ナイス・ン・イージー(2020ミックス)/フランク・シナトラ
演歌/歌謡曲系のシンガーの方がよくやることなのだけれど。レコード会社を移籍するたびに、前のレーベルに残したヒット曲を新たに歌い直して、“特撰ベスト”みたいなタイトルのもとでアルバム・リリースする、みたいな。
まあ、なるべく新しいヴァージョンでそのシンガーの歌声を楽しみたいというファンもいるだろうし。そういう方にはいいのかもしれない。いわゆるリメイク・ヴァージョン。でも、ぼくはちょっと苦手で。その楽曲が生み落とされた瞬間の熱とか、ヤマっ気とか、スピード感とか、迷いとか、不安とか…。この先この曲がいったいどういう運命をたどるのか、まだ誰にもわからない段階で、そういったすべてが渾然と渦巻くオリジナル・ヴァージョンにかなうものなし。ぼくの場合は、そこんとこについこだわってしまう。
だから、カヴァーにせよリメイクにせよ、再演に名演なし、と。個人的にはそう信じている。基本的には、ね。オリジナル・ヴァージョンを超えるリメイク、歌い直しヴァージョン。そういうものにはめったにお目にかかれるものじゃない。
が、たまにはあるのだ。数少ない例外が。それを何度か実現してくれた偉大な存在のひとりが、フランク・シナトラという人だ。すべてがすべて、いつもいいというわけではないけれど、この人のリメイク・ヴァージョンには聞くべきものが少なくない。やっぱりとてつもないストーリーテラーだから。ある意味、年齢を重ねれば重ねるほどすごくなる。若いときの表現もそれはそれで素晴らしいけれど、年取ってから同じ曲に改めて取り組んだときの表現にも、なんとも言えない、豊潤な、深みというか、説得力があって。
そんなことを思い知らせてくれる往年の名盤がこのほど再発された。1960年にリリースされた『ナイス・ン・イージー』。まだビートルズもデビューしていなかったころ、全米チャートで9週にわたってナンバーワンに輝き、グラミー賞にもたくさんノミネートされた特大ヒット・アルバムだ。オリジナル盤の発売から60周年を記念するエクスパンデッド・エディションとして新装リリースされた。CD、アナログ、ともにフィジカルは6月に入ってからのリリースみたいだけど、ストリーミングおよびダウンロード販売はそれに先駆けて始まったので、さっそくご紹介。
シングルとしても全米60位にランクした表題曲をフィーチャーした1枚で。この表題曲はリラックスしたムードで展開する、今の季節にぴったりのブリージーなミディアム・スウィング・チューン。ミシェル・ルグランとのコンビネーションでも知られるアラン&マリリン・バーグマンがルー・スペンスとともに本アルバムのために書き下ろした1曲なのだけれど。
それ以外の収録曲はレス・ブラウン&サミー・フェイン作の「ザット・オールド・フィーリング」、アーヴィング・バーリン作の「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」、ジョージ&アイラ・ガーシュウィン作の「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」や「エンブレイサブル・ユー」、ジョニー・マーサー作の「フールズ・ラッシュ・イン」や「ドリーム」、ヘイヴン・ガレスピー&J.フレッド・クーツ作の「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」など、1940年代から50年代にかけて、シナトラがトミー・ドーシー楽団の専属歌手だった時代や、コロムビア・レコード在籍時に採り上げたバラード系レパートリーの再演ばかり。
もともと「ナイス・ン・イージー」という曲はアルバムに収録される予定でなく、代わりに「ザ・ニアネス・オヴ・ユー」の再演が入る予定だった。そうなっていたらずいぶんとアルバムの印象も変わっていたのだろうけど。いずれにせよテーマは明らかに、大人になったシナトラが若き日のレパートリーをより落ち着いた表現で再演する、というもの。
編曲/指揮は盟友ネルソン・リドルだ。この名匠の存在も重要。若きシナトラのみずみずしい歌唱を好むか、本作での円熟味を好むかは聞き手それぞれ意見が分かれるところだろうが、そんな議論などどうでもよくなってしまうほど、リドルは深みに満ちた素晴らしいアレンジを提供している。この点もまた本作の大きな魅力のひとつだ。
というわけで、オリジナル・アルバムの収録曲12曲に、前述した通りもともと収録予定だったものの当初はお蔵入りし、数年後、別アルバムに収められて世に出た「ザ・ニアネス・オヴ・ユー」を追加して、さらに「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」と「ナイス・ン・イージー」のセッションの様子をとらえた未発表音源を収め、すべて最新リミックスをほどこしての再発。ただし、以前、CD化の際にボーナス追加された「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」とか「デイ・イン・デイ・アウト」とか「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」は今回入っていないので、ご注意を。
いずれにせよ、グレイト・アメリカン・ソングブックの底力を思い知ることができる名曲の名演/名唱集。いろいろとモヤモヤ、ギスギスしがちな昨今。こういうの、いいですよ。まじ。