ブルース・アフター・アワーズ/エルモア・ジェイムズ
画面の得点表示に「ソ」とか「楽」とか。見慣れない今日このごろ(笑)。球春到来って感じで楽しい。「ソ」と「楽」が対戦しているときなんか、もう何がなんだか。いずれにせよ、状況が大きく変わると面白いっすね。シーズンが本格的に始まると、さすがに力の差が歴然としてきたりして、わりと早い段階で大勢がわかってきちゃうことも多いし。まだまだ本番は先だから…とか言って、選手名鑑眺めながらオープン戦見てるこの時期が、実はいちばん楽しかったりするかも。1軍一歩手前くらいの若手もいろいろ見られるし。
そんな中、メディアの世界ではとんだドタバタが起こっていて。こんな形で、わが最愛のDJ、カメさんのご尊顔を何度も何度も拝見することになろうとは。ぼくは中学生時代、ほんとにカメさんが好きだった。『ポップス・ベストテン』とか『オールナイトニッポン』とか、カメさんの番組をたくさん聞いて、ポップスの何たるかを身体で教わった。60年代の後半から70年代にかけて。日本でも、当時のラジオは音楽の玉手箱だった。それも洋楽の、ね。70年代に入って、当時かっこつけてテレビに出ることを拒否していたフォーク系シンガーの人気が高まって、そういう連中が“パーソナリティ”とか言われながらラジオ番組をどうでもいいようなトークばっかりで塗り固めてしまうまでは、局アナも含めたDJさんたちが音楽中心の番組をたっぷり放送してくれていたものだ。もちろん、音楽に疎い局アナさんの番組だとしゃべり中心になることもあったけれど、それでも今よりずっとたくさんの音楽が当時のAMラジオから流れていた覚えがある。
個人的には、カメさんが一番で。あとは八木ちゃんとか、糸居五郎さんとかの番組を愛聴していた。八木ちゃんの『ホリデイ・イン・ポップス』とか『パック・イン・ミュージック』も、毎週ほんとに楽しみにしていた。音楽誌もとりあえずは読んでいたけれど、やはり実際に楽曲にじかに接することができるラジオこそ、ぼくのポップスの先生だった。カメさんとか八木ちゃんが選曲した番組を浴びるように聞きつつ、私的な音楽観のようなものが構築されていったというか。好きな音の肌触りみたいなものがだんだんわかってきて。やがて、FENを通してジム・ピューターというとてつもないDJに出くわし、さらにラジオ関東に大滝詠一師匠が登場するに至って、ぼくの道は決定的になった。以降、アメリカン・ロックンロールの世界へとずぶずぶ……。
以前、大滝さんの『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のライナーという光栄な場を与えていただいたときにも書いたことだけれど、自分にとってのロックンロール・ヒーローは誰だろう、と考えたとき、ぼくの脳裏にぱっと浮かぶのは実は彼ら、DJの名前だったりする。この事実をかつてぼくに指摘してくれたのは能地祐子だった。つまり、ぼくのように、この日本という国でロックンロールという外来の文化に魅せられ、ずぶずぶ魅惑の泥沼へと身を沈めていった者にとってのロックンロール・ヒーローってやつは、エルヴィスとかブライアンとか、そういうアーティスト個人個人じゃなくて。ラジオという、マスなようでいて実はとことん個人的なメディアを駆使して数々の名作ロックンロールを届けてくれた彼らなんじゃないか、と。そういうこと。
でも、時代も変わって、今やラジオは別物に。毎日画面に映し出されるカメさんも、もう“カメカメエブリバディ”とか言ってくれないし(笑)。ラジオ、テレビ、音楽、映像といったソフトがインターネット・ビジネスと手を組むという方向性は今後の成り行きとして間違っていないはずだけど。今回のごたごたを眺めている限り、特にこの日本ではまだどっちの側にも明解なヴィジョンがなさそう。どうなることやら。
でも、ラジオ、テレビ、そして映像/音楽……最近ニュース番組に連日登場してくるこれらの分野のフジサンケイ系のトップの発言を聞いていると、インターネットの存在をナメすぎている気がする。海外、特に英米のホテルとかに泊まると、近ごろは無料で提供している音楽のサービスがインターネット・ラジオになっていることが多くてびっくりしたりもする。海外ではインターネット・ラジオをパソコンなしで聞くためのハードとかもけっこう出始めているし。フジの会長も、ポニキャニの社長も、「インターネット? うちだってやってる」みたいな発言をしていたけれど、大丈夫かな。わかってるのかな。この辺の流れの今後の展開までうまく見据えないと、転んじゃうかも。
ぼくもちょっとやってみているインターネット・ラジオの Live365。このシステム使った放送局は大小合わせてすでに何万もあるわけで。もちろん大放送局と比べたら規模はお話しにならないとはいえ、ぼくが試験的にやっているステーションも日本だけじゃなく、英米露仏独加など、いろいろな国からのストリーム記録が残っていたりして。けっこうバカにならないと思いますです。
あ、でも、日本から Live365 の放送をすることをJASRACは違法視しているって現状みたい。またかよ……って感じですが。そういえば、話が飛ぶけど、このところマディ・ウォーターズ全曲集とか、バート・バカラック全曲集とか、ドビー・グレイ全曲集とか、モータウン・シングル全曲集とか、サー・ダグラス・クインテット全曲集とか、とてつもない“全部乗せ”コンピを次々インターネット通販オンリーでリリースして一部マニアの間で熱い話題になっていたHip-O Selectが、ユニヴァーサル・レコードからの圧力で、北米以外への通販をいったん停止することになった。3月15日以降、日本からはもう直接買えないんだって。
(3月19日追記:3月9日付のHip-Oのウェブサイトおよびユーザー宛のEメールで、Hip-Oから前述のような報告がなされたのは事実ですが、実際に15日以降、販売制限されたのは英仏独のみだった模様。ヨーロッパのユニヴァーサルとHip-O Selectとのモメごとだったということでしょう。先のことはわかりませんが、今のところ日本からも買えるという報告メールも何通かいただきました。今朝、サー・ダグラス・クインテットのマーキュリー全録音集がぼくの家にも届きました。調子に乗って新たにスパンキー&アワ・ギャングのコンプリート・マーキュリー録音集も注文してみました。これが届いたらまた報告します。ただ、日本からは買えるんだから問題ないや……と見過ごしてはいけない話題だとも思うので、上記オリジナルの記述はそのままにしておきます)
インターネット通販に関しては先輩格にあたる Rhino Handmade も、モノによっては北米以外のユーザーには売ってくれなかったりするし。まあ、例の忌まわしき輸入権とか、iTunes Store の利用制限とかと同じテイストだね。むかつく。インターネットに代表される新しいノウハウによって一気に拓かれた広大なマーケットを目の当たりにして、でも、とてもそれはまかないきれないから現実から目をそらし、旧世代の論理をごり押しながら、自分たちにまかなえる範囲のマーケットに既存権益を閉じこめようという動き。
文化にとって幸せな時代なのかどうか、全然わからないけど。とにかく、ぼくがAMラジオにテレコつないで、一所懸命エアチェックして、あれこれ妄想していた時代ははるか彼方ってことだけは確か。あ、そういえば、いよいよアナログ・テープを作る会社もなくなっちゃうらしいよ。市販のカセットとかはまだ生き延びるかもしれないけど、レコーディングに使うアナログ・マルチとか、やばいみたい。あわてて買い占めてるスタジオもあるとか。そんな時代なんだから、日本のメディア・シーンも一刻も早く“次なる一歩”に向けてのフォーマット作りをスタートさせてほしいものです。精神的にも物理的にも。
とか言ってますが、ぼくは新しいものより、どっちかというと旧態依然としたもののほうが好きで(笑)。つーか、変わらないものというか。なので、本来ならブレンダン・ベンソンとかジャック・ジョンソンとか、わりとお気に入りの新譜を紹介したほうがいいんだろうけど、もっともっと気に入っているもんで、またまた再発盤、紹介します。破格のブルースマン、エルモア・ジェイムス、1954~55年の音源を集めて1960年にリリースされた1枚。かつて70年代ブルース・ブームのころ、日本でも再発されたことがあって。当時、ずいぶんと聞きまくったものだ。ジャケットも強烈だったし。本当にハマった。狂暴で、タフで、躍動的で、それでいて豊かで、しかも哀しい。ごきげんだ。
この人の初期音源に関しては、同じく英Ace/Kentがコンパイルした別テイク満載のボックス・セットがあって。それを手に入れればこの盤のオリジナル収録曲全部を楽しめるのだけれど。今回の再発盤のほうがリマスターが強力。コジモ・マタッサの手によるダーティかつダイナミックなエルモアのプレイがストレートに楽しめる。ボーナスはそのボックス・セットなどで既発の別テイクや、シングル音源など8曲。その昔、某ブルース喫茶でエルモアのアルバムが流れていたとき、なにかの間違いでその店に紛れ込んでしまったと思われる酔っぱらいのおじさんがガバッと立ち上がって“いつまで同じ曲かけてんだっ!”と怒った……という逸話があって。そういう耳のままだととっつきにくい音楽なのかもしれないけれど。それじゃいけない。一見同じに聞こえるフレーズの中にひそむ表情の違いを関知しないとね。絶対もったいない。そのどす黒いまでにぶっとくディープな歌声とスライド・ギターにはノックアウトされておかなくちゃ、人としていけません。まじです。