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RIP Alabama Leaning Man: Muscle Shoals Musician and Songwriter Donnie Fritts Dies At 76

追悼:ドニー・フリッツ

マッスル・ショールズ・サウンドが結実していく流れのうえで、とても重要な役割を果たした偉大なソングライター/セッション・ミュージシャン、ドニー・フリッツが、8月27日、亡くなった。享年76。

今年の4月、マッスル・ショールズやナッシュヴィルの音楽仲間たちと久々に来日することが予定されていたものの、ドニーの体調不良により中止。ファンを心配させていた。誰もが回復を心から願っていたのだけれど、その願いはかなわずに終わった。残念でならない。

1942年11月8日、アラバマ州フローレンス生まれ。15歳のころから地元のバンドでドラムを演奏するようになり、やがてキーボード奏者に転身。1960年代半ばからはソングライターとしてもチャーリー・リッチやジェリー・リー・ルイスら様々なシンガーに楽曲提供するようになった。その後、彼の曲を取り上げたシンガーはボックストップス、ジョー・サイモン、ドリー・パートン、ウェイロン・ジェニングス、ダスティ・スプリングフィールド、ジョン・プライン、レイ・チャールズ、キース・リチャーズなど数え切れない。1970年代になると、クリス・クリストオファソンのバンドのキーボード・プレイヤーに。その付き合いは以降2013年に至るまで続いた。

この人の場合、リック・ホール、ビリー・シェリル、ダン・ペン、スプーナー・オールダム、アーサー・アレクサンダー、デヴィッド・ブリッグス、ジェリー・キャリガン、ノーバート・パトナムら優れたプロデューサー、ソングライター、セッション・ミュージシャンたちとコラボレートしながら、アラバマ州マッスル・ショールズのFAMEスタジオを拠点に豊かな米南部サウンドを作り上げた裏方としての活動が基本ではあるのだけれど、素晴らしいソロ・アルバムも何枚かリリースしている。

特に1974年の『プローン・トゥ・リーン』。けっしてセールス的に好成績を残したわけではなかったけれど、このアルバムに魅せられた音楽ファンは日本でも少なくないはずだ。ぼくもそのひとり。初めて聞いたのは、渋谷のロック喫茶「BYG」でだった。

以前、スティーヴ・アールがリリースしたガイ・クラーク作品集を取り上げたときにも書いたことだけれど。1970年代半ば。お金のない大学生だったぼくは、いつも「BYG」や「ブラックホーク」のようなロック喫茶に通っては、そこでかかる洋楽新譜アルバムをチェックする日々を送っていた。

まだアーティストの来日もそんなに多くなかったころのこと。インターネットなど、かけらもない時代。こと洋楽に関して、レコードというメディアですべてを初体験していくしかなかった当時の日本では、生演奏を聞かせるライヴハウスではなく、あくまでもレコードをかけるだけのロック喫茶が独自の文化を生み出していた。

レコード盤から聞こえる音そのものと、パーソナル・クレジットと、30センチ四方のジャケットにプリントされたヴィジュアルと、それだけの限られた情報を手がかりに、異国の地で勝手な妄想を悶々と広げた結果、奇妙なカルチャー・シーンが型作られていた。そんな歪んだ磁場の象徴がロック喫茶だった。

そこでぼくたちはたくさんのアーティストの歌声に出会った。ボーダーライン、ハングリー・チャック、アメイジング・リズム・エイシズ、コマンダー・コディ、グラインダー・スウィッチら無数の曲者バンドに出会ったのも、ガイ・クラーク、ガスリー・トーマス、リッキー・リー・ジョーンズ、ハース・マルティネス、マイケル・フランクス、ケニー・ランキンら多彩なシンガー・ソングライターの魅力を知ったのも、みんなロック喫茶でだった。

マリア・マルダー、ダン・ヒックス、アスリープ・アット・ザ・ホイールらのある種ヴァーチャルなノスタルジアに切なく胸を締め付けられたのもそう。そして、トニー・ジョー・ホワイトやボビー・チャールズ、ダン・ペン、ドニー・フリッツらの南部感覚にとろけたのも、みんな「BYG」の2階でのことだった。

『プローン・トゥ・リーン』を初めて耳にしたときの感動は今も忘れない。A面1曲目の「スリー・ハンドレッド・パウンズ・オヴ・ホングリー」でいきなりやられた。パッキパキにアーシーなギター(あとでクレジットを見て、それがジェリー・マギーによるプレイだったことを知った。ベンチャーズ・ファンだったぼくにはそれもまたうれしい発見だった)などをバックに、けっしてうまいというわけではないものの、よそ者にはけっして醸し出すことができないであろう南部っぽいファンキーさとスウィートさを見事に共存させた渋い歌声。しびれた。しびれるしかなかった。

他にも「ウィナー・テイク・オール」「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ」「ウィ・ハッド・イット・オール」「レインボウ・ロード」など、激することなく、穏やかに、しかし得も言われぬ芳醇なファンキーさをにじませるその音世界は今聞いても素晴らしい。その後、ぽつりぽつりとではあるものの、たまにリリースされるアルバムを追いかけながら、いつまでも変わらぬドニー・フリッツ・ワールドをぼくは楽しみ続けてきた。

2009年には、クリストオファソンのバンド・メンバーとして来日して以来、実に35年ぶりに、そうそうたる音楽仲間を従えた来日公演もあった。もちろん、最高だった。アルバムとしては2015年、73歳のときにリリースした『オー・マイ・グッドネス』も大好きだった。実に渋いカントリー・ソウル盤。相変わらず歌はうまくないものの、年輪を重ねた者にしか出せない訥々とした表現に切なく胸を締め付けられた。冒頭に収められた「エロール・フリン」はカヴァーながら、とんでもない名唱だと思う。

『オー・マイ・グッドネス』のプロデュースを手がけていたのは、シヴィル・ウォーズのジョン・ポール・ホワイト。レジー・ヤング、デヴィッド・フッド、スプーナー・オールダムら超ベテラン・セッション・ミュージシャン勢から、同じ地元の若手シークレット・シスターズ、ジャック・ホワイト、アラバマ・シェイクスのベン・タナーとブリタニー・ハワード、ジェイソン・イズベルまで、新旧世代の南部人脈が勢揃いでバックアップしていた。この縦横に広がる魅力的な脈絡をさりげなく実現させてしまえるのが、まさしくドニー・フリッツという人なのだろうと感じる。

その“静かな”存在感は圧倒的だった。どうか安らかに…。

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