クロエ・アンド・ザ・ネクスト20thセンチュリー/ファーザー・ジョン・ミスティ
この人の音楽のことを“実存主義的なチェンバー・ポップ”と表現した記事があって。うまいこと言うな、と思ったことがあったっけ。間違いなく現代最高のシンガー・ソングライターのひとり、ジョシュ・ティルマンがファーザー・ジョン・ミスティ名義でリリースする新作、4年ぶりの『クロエ・アンド・ザ・ネクスト20thセンチュリー』が出ましたー。
フリート・フォクシーズを脱けてファーザー・ジョン・ミスティ名義による初アルバム『フィア・ファン』を出したのが2012年4月。セカンド『アイ・ラヴ・ユー、ハニーベア』が2015年2月。サード『ピュア・コメディ』が2017年4月。で、前作『ゴッズ・フェイヴァリット・カスタマー』が、あの来日ツアー直後の2018年6月。
てことは、4年弱という今回のブランク、ちょっと長い気もしなくはないけれど。実際のレコーディングは2020年8月から12月にかけてだったらしく。ロックダウンとかもろもろがなければ、去年リリースされていてもおかしくない1枚だったわけで。そういう意味では、まあ、こんなもんなのかな。
今回の収録曲のうち、セカンド・アルバムのタイトル・チューンを思いきり幻想的かつジャジーな方向にシフトさせたような「キス・ミー(アイ・ラヴ・ユー)」と、気怠さと憂鬱とがスウィンギーに交錯する「ウィー・クッド・ビー・ストレンジャーズ」、切なく胸締めつける「バディーズ・ランデヴー」、そしてアヴァンギャルドなギターや浮遊感あふれるストリングスなどを導入しつつアルバムのラストをちょっと不気味に締めくくる「ザ・ネクスト20thセンチュリー」の4曲を携えて、2020年8月にまずスタジオ入り。そのセッションを通じてアルバムの全体像をつかんだティルマンは、これはいけると確信し、残りの曲を書いて10月にセッションを再開。完成へと至ったのだとか。
まだあまり歌詞のこと味わいきれていないのだけれど、今回は曲ごとに短編小説を読んでいるかのような、とても興味を惹かれる主人公が描かれているようで。そのあたり、ひとりの語り手の赤裸々な思いみたいなものを感じさせたこれまでの諸作とは違う気はするものの、全体的なサウンド/アレンジに関しては過去一、統一感に貫かれているかも。
今回もジョナサン・ウィルソンとの共同プロデュース。ドリュー・エリクソンがストリングス・カルテットや、木管の柔らかい響きを盛り込んだホーン・セクションを駆使しつつ、ジャズ・エイジ以来の伝統的アンサンブルをきっちり継承したアレンジを提供して。往年のハリー・ニルソンとか、ランディ・ニューマンとか、ニック・デカロとか、近年のボブ・ディランとか、そういう先達のアルバムを想起させるロック世代目線のノスタルジックでふくよかなアンサンブルを聞かせてくれる。最高だ。
そうしたグレート・アメリカン・ソングブック系トーチ・ソング的なナンバーに加えて、ニルソンの「うわさの男(Everybody’s Talkin’)」っぽい「グッドバイ・ミスター・ブルー」とか、フォーク・ロックっぽい「Q4」とか、ボッサ風味の「オルヴィダード」とかが挟まって。
とはいえ、そんなふうに魅惑のサウンドやキュートな旋律に心地よく身をまかせてばかりいると、最後の2曲ほどでいきなりぐっとダウナーに展開。油断ならない。特に先述したラス曲「ザ・ネクスト20thセンチュリー」の、こう、穏やかさとヤバさの不安定な交錯具合が、聞く者の気分を最終的に重く憂鬱に誘うもんで。この辺、やっぱファーザー・ジョン・ミスティならではだなぁ、というか。
思えば、軽やかにスウィングするオープニング・チューン「クロエ」とかも、ユーミンの「12階のこいびと」みたいに最後、主人公はバルコニーから身を投じっちゃたりしているわけで。アルバム・タイトル自体、このオープニングとエンディングの2曲を合わせたものだし。そういうアルバムなのだろう。どの曲にも様々な形の“終わりの予感”みたいなものが漂っている。
でも、「ザ・20th・センチュリー」の最後、ティルマンは“君はどうだかわからないけど/ぼくはラヴ・ソングを選びとるよ/もしこの世紀が続くなら/ラヴ・ソングとそれらが生き抜いてきた長い歳月を…”と歌っていて。『ピュア・コメディ』で展開していたテーマにも共通する感触もあるけれど。つまり、本作はこういう時代にファーザー・ジョン・ミスティがぼくたちに届けてくれた、こういう時代ならではのラヴ・ソング〜トーチ・ソング集だ、と。
そんなことも含めて、しびれるわけです。