサンプラザ中野くんのライヴあった。ややこしい。題して、“祝・初公演だぜ!爆夢の中野サンプラザワンマンライブ!「感謝還暦」サンプラザ中野くん&パッパラー河合 supported by オカモトラバーズ研究所”。
ごきげんでした。タイトル通り、中野くんが今年還暦を迎えたことを寿ぐコンサート。なんでも、爆風スランプの一員としてデビューしたころ、スタッフから“中野サンプラザでのワンマンは最後の手段だ。いざというときまでとっておけ”と言われたのだとか。なもんで、60歳の節目、これがデビュー36年目にして初のサンプラ公演だった。めでたい。
高校時代からの同級生で、ともに爆風のメンバーとして活動してきた相方、パッパラー河合も当然今年で還暦。ダブルでお祝いだ。ご時世がご時世なもんで、客席は一席置き。還暦の60歳にひっかけて600人に観客を限定。観客はなるべく声をあげず拍手だけで応援する。騒いで見たい人はネットでの生中継で、みたいな。そういう微妙な環境でのライヴではあったけれど、まじ、楽しいひとときだった。
冒頭、河合くんによる“なりすましサンプラザ中野”による「ランナー」のカラオケ歌唱があって、そこから本編へ。バンドも、中野くんも登場して、「週刊東京『少女A』」「うわさに、なりたい」「夕焼け物語」と爆風スランプのナンバー連発の幕開け。
さらに、お客さんがこれまでのように立ったり騒いだりできない制限付きの環境を考慮して、ちょっと抑えめの「それから」「月光」「青春のフレア」を披露。その後、中野くんと河合くん、二人だけのパートへ。コロナ禍で時間があったのでマスターしたというウクレレを中野くんが弾きながら、河合くんのアコースティック・ギターとともに「涙の陸上部」を披露。この段階でけっこうこみあげました。
以降も、新旧レパートリー、青春時代に影響を受けた曲のカヴァー・メドレーなど取り混ぜての展開。MCとか、これまた彼ららしく、もうどうにもグズグズだったりして。時間が押す押す。たぶん2時間予定で進行していたステージ、終わってみたら結局3時間に(笑)。けっこうボロい感じになった局面もあったものの。そういうところも含めてうきうき楽しめた。懐かしさと現役感とが共存する感触がうれしかった。
岸谷五朗&寺脇康文、バーベQ和佐田、デーモン閣下もゲストとして登場。和佐田さんが出てきてベースを演奏した何曲かは、もう、ほぼほぼ爆風スランプ。盛り上がるしかなかった。デーモン交えての「穴があったら出たい」とか、最高だった。あー、ぼくは本当に爆風スランプが好きだったんだなぁ、と。そんなことを改めて思い出させてくれた夜でありました。堪能しました。
いろいろ昔のことを思い出した。なので、今日は“スロウバック・サーズデー〜TBT”シリーズとして、爆風スランプの懐かしいアルバムを1枚、紹介することにします。
ぼくが爆風スランプといちばん密に仕事させてもらっていたのは1980年代後半から90年代アタマにかけて。雑誌『GB』で毎月レギュラーで連載コーナーの取材/執筆を担当していた。中野くんによる読者からの詩の添削コーナーとか、河合くんのイラスト・コーナーとか、ほーじん(ファイト!)のソウルについての考察コーナーとか、末吉くんの怒りの投稿コーナーとか、毎月わいわいやっていたものだ。懐かしい。
そんな爆風との仕事の中で、特に印象に残っているもののひとつが、1992年に出た『青春玉』という、ちょっと変則的なベスト・アルバムのライナーノーツを書かせてもらったこと。選曲にも一部、ちょこっと絡ませてもらった。半年ほど前、1991年にリリースしたヒット・アルバム『青春王』に引っかけたアルバム・タイトルのもと、過去のレパートリーから“青春”っぽい手触りの曲ばかり、有名曲からマニアックな曲まで含めてピックアップして、曲によってはそれらを再録したり、演奏を一部差し替えたり、さらに新録カヴァー「学生時代」を加えたり…という、ちょっと変則的なベスト・アルバムだったのだけれど。
これ、自分が関わったから云々ということ抜きにして、いちばん好きな爆風のアルバムかも。フィジカルはすでに廃盤っぽいけれど、ストリーミングは健在。ということで、今日はこのアルバムへのリンクを張ってみます。ストリーミングには当然ライナーは付いていないのだけれど、どうせフィジカル廃盤なんだし、いいんじゃないかなーってことで、ぼくが当時書いたライナーをこちらで勝手に再録しておきます。
もう30年近く前の文章なので、まあ、いろいろ雑なところも目立つわけですが、そこはお目こぼしを。すでに60代半ばに差し掛かろうとしているぼくが自分のことを“30代半ばを超えてしまったような者”とか書いてる、まあ、そんなころの文章です。でも、ぼくが爆風スランプのどんなところをどんなふうに好きなのか、その内容に関しては今なお何ひとつ変わりはないです。てことで、ゆるーくお楽しみください。
青春玉〜学生時代〜/爆風スランプ ライナーノーツ再録(1992年2月執筆)
BAKUFU-SLUMPのことを語ろうと思うと、ぼくは必ずあるひとつのコンサートでのワン・シーンを思い出す。雑誌にも、そして彼らのツアー・パンフレットにも書いたことがある話だから、すでに読んだ方も多いこととは思う。けど、もう一度だけ、あの夜のことを書かせてもらいたい。
『BAKUFU-SLUMP グランド・ツアー87〜88“爆風元年”』と題されたツアーの東京公演でのことだ。コンサート中盤。メンバー4人がステージ前方に勢揃い。楽しいMCタイムに突入した。そこで話されたのは、ニュー・アルバムのプロモーションで全国を回ったときのエピソード集。各地のラジオ番組で相変わらずコミック・バンドとして扱われてしまうこと、雑誌の写真撮影の際、どうしてもおどけたポーズを要求され、自分たちもついそれに応えてしまうこと、などなど。一度まとわりついてしまったお笑いバンドのイメージを払拭するのはとてもむずかしい、と。要するにそういうMCだった。そして、ある地方のラジオ局で「ぼくたちもバラードを歌ったりしてるんです」と言ったら、40歳ぐらいのアナウンサー氏に「またご冗談を」と言われてしまったという実話に続いて、コンサートはバラード・セットに突入。4人はステージ上、横一列に並んで、おなじみ「涙の陸上部」をアカペラで歌いはじめた。
シンプルなアカペラ。時折り誰かの声がひっくり返ったり、ハーモニーやテンポがそこそこ乱れたり。けど、この夜、ぼくは不覚にも目頭を熱くしてしまった。直前にああいうMCを聞いていたからかどうか、わからない。とにかく胸が締め付けられた。アカペラ版「涙の陸上部」に続いて、今度は演奏入りで「愛がいそいでる」と「大きな玉ネギの下で」のメドレー。これも素敵だった。切なかった。誰にでも青春というものがあって。それは、ある人にとってはもう何年も前に終わってしまったものかもしれないし。ある人にとっては今まさにまっ盛りかもしれないし。ともあれ青春で。それは実はあんまりかっこいいものじゃなくて。けっこうドジだったり。みっともなかったり。けっして他人に対して誇れるようなものじゃなくて。でも、そのかっこ悪さも何もかもすべてをひっくるめて、どうしようもなく淡くて、切ない。それが青春なわけで。この夜の爆風スランプの歌にはそんな気持ちがぐるぐるに渦巻いていた。だから、涙がこみあげた。連中がコミック・バンドかどうかなんて、この際まったく関係ない。どっちでもいい。とにかくあの夜のBAKUFUの歌は泣けた。この事実だけがぼくにとっては大切だった。BAKUFUがコミック・バンドだろうとなかろうと、これほど青春の手触りをまっすぐ、飾り気なく感じさせてくれる連中、他にはいないんだから。
BAKUFUの音楽は、ぼくのようにすでに30代半ばを超えてしまったような者にも、そんな青春のリアルな肌触りを伝えてくれる。時間軸をたどって、青春の記憶をリアルに刺激してくれる。それは「涙の陸上部」とか「大きな玉ネギの下で」のようなタイプの曲ばかりか、たとえば「青春りっしんべん」に代表されるハードなナンバーにも共通するとてもリアルな手触りだ。思春期の想い、ティーンエイジャーの気持ち。そういうものは、結局いつの時代も変わらないってことだ。ファッションとか、環境とか、時代の空気とかは移り変わっても、根っこは変わらない。普通の人だと大人になるにつれてついなくしてしまいがちな、その根っこの部分を見つめる“目”をいつまでも持ち続けているサンプラザ中野は、だから、素晴らしい青春の詩人だと思う。そして、そうした気持ちをとことんタフに、シャープに、ひとかたまりのサウンドへと凝縮してみせるBAKUFU-SLUMPも素晴らしい青春野郎たちだと思う。そんな彼らが青春を綴った新旧全12曲。ここにBAKUFU-SLUMPの魅力が凝縮されている。
■学生時代
昭和30年代、ペギー葉山の歌で大ヒットした青春歌謡の金字塔が、末吉&和佐田の怒涛のリズム隊が炸裂する強力なハード・ロック・アレンジで平成の世によみがえった。1991年の暮れ、BAKUFU-SLUMPが所属する事務所の経理部の忘年会の席上、カラオケでこの曲を歌った人がいたのだが、それを聞いてグッときたサンプラザ中野の提案で本アルバム用にレコーディング。素人のカラオケもバカにはできない。今回収録されたものの他に、ヴォーカルのキーを4度ほどあげて中野が絶叫するパンク・ヴァージョンも録音された。セックス・ピストルズの「マイ・ウェイ」さえしのぐ仕上がりだった、と語るメンバーもいるが、結局このヴァージョンに落ち着いた。ちなみにサンプラザ中野は“夢多かりしあの頃”という歌詞を“夢を借りしあの頃”だと聞き違え「夢を借りし、ということは、夢というものを介在して過去へとさかのぼるのだろうか……うーむ、深い」と勝手に感心していたという。何考えてんだか。
■週刊『東京少女A』
1984年にリリースされた記念すべきデビュー・シングル曲。ファースト・アルバム『よい』にも収録されていたが、今回は本アルバム用のニュー・レコーディングで。基本的なアレンジは変わっていないが、ライヴで磨き抜かれ、より分厚く勢いあふれるヴァージョンに変身。デビュー以来8年間の頼もしい成長ぶりが感じられる。ライヴでは公演地それぞれの名物を織り込んで歌われたり、今も高い人気を誇るBAKUFUの代表曲のひとつだ。“OLIVE”という雑誌名がこれ見よがしに登場しているあたり、いかにも8年前の作品だなぁと感じさせて、泣ける。“10桁もあるテレフォン・ナンバー”という部分も、すでに東京も市外局番含めて電話番号10桁の時代にあっては古くなった気がするが、中野は「しかし、東京に住んでて東京でナンパされた女の子は市外局番までは言わないはずだ」と瑣末な正当性を主張している。
■青春りっしんべん
ただ甘さや切なさを強調するだけではない、もっと生き生きとした、暴走する青春像を等身大で歌う、というBAKUFUの青春路線最大の傑作。1985年リリースのセカンド・アルバム『しあわせ』に収録されていたナンバーだ。現在のライヴでは、60年代末から70年代初頭にかけて活躍したLAのロック・バンド、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう(BORN TO BE WILD)」の一節などを交えながら、よりハードにリアレンジされているが、オリジナル・ヴァージョンはこのようなニューウェイヴ的な仕上がりだった。もともとはお相撲さんになるしかないくらい太った女の子をテーマにした歌詞で、マワシがどうしたとか土俵がどうしたとか歌われていたが、ライヴを重ねる中で現在の形になった。“コンパクトディスクだから音がいい”と自慢してるあたり、これまた時代を感じさせる。“あいつの2枚目だぜ”の“あいつ”とは、もちろんBAKUFUのことだ。末吉によれば「この曲をはじめて聞いた中野のご両親が、“あの曲はちょっと感心しないなぁ”と言ってました」とのこと。
■The Good Bye
同じく1985年のアルバム『しあわせ』の収録曲。あまりライヴでも演奏されないので新しいファンにはなじみの少ない曲かもしれないが、学校の恋人たちの一大事を軽快なポップ・ファンク・サウンドに乗せて歌う隠れた傑作だ。冒頭、“ウッ・シッ・クッ!”というシャウトが入るが、これに対して「ぼくたちのエンジニアやってる人の出身校が牛久高校だったからです」と、河合がワケのわからない説明をしている。若き日の中野のヴォーカルがひょうひょうとしていて、かわいい。こういうBAKUFUも悪くない。
■涙の陸上部
デビュー・アルバム『よい』収録曲。「週刊『東京少女A』」というタイトルは、当時ヒットしていた中森明菜の「少女A」からインスパイアされたものだったが、この曲はチェッカーズ。彼らのデビュー曲「涙のリクエスト」をパロディにしたものだ。“ナミリク”と略せばどっちも一緒、というわけか。かなりいいかげんな生い立ちの曲ではあるが、内容的には“青春の詩人”サンプラザ中野の本領が発揮された学園もの。「大きな玉ネギの下で」と並ぶBAKUFUの名バラードだ。デビュー・アルバムでは演奏入りで録音されていたが、85年ごろのツアーからメンバー4人によるアカペラ・コーラス・ヴァージョンが披露されるようになった。今回はそのアカペラ版で新たにレコーディングし直されての収録。ふざけてるのかマジなのかわからない、ボクトツとした棒読みコーラスが不思議と胸にしみる。うれしい新録だ。
■THE TSURAI
1987年リリースのアルバム『ジャングル』からのファースト・シングル。はじめてホーン・セクションを大幅にフィーチャーしたファンクっぽいビートに乗って、「むさくるしい青春」(末吉談)が描かれている。デビュー以来、“おちゃらけたバンド”という一面的なイメージばかりが先行していたBAKUFUだったが、彼らがそんな表層の奥に隠していた本当の底力を発揮し始めた時期の作品だ。ビデオ・クリップも名作。観客を巻き込んで一気に盛り上がるというBAKUFUビデオのパターンを確立した1本だった。ちなみに、この当時、ベーシストは江川ほーじんだったが、ビデオに収められた楽屋風景の中にすでにチラッと和佐田の姿が映っている。運命の一瞬だ。要チェック。
■夕焼け物語
アルバム『ジャングル』収録。作曲者の河合は当時、松任谷由実に凝っていたが、その成果がくっきり表われた作品だ。BAKUFUにとって本格的なストリングスを導入した初のレコーディングでもある。「涙の陸上部」の何年か後を描いたものだという説もある。今回の再録にあたって和佐田が「最近のステージでやっているような太い音で」ベースを差し替え。リミックスもほどこされた。
■KASHIWA マイラブ
1989年にリリースされたアルバム『I.B.W.』収録。パッパラー河合のヴォーカルをフィーチャーしたナンバーだ。影の人気曲、裏の愛唱歌とも言われている。これも河合のユーミン路線。曲ができあがってすぐ、松任谷由実がDJをつとめるラジオ深夜番組でオンエアしてもらい、河合がいたく喜んだというエピソードもほほえましい。「詞を書きながら、いいなぁ、きれいだなぁ、これだよこれだよ歌謡曲は! と盛り上がりながら、あっという間に仕上げちゃった。自分じゃなく他の人が歌うと思うと、どんな恥ずかしい言葉でも書ける」とは、中野の弁だ。この曲を皮切りに、和佐田の歌う「京都マイラブ」、未レコーディングながら末吉が歌う「坂出マイラブ」へと連なる一連の“マイラブ・シリーズ”が誕生した。
■青春の役立たず
1986年にリリースされたシングル曲。はじけるキャンディ“ドンパッチ”のテレビCMソングとしてもおなじみだろう。この曲をひっさげてテレビの歌番組にも数々登場したが、中でも、どこの地方だったかは忘れたが、雪まつりのようなイベント開催中の会場のステージからの生中継はすごかった。極寒の中、司会者(高田純次だったような……)に呼び出され勢いよく飛び出してきたBAKUFUだったが。なんと河合は半袖のTシャツと薄手のズボンという真夏のようないでたち。中野によれば「しかもノーパンだった」とか。それでもすぐに演奏が始まれば身体もあたたまっただろうが、間が悪いことに、呼び出されただけで番組はCMに突入。BAKUFUの演奏はCM開けに予定されていた。そのため、CMの間、引っ込むわけにもいかず、ひたすら番組の再開を待っていた河合のくちびるはみるみる紫色に。手もかじかんで悲惨な事態になってしまったとさ。これもまたBAKUFUの青春のひとコマでした。待望の初CD化。
■Runner
1988年リリースのアルバム『ハイランダー』からシングル・カットされ、特大ロング・ヒットを記録したナンバー。翌89年初頭に中野と河合は二人でニューヨークへと出向き、テレビ番組の企画でこの曲を誰もいないマジソン・スクエア・ガーデンの客席でギター1本をバックに歌ったが、その演奏を聞いて、作曲者である末吉はいたく感激。「この曲はアコースティックで聞いてもらいたかった」と語った。そのときの演奏を思わせるアコースティック・ヴァージョンで今回新録。1991年から92年にかけてのツアーではこのアレンジで演奏されている。
■涙2
現在のところの最新シングル。BAKUFUらしい青春路線の王道だ。進研ゼミのテレビCM曲としてもオンエアされているが、そちらはCM用の別ヴァージョン。
■星に願いを
ディズニー映画『ピノキオ』の挿入歌として知られる名スタンダード。かつて和佐田も在籍していたTOPSのためにサンプラザ中野が新たに日本語詞をつけたことがあったが、今回のアルバムのために中野自らその歌詞で新録。「涙の陸上部」以来続く切ない世界がここでも展開されている。「BAKUFUの青春っぽい曲に出てくる主人公って、山に行ったとか海に行ったとか、そういうことしないよね」と中野は語る。「ほとんど学園の中だったり、せいぜい行ってプラネタリウムだったり。ぼく自身、そういう青春だったような気がするし。よっぽど青春時代にいやなことがあったのか、やり残したことがあったのか……」。でも、そういう未練があるからこそ、中野は今もヴィヴィッドに“青春”のひとコマを書きつづけることができるのだろう。BAKUFU-SLUMPの青春はまだ終わっちゃいないってことかもしれない。
1991年2月 萩原健太