ガイ/スティーヴ・アール&ザ・デュークス
大学生だったころ、1970年代半ば過ぎ、ぼくは今は亡きガイ・クラークのアルバムを本当によく聞いた。特に75年に出たファースト『オールドNo.1』。いまだに愛聴盤だ。
初めてクラークの歌声を耳にしたのは、忘れもしない、渋谷のロック喫茶「BYG」の2階でのこと。お金なかったし、この種の洋楽新譜がかかるラジオもほとんどなかったし、レコード屋さんに試聴機なんかなかったし、当然ネットもないし。新譜チェックはいつも渋谷のロック喫茶で…という日々だった。
「BYG」の2階奥には畳敷きのスペースがあって、靴を脱いでくつろぐことができた。ある日、そこに寝っ転がって、コーヒー一杯でえんえん粘りながら、ぼんやり音楽に耳を傾けていたら、なんだか渋い、しゃがれた、でもどこか毅然とした、しかも抗えない郷愁のようなものに貫かれた歌声が聞こえてきて。それが『オールドNo.1』のA面だった。
これが、来た。ぐっと。むちゃくちゃよかった。荒くれ者がふと見せる優しさみたいな、そんな感触がどの曲にも漂っていて。あわてて1階へと駆け下りてアルバム・ジャケットを確認。タイトルと歌手名を暗記して、その足で原宿の輸入レコード店「メロディハウス」へと突入した記憶がある。懐かしい。
ガイ・クラークは1941年、テキサス州モナハンズ生まれ。71年、テネシー州ナッシュヴィルへと本拠を移し、まずはソングライターとして名を挙げた。自らシンガーとして先述『オールドNo.1』でデビューを飾ったのは30代半ばになってから。遅咲きだった。が、深い洞察と説得力に貫かれた彼の曲はソングライター時代から多くの音楽仲間の心をとらえ、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、ジョニー・キャッシュ、トム・パクストン、リタ・クーリッジ、デヴィッド・アラン・コー、トム・ラッシュらがこぞって取り上げていた。
とりあえずアウトロー・カントリー、あるいはオルタナティヴ・カントリーのジャンルに分類されることが多い人だけど、その魅力はジャンルを超えて伝わっていった。クラークのナッシュヴィルの自宅は、各地からやってきたソングライターやミュージシャンが集うサロン的な空間だったそうだ。そこにはクラーク作品を誰よりも早くレコード化したジェリー・ジェフ・ウォーカーのような同世代アーティストもいれば、ロドニー・クロウェルのようにやがて名を挙げる後輩たちも…。
その中に、クラークより一回り年下、若き日のスティーヴ・アールも含まれていた。今ではナッシュヴィルのオルタナティヴ・カントリー・シーンの顔役的な存在となったアールだが、彼がテキサス州サンアントニオからヒッチハイクでナッシュヴィルへとやってきたのは74年、19歳のときのこと。アールにとって、すでに当地で誰からも大いに尊敬されていた同郷のガイ・クラークは憧れの人であり重要なメンターだった。
と、そんなスティーヴ・アールがザ・デュークスを従えて、敬愛するガイ・クラークの曲ばかり取り上げてカヴァーしたトリビュート・アルバムが本作『ガイ』だ。アールはちょうど10年前、2009年に、やはり彼にとって曲作りをする上でのメンターのひとりであるタウンズ・ヴァン・ザントの曲ばかり歌った『タウンズ』なるアルバムを出しているけれど、それと同趣向の企画ということになる。というか、アールにとってはこの2作でひとつ…と捉えたほうがいいのかもしれない。
アールとザ・デュークスは去年の暮れ、ナッシュヴィルのハウス・オヴ・ブルース・スタジオへ。なるべくライヴな感覚を大切にしたかったということで、全曲ほぼ一発録り。たった6日間で全16曲、一気に完成させてしまったという。全員の身体にガイ・クラークの音楽がしっかり染みついているだけに、何の問題もなかったようだ。
選曲もさすが。が、やはり「LAフリーウェイ」「テキサス1947」「デスペラードズ・ウェイティング・フォー・ザ・トレイン」「リタ・バルー」「シー・エイント・ゴーイン・ノーホエア」など、若き日のアールがバック・コーラスでも参加していた『オールドNo.1』の収録曲が特にしみる。
空虚な大都会を追われたアウトロー、蒸気機関車に畏敬の念を抱く少年、流浪を繰り返してきた老人、テキサス中のカウボーイをとりこにする踊り子、“ここではないどこか”へヒッチハイクで去って行こうとする女性…。ガイ・クラークが描き出した魅力的な主人公たちを、スティーヴ・アールが新たな視点で現在によみがえらせてみせる。泣ける。