ザ・マイク・デューク・プロジェクト…トゥック・ア・ホワイル/マイク・デューク
今回もおまぬけタイミングで、遅ればせながらの紹介です。去年の10月ごろ出ていた盤。すっかり見逃していました。ショック。こんなごきげんな1枚なのに。なにやってんだ、俺。
マイク・デューク。ご存じでしょうか。あまり馴染みのない名前かも。まあ、アルバムが出ていたことを数カ月見過ごしていたぼくが偉そうに言える筋合いではないのだけれど(笑)。渋好みのごきげんなべテランなのだ。
ぼくがこのアラバマ州モービル生まれのソングライター/キーボード・プレイヤーの名前を初めて知ったのは1974年。折からのサザン・ロック・ブームに乗ってうっかり日本盤がリリースされちゃった感じだった(笑)ウェット・ウィリーのアルバム『キープ・オン・スマイリン』を買ったときだ。ゴスペルライクなアップテンポ曲「トラスト・イン・ザ・ロード」のソングライターとして彼の名前がクレジットされていた。
翌1975年のアルバム『ディクシー・ロック』からはメンバーとなり、キーボード・プレイヤーとして、あるいはバック・ヴォーカリストとしてもウェット・ウィリーを支えた。やがて1980年にはアウトローズに1年ほど途中参加。と、そんな流れを経て、1982年、ソングライターとしてヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバム『ベイエリアの風(Picture This)』に必殺の名曲「サンフランシスコ・ラヴ・ソング(Hope You Love Me Like You Say You Do)」を提供。これが出世作となった。
つーか、その後、特に大きく羽ばたいたわけでもないので、特に出世とも言い切れないのだけど(笑)。
当時、ヒューイ・ルイスのマネージメントを手がけていたボブ・ブラウンのところにマイク・デュークが自作曲を15曲詰め込んだデモ・テープを送ったことがきっかけだったらしい。以降、ヒューイ&ザ・ニュースは1986年の『Fore!』で「すべてを君に(Doing It All for My Baby)」、2001年の『プランB』で「レット・ハー・ゴー・アンド・スタート・オーヴァー」…と、全部で3曲、デューク作品を取り上げてきた。
1990年代にはデルバート・マクリントンのバンドでキーボードを担当したり、ドニー・フリッツのアルバムに参加したり。地道に活動を続けてはいたが、自らのアルバムは1枚もリリースせずじまい。そんな悲劇のベテランに、ついにジム・ピューが主宰する非営利レコード・レーベル“リトル・ヴィレッジ・ファウンデーション”がスポットを当てた。
これまであまり世のアンテナに引っかかることがなかったもののけっして見逃してはいけない重要なアーティストの作品にスポットを当て続けるリトル・ヴィレッジ。いい仕事してくれました。1948年生まれだから、この初アルバムが出たとき71歳。“…took a while”、時間がかかったな、と。そんなアルバム・タイトルが泣ける。
エグゼクティヴ・プロデューサーは彼のデモ・テープを受け取った恩人、ボブ・ブラウン。ヒューイ&ザ・ニュースで一山当てたブラウンはカリフォルニア州ニカシオのロードハウス“ランチョ・ニカシオ”を購入した。そして、「サンフランシスコ・ラヴ・ソング」と「すべてを君に」を全米トップ40入りさせて儲けに一役買ってくれたデュークをそのロードハウスのハウス・バンド“ザ・ランチョ・オールスターズ”のメンバーとして雇った。驚いたことに、このロードハウスでの仕事は今なお続いているらしく、そうした長年の縁もあって今回のリリースに至ったのだとか。
というわけで、今回のアルバムにはランチョ・オールスターズや、21世紀の米西海岸ブルース・シーンを牽引するノルウェー出身のブルース・ギタリスト、キッド・アンダースンらと組んだ新録が4曲。近年のライヴでのソロ・ピアノ・パフォーマンスが1曲。参加している顔ぶれは他にもザディコ・フレイムズとかエルヴィン・ビショップとか、興味深い。
他は40年以上前から少しずつ録りためられたデモ・トラックをアンダースンが自ら所有するグリースランド・スタジオへと持ち帰り、リミックスしたり、新たなダビング作業を行なった音源だ。そういう意味では時期的に思いきりデコボコした1枚なのだけれど、なんと、いっさい問題なし。音楽性がまったく40年間変わってないから(笑)。ブレなさ具合が半端ない。サザン・ロック+マッスル・ショールズ。どの曲もそんな風合いのカントリー・ソウルばかりだ。
中でもヒューイ&ザ・ニュースへの提供曲3曲の自演ヴァージョンがやはり注目されるところ。この辺はウェット・ウィリー仲間のジミー・ホール(サックス)、ラリー・バーウォルド(ギター)、ジャック・ホール(ベース)らが参加した往年のデモ・ヴァージョンを元に再構築されている。キーボードはデューク自身。ドラムはウェット・ウィリーの初期オリジナル・メンバーで、のちにカウボーイとかグレッグ・オールマン・バンドに参加するビル・スチュワートだ。
もともとドクター・ジョンへの提供曲として用意されたという「ザッツ・ホワッツ・ソー・グッド・アバウト・ザ・サウス」は、やはりオーマンズ人脈としておなじみ、ジャック・ピアソンが参加した1991年の録音。ニューオーリンズっぽくバウンスするグルーヴに乗ってピアソンが繰り出すジャジーでブルージーなアコースティック・ギター・プレイが最高だ。
グレッグ・オールマンとシェールが離婚した直後、オールマンに提供する予定だった曲「カミング・ラウンド・アゲイン」も涙腺直撃。1977年にポール・ホーンズビーのプロデュースのもとジョージア州メイコンのマスカディーン・スタジオで録音されたもので。本作中、もっとも古い音源か。オールマンズやWARMの一員として活躍することになるレイ・ホーニアのブルージーなギターや3管ホーン・セクションがいい雰囲気で。
そんなサウンドに乗せて、若き日のマイク・デュークはこう歌うのだ。
“俺の幸運がまたやってくる…”
やってきたね。まじ、時間はかかったけど。