追悼:ジョージ“コマンダー・コディ”フレイン
コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンの中心人物としておなじみ、ヒッピー世代のブギ・ウギ/ホンキー・トンク・ピアニスト、“コマンダー・コディ”ことジョージ・フレインの訃報が届いた。癌に冒されここ数年闘病中だという噂は耳にしていたけれど、去る2021年9月26日、長い闘いを終えニューヨーク州サラトガ・スプリングスの自宅で亡くなったそうだ。享年77。奥さんのスー・カサノヴァがFacebookを通じてファンに伝えた。またひとり、1970年代のロック・シーンをマニアックに盛り上げてくれたカルト・ヒーローが旅立っていった。
ぼくがコマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンという奇妙な名前のバンドのアルバムに出くわしたのは、とある輸入レコードのバーゲン会場でだった。かつて、1970年代の半ばごろにはよく輸入レコードのバーゲンが行なわれていた。まだ“ニュー”が誌名に付いていたころの『ニューミュージック・マガジン』の広告ページを毎月隅から隅までチェックして、どの輸入盤店でいつバーゲンがあるかチェック。少しでも安く、できるだけたくさん、未知のレコードに出会いたいと意気込みつつ“決戦”に臨んだものだ。
休日には、新宿の高層ビルとかの催事場のようなところでもちょいちょいバーゲンがあった。オープン前に特設会場へと駆けつけ、列に並んで待って、オープンと同時に場内に飛び込みエサ箱にへばりついたっけ。懐かしい。と、そういう休日のバーゲンで出会った本当にたくさんのアルバムのうちのひとつが、コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンが1975年にリリースした『テイルズ・フロム・ジ・オゾン』という盤だった。
バンド名だけは、おぼろげに知っていた。1972年に「ホット・ロッド・リンカーン」なる往年のノヴェルティ・ソングをカヴァーして全米トップ10ヒットさせた連中。でも、レコードを買ったことはなかった。が、この『ロフト・イン・オゾン』というアルバム、ジャケット裏のクレジットを眺めてみたら、スリー・ドッグ・ナイトの「喜びの世界(Joy to the World)」とか「ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン」とか、ステッペンウルフの「ザ・プッシャー」とかを書いたことでも知られるシンガー・ソングライター、ホイト・アクストンがプロデュースを手がけていて。
曲目リストを見たら、キャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチェ」とか、ビリー・ジョー・シェイヴァーの「アイ・ビーン・トゥ・ジョージア・オン・ア・ファスト・トレイン」とか、コースターズの「ザ・シャドウ・ノウズ」とか、ずいぶんと多彩なカヴァーが入っていて。ジャイヴものからカントリー、ノヴェルティR&Bまで。なんだかアナーキーな振れ幅に思いきり興味を引かれた。メンバーがずらり居並んだ、なんともチープで、いかがわしくて、でもどこか不敵なアルバム・ジャケットもやばかった。
で、買って帰って。聞いて。すっかり楽しくなって。他にどんなアルバムが出ているのかシュワンのカタログで調べて。ちょっとずつちょっとずつ、それ以前のアルバムも買い揃えていって。どんどんとハマっていった。
前述「ホット・ロッド・リンカーン」をはじめ、リトル・フィートの初期ナンバーとか、テックス・ウィリアムスのウェスタン・スウィングとか、アンドリュー・シスターズのスウィンギーなコーラスものとか、リトル・リチャードのロックンロールとか、バディ・ホリーのレアものとか、エルヴィス・プレスリーも晩年ちょいちょい取り上げていたジェリー・チェスナット作品とか、やはりカヴァーの雑多さがごきげんで。しかも、メンバーたちのオリジナル曲のほうもなんだか妙にヒネていて面白く。ヒッピー・ジェネレーションならではの、マリファナ感むんむん、なんともドラッギーな感触がたまらなかった。
フレインがミシガン州アナーバーでコマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンを結成したのは1967年のこと。やがて本拠をカリフォルニア州バークリーに移し本格的に活動を開始。フレイン(ピアノ)、ビル“ディーゼル・ビリー”カーチェン(ギター、トロンボーン)、スティーヴ“ウェスト・ヴァージニア・クリーパー”デイヴィス(ペダル・スティール・ギター)、ジョン・ティッチー(ギター、ヴォーカル)、アンディ・スタイン(フィドル、サックス)、ランス・ディッカーソン(ドラムス)、“バッファロー・ブルース”バーロウ(ベース)、ビリー・C・ファーロー(ヴォーカル、ハーモニカ)という顔ぶれで、ホンキー・トンク・カントリー、ウェスタン・スウィング、ロカビリー、ブギ・ウギ、ジャンプ・ブルース、R&Bなど雑多な音楽性を乱雑に取り混ぜつつ演奏しまくり、ライヴ・サーキットを中心にカルトな人気を博した。
以降、ちょいちょいメンバーチェンジしたり、コマンダー・コディのソロ名義になってみたり、ザ・コマンダー・コディ・バンドとか、コマンダー・コディ&ヒズ・モダン・デイ・エアメンとか、コマンダー・コディ&ヒズ・ウェスタン・エアメンとか、別バンド名義を駆使したり、あれやこれや曲折を経つつも、この人たちにしか出せないやばい味わいのルーツ・ミュージックを21世紀に至るまでひょうひょうと繰り出し続けた。
今にしてみれば、当時まだそんな呼び名もなかった“オルタナティヴ・カントリー”あるいは“アメリカーナ”というコンセプトをいち早くシーンで体現していたのが彼ら、コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンだったんじゃないかと、今さらながらに思う。
コディ司令官の旅立ちだ。ドラッギーな躍動とアナーキーな夢を本当にありがとう。どうぞ安らかに…。