
ネブラスカ’82/ブルース・スプリングスティーン
ブルース・スプリングスティーンが1982年に発表した『ネブラスカ』ってアルバムは、前作の『ザ・リバー』の過剰なまでに痛快な手触りから一転、ティアックの4チャンネル・マルチ・カセットを使って、当時としてはまだ珍しかった宅録によるロー・ファイな弾き語り基調の1枚で。
思いきり個人的な思い出話ではありますが。1982年というと、ぼくが翻訳出版をメインにしていた某出版社を辞めて今のような仕事へと転じたばかりのころ。そんな時期だったこともあり、アルバム全体に漂う、思いきりダークな、ノワールな、アメリカの暗部を描いたクライム小説やゴシック小説をも想起させる感触に驚かされたものだ。
シャーリイ・ジャクスンとかレイモンド・カーヴァーとかとか、あとスプリングスティーンも本作を作るにあたって大いに意識したというフラナリー・オコナーとか、そういった作家たちにも通じる、どこかダウナーな、でも絶対に目をそらすことができない、あの匂い。ちょっと後に登場した人で言えばジョージ・ソーンダーズあたりに通じる眼差しもあるかも。最初はよくわからなかったけれど、聞き続けるうちにじわじわやられていったっけ。
そんな、ある意味スプリングスティーンにとって最大の異色作でもあった『ネブラスカ』の真価を再検証するためのエクスパンデッド・エディションが本作『ネブラスカ’82』だ。CD4枚+ブルーレイで構成されたハードカヴァー・ブックレット型のセットで。
CD1が未発表ホーム・デモなどアウトテイクを集めた“ネブラスカ・アウトテイクス”。CD2がEストリート・バンドの面々とともに『ネブラスカ』収録曲群をバンド演奏した幻の“エレクトリック・ネブラスカ”。CD3とブルーレイが、今年ニュージャージーのカウント・ベイシー・シアターに観客を入れずに行われた『ネブラスカ』全曲演奏ライヴの模様。そしてCD4が最新リマスタリングをほどこされた『ネブラスカ』本体。
アルバム誕生前夜の混沌と可能性をCD1と2に詰め込み、作品の40年後の成熟と再解釈をCD3とブルーレイが提示。その流れを受けて、最新リマスターをほどこされたオリジナル・アルバムへと行き着く。ちょっと面白い構成だけれど、プレス・リリースによると本作は“82年の『ネブラスカ』物語を音楽で紡ぐドキュメント作品”だそうで。なるほど、アルバム完成へと至るまでの創作過程がどうだったのか、そしてその完成版が世紀を超えて今どのように生き続けているのか、過去と未来をまず提示することで、改めてオリジナル『ネブラスカ』そのものの在り方を包括的に再評価しようとする試みだ、と。
そのあたりのことはレコード・コレクターズ誌の11月号にちょっとだけ詳しめに寄稿させてもらったので、興味のある方はぜひそちらもご参照ください。
11月に入ると日本でもいよいよ公開されるスコット・クーパー監督の映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ(Deliver Me from Nowhere)』の試写を先日見せていただいたのだけれど。この映画もまた『ネブラスカ』の時期に焦点を絞った1本で。ブライアン・ウィルソンなども二重映しになる父親との確執とトラウマに深く踏み込んだ、真摯な力作。『ネブラスカ』の背後に漂う独特のやばい空気感に、スプリングスティーンはいったい何を託そうとしていたのか。その謎が、本ボックスとも互いに絡み合いながら、すさまじい臨場感とともにぼくたちの眼前で、ほんの少しだけ解き明かされるような…。
40年経ってもなお現在進行形の孤独の物語。時代の深部に潜む闇は時を経ても変わらない。いや、現状、さらにひどいことになってきているのかも。今、目の前にティアックの4トラック・カセットがあったら、スプリングスティーンはきっとRECボタンを押すんだろうな。


