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So Sad to Watch a Sweet Thing Die… RIP, Brian

ありがとう、ブライアン

ブライアン・ウィルソン他界の報せから数日経って。

なんか、相変わらずぼーっとしたまま。もちろん日々の仕事とか、雑務とか、やらなきゃいけないことはたくさんあるので、ごくごく普通に暮らしてはおりますが(笑)。世界でいちばん好きなアーティストがいなくなっちゃったという現実は、まあ、きわめて個人的な趣味の領域の思いとはいえ、生きていくうえでの基本軸を失っちゃったような気分というか。

淋しいなぁ。

ノージくんに教えてもらってブライアン・ウィルソン・バンドの要、ダリアン・サハナジャが『ヴァラエティ』誌に寄せた追悼文を読んだのだけれど。ほんと、泣けました。ぼくがビーチ・ボーイズを大好きになった1969年ごろから、1970年代、1980年代…。ほんとビーチ・ボーイズ人気は日本でも“底”で。一緒に分かち合える音楽仲間はほとんどいなかったのだけれど。そんな中で、ダリアンが言うように、音楽への愛を信じ続けることの大切さも学んだような…。ダリアンの文章、一部、軽く抜粋しておくと——

プリティーンだったころ、ぼくは70年代半ばの“クール”とみなされていた、よりヘヴィーなFMロックよりもビーチ・ボーイズの音楽が好きだったことで、いわゆる友達から嘲笑され、さらには身体的ないじめさえ受けました。でも、その程度の仲間からの圧力でも、ぼくの意見を変えることはできませんでした。ビーチ・ボーイズの音楽がぼくにとってどれほど素晴らしいものだったかの証です。中学校に入るころには批判に対処する能力も格段に高まり、自分が好きなものと嫌いなものをしっかりと理解できるようになっていました。そのことでもブライアンに感謝したかったです。

ダリアン同様、ぼくも感謝しかありません。ぼくもいくつか追悼原稿など、ご依頼いただいているので、少々時を置いて、いろいろ思いを綴らせていただくことになるとは思いますが、ぼくのブライアンに対する思いとかビーチ・ボーイズへの思いとかは、これまで出版してきた『ザ・ビーチ・ボーイズ・ディスク・ガイド』とか『50年目の「スマイル」〜ぼくはビーチ・ボーイズが大好き』とか、そのあたりの本で、ありがたいことにこれでもかと書き連ねさせてもらってきました。そういうものを介して、ブライアンやビーチ・ボーイズが大好きなみなさんと気持ちを分かち合えたらうれしいです。

数日前、その『50年目の…』のほうをちらちら見返していたら、ぼくが最初にブライアンのお宅にうかがったときのエピソードが記してあって。なんだか懐かしかったのでこちらでも引用しておきますね。

 世界中には多くのブライアン・ウィルソン・フリークがいるとは思う。が、こればかりはどんなに好きでもなかなか生で拝めるもんじゃない。でも、ぼくは見たのだ。この目で。生で。たまたまではあるものの、とにかく見た。拝んだ。目の当たりにした。ブライアンのバスローブ姿を。これは自慢だ。

 ロサンゼルス西部、ビヴァリー・ヒルズにある、厳重なセキュリティにガードされた高級エステート。シャキール・オニールの家のはす向かいに位置していた当時のブライアン・ウィルソン宅を訪れたときのことだ。99年5月13日。その年の7月に予定されていた来日公演のプロモーション用インタビューに出向いたぼくは、まだ約束の時間に少し早すぎたため、同行したスタッフともどもブライアン宅の外で待機していた。

 ふと、視線を感じた。誰かの視線。あたりを見渡してみると、ブライアン宅の玄関のドアがちょっとだけ開いていた。誰かがこちらを覗いている。怖い目つきで凝視している。やがて、その視線の主がドアを開け、表に出てきた。ブライアンだ。バスローブ姿で。しかも裸足で。

 「妻が車で帰ってくる。君たちの車をもう少し脇に寄せておいてくれ」

 そう言い残し、彼はまた家の中へ戻っていった。

 うわ、本物だよ……!

 妙に屈折した感動が胸をよぎった。熱心なファンにしか伝わらないとは思うけれど、ぼくは本当に感動してしまったのだ。かつて60年代後半、詳しくは後述するけれど、いろいろあってすっかり精神的にやられてしまったブライアンは、一日のほとんどの時間を何もせずベッドで過ごしていた。パジャマにガウンを羽織うか、あるいはバスローブ姿で。当時の自宅の2階のベッドルームにこもり、自分では何もしようとせず、しかし時折1階のスタジオでビーチ・ボーイズの他のメンバーがレコーディングを進めているとき、突発的に音楽への情熱を取り戻したのか、パジャマかバスローブ姿のままスタジオに駆け込んでくる、そんな日々。伝説のバスローブ時代。ベッドルーム・デイズ。

 もちろん、それから長い歳月をかけてブライアンは健康な肉体と精神を徐々に取り戻していった。ぼくがブライアン宅を訪れた年の前年、98年には最新ソロ・アルバム『イマジネーション』も完成させていた。その新作を引っさげてソロによる初のコンサート・ツアーまですでにスタートさせていたのだから。超元気。当然、そのころはもう一日のほとんどをバスローブ姿で過ごすなんてことはなかったはずだ。日本からの取材陣の到着を前に、身だしなみのためシャワーでも浴びていただけだったのだろう。まじに、たまたま、だ。たまたまだったに違いない。でも、そうは言っても、本物のブライアンがバスローブに身を包んでいきなり目の前に現われたのだから。きわめて身勝手な感慨だとは知りつつも、長年のファンとしてはどうしようもなく胸が揺れた。情けなくも。

今日はまだニュー・リリース紹介はお休みして。ブライアンのベッドルーム・デイズを思い起こさせてくれる名曲のひとつ、「ビジー・ドゥーイン・ナッシン」のURLを貼っておきますね。

ほんと、ぼーっとするばかりの毎日ですが。そうも言っていられないので、こうやって軽くブライアンのこと振り返らせてもらって。これを区切りに、また本ブログも通常ペースに戻そうかな、と。そんな感じではあります。

たくさんの感動をありがとう、ブライアン。どうぞ安らかに。

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