Perennial Favorites / Squirrel Nut Zippers (Mammoth)
フル・アルバムとしては3作目。オールド・タイム・ジャズ、グッド・タイム・ミュージック、カリプソ、カントリーなど、古きよき音楽にパンク世代の視点から挑むスクォーレル・ナット・ジッパーズの持ち味全開の新作だ。
全曲、メンバーのジム・マサスあるいはトム・マックスウェルのオリジナル。しかし、古っぽいムードは過去どのアルバムよりも無理なく、本格派。いい曲も多い。演奏もさらにドライヴ感豊かになって。バンドとして力を増した感じ。サックス担当のケン・モシャーの家でレコーディングされたとかで、まさに目の前で演奏が展開しているような、どかーんとした音色もごきげんだ。
バンドとしてのまとまりがよくなったぶん、ヘタするとこぢんまりしちゃいそうなところだが、音像からは一層の混沌と屈折が漂ってくるのだから。底力ありそう。近頃、オールド・スウィング・グルーヴを見直した若手バンド群がLA周辺からたくさん出てきて話題を集めているけれど、その先駆けとしての貫禄みたいなものまで感じられる。
Spyboy / Emmylou Harris (Eminent)
新作が出たことを能地に教えてもらった。やはりシンガー・ソングライターとして活動するバディ・ミラーを含むバンド、スパイボーイとしての新作ライヴだ。表記は“エミルー・ハリス/スパイボーイ”ってなってるから、まあ、“スティーヴン・スティルス/マナサス”と同じノリか。個人としてのアイデンティティとバンドとしてのそれが並列になっているわけだ。
なんでも“スパイボーイ”というのは、マルディ・グラ用語で“パレードと反対方向に進む人”のことを指すらしい。というわけで、エミルーさん、大スターなはずなのに、全然メジャーじゃないレコード会社からのリリース。エミルーとバディのほかのバンド・メンバーは、なんと黒人2人。まさにスパイボーイなわけだ。彼女の気合いが伝わってくる。
内容はごきげん。エミルーのソロからの曲とか、グラム・パーソンズとともに活動していた時期のレパートリーなどを交えながら、手応えたっぷりの歌と演奏を聞かせる。グラムとのデュエットで有名なロイ・オービソン・ナンバー「ラヴ・ハーツ」のここでのヴァージョンも、かなりいい緊張感が漂っていて、泣けます。カントリーとロックの狭間で模索するエミルーさんは、ほんと、かっこいいです。
XO / Elliott Smith (Dreamworks)
for What's In? Magazine, Aug. 1998
たぶん大方の人と同じだと思うけれど、ぼくがエリオット・スミスの名前を強く意識するようになったのは97年にキル・ロック・スターズ・レーベルから出たサード・アルバム『イーザー/オア』で。その後、彼が映画『グッド・ウィル・ハンティング』のサントラに提供した6曲に接して、完璧にやられた。エリオットの淡々とした音楽が映画の個性を見事に決定づけていたと思う。チープといえばチープな音像ながら、どこか泰然/超然としたたたずまい。鋭く、神経質な味と、やけにロマンチックで切ない味とが絶妙に交錯する、青々とした彼の歌世界は、いったんハマるとやめられなくなる。ポスト・グランジ世代のシンガー・ソングライターならではのアコースティカル・ワールドといった感じか。
そんなエリオットが、4枚目のアルバムにしてついにドリームワークス・レーベルからメジャー・デビュー。これまでの宅録ふうの世界から一転して、きっちりレコーディング・スタジオで制作された意欲作だ。とはいえ、宅録マジックってのもあるから。実際に耳にするまで心配だったのだけれど。問題なし。彼ならではのパーソナルな世界観はまったく損なわれていない。曲によってはストリングスを交えたり、ベックんちのドラマー、ジョーイ・ワロンカーをゲストに迎えたりしながら、ときにポップに、ときにソリッドに、スケールアップした音像を聞かせているが、全編を貫く個的で、かつ諦観ただよう、切ないまなざしはまさしく不変のエリオット・スミス。10とか11とか、むちゃくちゃ胸をかきむしる名曲だと思う。日本盤のみ先述した映画からの15をボーナス収録。
The Black Light / Calexico (Quarterstick)
以前、ここで取り上げたユニットの新作。
少し外側に向かった音作りになっているような気がする。前作同様宅録されているのは3曲のみ。それ以外はとりあえずちゃんとしたスタジオでのレコーディングらしく、そうした手触りの違いが大きいのだろう。
といっても、内容は基本的にはそのまま。相変わらずやばいエキゾチシズムをたたえた内省的なトワンギー・サウンドが心をかきむしる。南部に渦巻く様々なやばい音楽性を、独自の乾いたセンスで混合して作り上げた1枚。なんだか一度聞いたら忘れられなくなるオルタナ・テックス・メックスの佳盤です。
Since / Richard Buckner (MCA)
アメリカではそのスジで非常に高く評価されているサンフランシスコ系シンガー・ソングライターの新作。これはたぶん3作目か。各紙、ほぼ絶賛状態。たぶん、苦悩とか、痛みとか、切実な思いとか、望みとか、救いとか、そういう様々な心の様子をありのまま、しかし詩的に描く彼の歌の世界への高い評価なのだろうと思う。英語がよくわからないと、実はけっこうきつい世界かな。
フォーク、カントリーを基調にした、真っ向からのアメリカン・シンガー・ソングライター現在形ではあるけれど、サウンド指向全開で接すると泣きをみそう。過去の2枚に比べると今回のがいちばんワイルドな手触りもあるので、はじめてバックナー体験するには絶好の1枚かも。ジョン・マッケンタイア、エリック・ヘイウッド、デイヴ・シュラムなどに加えて、シド・ストローの名前も見えるバック・ミュージシャンの顔ぶれも興味深い。
でも、やっぱりいちばんの魅力は歌詞、というか、歌われている内容なんだろうなぁ。つーわけで、ぼくも歌詞カードに首っぴきで聞いてます。でも、淡い茶色の紙に白い文字なもんで、読みにくくて(笑)。
White Chocolate Space Egg / Liz Phair (Matador/Capitol)
いちおう上のタイトル、分けて書いたけど。ほんとは“Whitechocolatespaceegg”って、ずるっと綴られている。4年ぶりの新作。ええとこのお嬢様のインディーズ・ロックってイメージはこれまでとあまり変わらないけれど、かわいい顔してファック系の汚い言葉を連発するなど、けっこう激しかったデビュー盤『Exile In Guyville』と、歌詞は相変わらずながら音のほうをポップに軌道修正してそれなりに話題にもなった『Whip-Smart』の中間くらいの位置を狙った仕上がりか。
そのぶん、曲によってポップだったり、激しかったり。4年のブランクの間に結婚してお母さんにもなって。度量もでかくなったってことかな。歌詞もあんまり汚くなくなった。アコースティカルな曲も多い。
でも、前2枚に漂っていたキッチュな感じというか、チープな感じってのはすっかり消え失せてしまったから。彼女のそういうとこが好きだった人には向かない新作。スコット・リットがプロデュースした5曲が、彼女の、屈折したシンガー・ソングライターぶりをうまく浮き彫りにしていて特に面白い。「ファンタサイズ」って曲はマイケル・スタイプを除くREMの面々(ビル・ベリーもいる)がバックアップ。
Rhythm And Country / Elvis Presley (RCA)
マニア向けのエッセンシャル・エルヴィス・シリーズ、第5弾。1973年の7月と12月に行われたメンフィスはスタックス・スタジオでのセッションから、別ヴァージョンをどかっと集めた1枚だ。
7月のセッションは、レジー・ヤング、トミー・コグビル、アル・ジャクソン、ダック・ダン、ジェリー・キャリガン、ボビー・ウッド、ボビー・エモンズなどをバックに従えたものだったけれど、エルヴィスの調子がひどく悪くて、今いちの出来。12月のほうはその失敗を繰り返さないために、ジェームス・バートンを筆頭に、ノーバート・パトナム、デイヴィッド・ブリッグス、ロニー・タットら、通常のスタジオ・バンドおよびライヴ・バンドの面々をバックに据えた、まあ、それじゃなんでまたスタックス・スタジオまで行ったの? と言いたくなるような仕上がり。
というわけで、熱心なファン以外には特におすすめしないけれど。熱心なファンにはいろいろと興味深い局面もあります。
The Miseducation Of Lauryn Hill / Lauryn Hill (Ruffhouse/Columbia)
売れまくってるねぇ。東急線の車両のドアにもこのアルバムのCMがばりばり貼りまくられてるそうじゃないですか。かわいいしなぁ。歌もうまいし。マライア・キャリー失墜後の新クイーンでしょう。来日もするそうで。盛り上がるだろうね。
よくできたアルバムだと思う。ただ、ぼくの個人的な印象では、このコ、どうしてもウーピーと一緒に出てたあの映画のイメージが強くて。女優さんって感じ。今回のアルバムでも、曲によって、ゲットー・チャイルドになったり、恋人になったり、母親になったり、いろいろな役柄を見事に演じきっていて。それを彼女の表現力として絶賛するか、なんとも作り物っぽいなと解釈するか。
今、この瞬間、もっともノってるスーパー・ポップ・スターととらえるのがいちばんかな。カルロス・サンタナの客演は面白かった。ディアンジェロやメアリー・J・ブライジも適材適所のゲスト参加。
Da Game Is To Be Sold, Not To Be Told / Snoop Dogg (No Limit)
for Music Magazine, Sep. 1998
デス・ロウからノー・リミットに移籍し、ミドル・ネームの“ドギー”を捨てての第一弾。全米チャートではいきなり2週連続1位に輝き、混迷のヒップホップ・シーンにがつんと活を入れるコアな一発になるかと期待させてくれた新作なのだけれど。
でも、これは今いち。がつんと来なかった。ノー・リミットならではのサザン・グルーヴとデス・ロウ仕込みの西海岸サウンドがスヌープを介して見事に合体…とかなればよかったんだろうけど、スヌープにもはやそれだけのオーラがないようだ。Cマーダー、シルク・ザ・ショッカー、フィーンド、ミスティカル、そしてエグゼクティヴ・プロデューサーもつとめるマスター・Pなど、同レーベルの精鋭がこぞってバックアップしているものの、なんだかそのぶんスヌープの影が薄い。精彩を欠いている。
かつての名パートナー、ドクター・ドレと別れたあとでリリースされた前作『ドッグファーザー』は、適材適所って感じでゲストを招き、相変わらずの70年代ファンクおたくぶりを発揮した仕上がり。あのアルバムにはそれなりにその後の新たな可能性が散見できた。少なくともそんな気がした。トゥー・ショートと絡んだ「ユー・ソート」とか、パーラメントっぽいオケがごきげんな「スヌープ・バウンス」とかに盛り上がった覚えがある。ギャングスタ味も後退し、どちらかというとラヴ&セックスのほうに主題が移っていた。この変化も悪くないと思った。でも、あれはその後の可能性ではなく、それまでの残り香だったってことか。つまりはドレの名残。今回の新作を聞いて、やっぱりぼくはドレ抜きのスヌープには何の魅力も感じないんだなぁと再認識した。もちろん今ドレとスヌープが組んだからといって、かつての『ドギースタイル』のような名作が作れるかどうかはわからない。でも、それを待望してしまうくらい、この新作にはスキが多い。文字通り「ジン・アンド・ジュース」の続編4とか、「ナッシング・バット・ア・G・サング」を下敷きにした10とか、往年のGファンク路線への目配りもある。けど、仕上がりはパッとしない。結局スヌープ自身が迷っているってことか。だからゲストを招けばそっちに負ける。
とはいえ、かつてスリック・リックやビズ・マーキーの作品をごきげんにアダプトしてみせたスヌープが、またまたそのやり口でブギー・ダウン・プロダクションの「ラヴズ・ゴナ・ゲット・ヤ」を料理した19の歌詞の替え方とか、本盤中唯一スヌープ自身がプロデュースした短い17のグルーヴとかにはぐっとくるものもあって。次への期待も捨てきれない。ホントに情けないのは、昔の味を今なお追い求めるぼくのほうなのか?