Disc Review

Chicago Transit Authority / Chicago (Rhino)

シカゴの軌跡/シカゴ

桑田佳祐の「東京」って、すごいよなぁ。ここ数年の日本のポップスの中でいちばんすごいかもしれない。これがロックなのか、歌謡曲なのか、よくわからないけど。そんなことどうでもよくて。日本の音楽として、とにかくすごい。むちゃくちゃ、来る。かっこいい。日本人でいてよかったと思える瞬間が、またやってきた。

この情緒、この叙情、このブルース、そしてこのロックなエッジ。すべてを無理なく融合して、これほどしみる曲へと昇華させることができるソングライター/パフォーマーは他にいないと思う。日本の誇りだな。企画ものとか、笑いを誘うネタとしてエキセントリックに融合してみせた例は他にもあるかもしれないけれど…。

新ソロ・アルバムも出るんだよね。楽しみだなぁ。そして、この曲が見事チャートの1位に輝いたって事実も心を躍らせる。この桑田のシングルとか、宇多田のアルバムとか、そういう素晴らしい音楽をちゃんと作り続けて、ちゃんと出し続けていれば、レコード会社とかレコード協会とかはコピーコントロールCDとか、そんなくだらない、品性下劣な発想しないですむんじゃないのかね。

まったく。また話は以前もここで取り上げたコピーコントロールCDのことになるけど。業界はひどいよ。あえてこの話題に触れないようにしているとしか思えない。最近、公私取り混ぜて何度か業界の人とこの問題について論議する場を持ったのだけれど。確かに、一部、意識的な人もいる。いることはいる。でも、大方はフヌケ。いちおう「ああ、そうですよね」とか言いながらこちらの反対意見も聞いてはくれるけれど、結局は漠然と“上が決めたことだから”という暗黙のプレッシャーのもと、「まあ、こちらもいろいろありまして…」みたいな感じで、問題の本質から目を逸らしちゃう。

だから、日々CDを買いまくっているぼくのような消費者側の反対意見をいくら主張したところで、「はいはい、そういう意見もあることは承っておりますよ」とか言いながら、こちらの意向など取るに足らないちっぽけなクレームだと無視してどんどんコピーコントロール導入を推進しちゃっている。しかも、方式は相変わらずもっとも危険かつ醜悪なカクタス・デジタル・シールド(CDS)で。その導入によって音楽文化全体に与える歪みに対する検証などまったくなし。危機感もなし。きわめて近視眼的に、CDSこそがこの不況を乗り切るための最前の方法である、という妄言を無根拠に信じ込んで、そーっと、大多数の無邪気な消費者には気づかれないように、全面導入を目論んでいる。

バッカみたい。でも、この横暴に対して従順に従っているリスナーもバッカみたいだ。海外での先例のように、ぼくも訴訟とか起こしたい気分だけど。日本の訴訟って、またずいぶんと事情が違うみたいで。イライラするなぁ。

そういや、最近はヒップホップのグループまでコピーコントロールを導入してるよね。びっくりだ。ヒップホップって自由な文化がどういう土壌から生まれてきたものか、彼らは知らないとでもいうのかな。貸しレコード屋から身を興したエイベックスが率先してコピーコントロールを導入したのと同じ、醜悪な身勝手さを感じるね。

こうなってくると、近い将来、90年代にリリースされたCDを中古市場で探しまくるリスナーが増えたりして。やばいコピーガード/コピーコントロールがデファクト・スタンダードになるような悪夢の日々がやってくると困るから、その前に各社、重要な音源はちゃんとリマスターして全部普通のCDとしてリリースしちゃっておいてほしいです。

てことで、今回のピック・アルバム。シカゴです。これまでも全アルバムCDになって出ていたけれど、今回ライノ・レコードが彼らのすべての音源を引き取ったようで。シングル・ヴァージョン中心の2枚組ベストと、初期3組のオリジナル・アルバムをリマスター再発してくれた。うれしい。これまでのシカゴのCDは、CD時代初期に米コロムビアがテキトーなマスターでCD化したものばかりで。その後、自らのシカゴ・レコードに全音源を引き取ってからも、同じコロムビア・マスターが使われていて。音が細かった。薄かった。

けど、今回ライノのおかげで初期シカゴのすべてがいい音で甦った。うれしい。ぼくが特に好きなのはまだ“シカゴ・トランジット・オーソリティ”と名乗っていたころのデビュー・アルバム。1969年リリース。CDでは1枚だけれど、アナログ時代は2枚組。『シカゴの軌跡』という邦題で出ていた。けっこう鳴物入りで日本にも紹介された大型新人バンドだったわけで。当時中学生だったぼくもガキなりに注目していた。

けど、実は当時はこれ、買えなかった。いきなり2枚組なんだもの。アメリカじゃ1枚ものと変わらない低価格だったらしいが、日本じゃしっかり2枚組価格だったし。そんなわけで、ぼくの個人的な本盤への印象と言うと、71年ごろまでにかけて次々とシングル・ヒットした「クエスチョンズ67/68」とか「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」とか「ビギニングス」あたりの手ざわり。60年代後半のブルー・アイド・ソウルに通じる、どこか浮揚感をたたえたロバート・ラムのメロディを、ジェームス・パンコウのアレンジによるふくよかなホーン・セクションが包むブラス・ポップ・バンドといった感じだ。音楽雑誌などでは、当時FM番組のテーマ曲にもなっていたテリー・キャス作の「イントロダクション」のファンキーなセンスとか、日本独自にシングル・カットもされた「流血の日」などでの政治的メッセージとか、「解散」での熱いインプロヴィゼイションなどが高く評価されていたけれど。時代を経て、振り返って聞いてみると、むしろシングルしか買えなかった貧乏ポップス小僧のいいかげんな第一印象のほうが彼らの本質を射抜いていたような気もする。

のちに鉄壁のアダルト・コンテンポラリー・バンドへと変身したと語られるシカゴだが、その萌芽は確実にこのデビュー盤からあったってことだ。時代が時代だっただけに、ちょっと長尺すぎる曲も多いけれど、ぜひブルー・アイド・ソウル的な視点から再評価したい傑作です。

あ、そういえば、前回の更新のとき触れたタワー・オヴ・パワーのロッコですが。重病だし、長引くかなと心配していたものの。早くも臓器提供者が現われ、早期の手術が実現したとのこと。よかった。みんなの思いが通じたのかな。一日も早い回復を祈りましょう。

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