ザ・デルタ・スウィーティ(デラックス・エディション)/ボビー・ジェントリー
その昔、1970年前後にキャピトル・レコード系の再発LPをアメリカ盤で買うと、いわゆる“アブリッジド・ヴァージョン”、つまり収録曲の一部が省かれた簡略版だったりすることがあった。けっこう多かった。ビーチ・ボーイズなんかもそうだった。ベンチャーズもそう。フォー・フレッシュメンもそうだったな。なんでそんなことしていたのか、レコード会社の狙いはさっぱりわからない。廉価盤だし少しくらい曲を減らしてやれ、みたいな単純なことだったのかもしれないけれど。それでも何も聞けないよりはまし。安いんだから仕方ない、と諦めて、2曲くらい少ない収録曲で納得しながら楽しんでいたものだ。
このアルバムもそうだった。ボビー・ジェントリーのセカンド・アルバム。1967年に大ヒットした「ビリー・ジョーの唄(Ode to Billy Joe)」をフィーチャーしたデビュー盤の次。勢いに乗って1968年初頭にリリースされた1枚だ。とはいえ、出たころぼくはまだ中学生くらいで。LPなんかなかなか買えなかったから。実際に手に入れたのは1970年代半ば。どこかの輸入盤バーゲン・セールでカット盤を手に入れた。高田馬場ビッグボックス前のバーゲン・コーナーだったかな…。
アルバム・タイトルは『タバコ・ロード』。発売年クレジットは1971年。でも、当時の限られた情報ソースをひっくり返しつついろいろ調べてみたら、これは1968年に出た『デルタ・スウィーティ』というアルバムから2曲カットしたうえ、曲順をちょこっといじり、ジャケットを変更して再発された廉価再発アブリッジドLPだということが判明。むちゃくちゃアーシーで、ブルージーで、スワンピーで、フォーキーで、でもファンキーで、まじかっこいいアルバムだっただけに、まあ、前述した通り、仕方ないと納得しつつも、全貌をつかめずに聞いている感じがなんとももどかしかった覚えがある。
「ビリー・ジョーの唄」はもちろん、ぼくは1970年に全英1位に輝いたこの人のヴァージョンによる「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」が大好きで。シングルは何枚か持っていたのだけれど、なかなかアルバムを手にする機会がないまま1970年代半ばに突入してしまい。でも、輸入盤屋さんとかには当時、「ビリー・ジョー唄」が入っているファーストも、「恋よさようなら」が入っているサード・アルバムもなくて、たまたま出くわしたのがこのセカンド・アルバムの廉価アブリッジドLPだった、と。そういう、ちょっとだけ残念な、少しズレてる感じの出会いではありました。
ただ、ビーチ・ボーイズとかの場合もそうだったのだけれど、キャピトルのこの手の旧譜系の場合、イギリスではオリジナルの形のまま出ていることも少なくない。てことで、それを探してみたら、見つけましたよ。オリジナルの形ではなかったものの、mfpレーベルから出ていた、これまた『ウェイ・ダウン・サウス』って別タイトル/別ジャケットでの再発。収録曲はオリジナルのまま。なので、それを買い直して。ようやく原型をまっすぐ味わえるようになった。それが1977〜78年くらいだったかな。個人史で言うと大学時代の終わりごろ。
けど、今にして思えば、このアルバムがぼくにとっての初ボビー・ジェントリー・アルバムだったのは結果オーライというか。隠れた意欲作にいきなり出会うことができてラッキーだったというか。そんな感じではあります。
ボビーさんは1944年、ミシシッピ生まれ。13歳のころカリフォルニアに移り住み、そのころからピアノ、バンジョー、ギター、ベース、ヴィブラフォンなどをマスター。やがてハイスクールに通うころには地元のカントリー・クラブに出演するようになった。その後もカレッジの学費を払うためにナイト・クラブで歌ったり、ラスベガスでダンサーをしたり。
やがて1967年、キャピトルと契約が成立し、デビュー・シングルとして「ビリー・ジョーの唄」をリリース。南部カントリーふうのスワンプかつファンキーな感覚もたたえたルーズなビートと、しゃがれたボビー・ジェントリーの歌声が見事にマッチし、大ヒット。全米ポップ・チャートで4週1位に輝いたほか、カントリー・チャートでも最高17位まで上昇した。その曲を含むデビュー・アルバムも全米1位に。その特大ヒットを受け、続編的な1枚を希望していたレコード会社の方針に逆らって、ボビーさんが自分のやりたい音楽的方向性を大胆に打ち出して制作したのが本セカンド・アルバム『ザ・デルタ・スウィーティ』だった。
ボビーさんのミシシッピ・デルタ・ルーツに深く根ざしたコンセプト・アルバムという感じで。シングル・カットされて小ヒットした「オコロナ・リヴァー・ボトム・バンド」や名曲「モーニン・グローリー」を含む8曲が自作。やはりシングルになったものの全米100位どまりに終わったダグ・カーショウの「ルイジアナ・マン」をはじめ、ジミー・リードの「ビッグ・ボス・マン」、モーズ・アリソンの「パーチマン・ファーム」、ザ・ナッシュヴィル・ティーンズの「タバコ・ロード」の4曲がカヴァー。
それらの曲を独特の南部訛りをたたえたハスキー・ヴォイスで歌い綴るだけでなく、ピアノ、ギター、バンジョー、ベース、ヴァイブなど多くの楽器をボビーさん自身が演奏。ジェイムス・バートンやハル・ブレインなど名手たちもがっちりサポート。さらにジミー・ハスケル編曲のストリングスと、ショーティ・ロジャース編曲のホーン・セクションがなまめかしく絡む。まさに意欲作。ただ、そういう意欲はなかなか評価されないのも世の常で。戦績としては全米チャート最高132位どまり。前作が1位だったことを思うと、ね。1971年の段階で廉価盤が出ちゃっていたくらいだから、セールス的には明らかな失敗作となってしまった。
が、同じキャピトルからリリースされた作品で言うと、たとえばビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』とか、ジョー・サウスの『イントロスペクト』あたりと同様、発表当初は今ひとつ評価が定らずじまいだったものの、歳月を重ねるにつれて評価が高まっていった“不運な傑作”“隠れた傑作”の仲間という感じで。
再評価のピークは、去年。マーキュリー・レヴがいきなりこのアルバムの題材にしたプロジェクトに着手したときだろう。1曲ごとにルシンダ・ウィリアムスやフィービー・ブリッジャーズ、ノラ・ジョーンズ、マーゴ・プライスら女性シンガーをゲストに迎え、本作まるごと、ちょびっとだけ収録曲をいじり、大胆なリアレンジをほどこして再構築したアルバム『ボビー・ジェントリーズ・ザ・デルタ・スウィーティ・リヴィジテッド』をリリース。これがけっこうなヒットになったことで、ぐっと本作への再注目の気運が高まった。
その波に乗って、キャピトルは同レーベルにボビー・ジェントリーが残した音源を集大成した8枚組ボックス・セット『ザ・ガール・フロム・チカソー・カウンティ〜ザ・コンプリート・キャピトル・マスターズ』ってのをリリース。もちろん本セカンド・アルバム『ザ・デルタ・スウィーティ』もそこに含まれていたのだけれど。このほど、そのバラ売りも実現。収録曲すべてのオリジナル・モノ・ミックス、オリジナル・マルチを引っ張り出して改めて制作された新規ステレオ・ミックス、そしてボーナス・トラック10曲を含む2枚組として登場した、と。そういうわけです。編纂したのはボックス・セット同様、アンドリュー・バット。
ボーナス・トラックはボックス・セットとダブるものも多いけれど、得意のナイロン弦ギターを爪弾きながらファンキーに歌われる「ザ・ウェイ・アイ・ドゥ」の弾き語りデモや「オコロナ・リヴァー・ボトム・バンド」のバック・トラックとかは今回が初出だ。「ビリー・ジョーの唄」のシングルB面に収められていた傑作スワンプ・ロック「ミシシッピ・デルタ」のぐっとルーズな別ヴァージョンとか、モーズ・アリソンやジョニー・リヴァースでもおなじみのウィリー・ディクソン作「セヴンス・サン」に自作のヴァースをくっつけた未発表バンド・ヴァージョンとかも実にかっこいいし、完成テイク以上のストーリーテラーぶりを発揮する繊細な「モーニン・グローリー」のデモも泣ける。
アナログ盤も出ていて。一連のボーナス・トラックがアナログ化されるのはもちろん今回が初だし。いやいや、めでたい。豪レイヴンが10年ちょい前にリイシューした2イン1CDとか買っちゃった人も見逃せません。